第十四話 無礼者達の信仰

序.

 夜の大海原を航行する船が一隻。漁船などは比べ物にならない大きさをしているが、豪華客船と比べれば非常にコンパクト。

この船はなんなのかと問われれば、こう答えるのが正式である。


海上自衛隊第三護衛隊所属護衛艦FFM−六『なか』。


あらゆる任務に対応するオールラウンダーを目指して開発された最新型の多機能護衛艦であり、現役主力バリバリどころかこの度初めての遠征に出たFFM末妹のふねである。今はその任務を終えて母港である舞鶴まいづる基地へ向かっている所なのだった。






 ここはそんな『なか』の甲板下二階、艦長室。艦長室と言えどスペースの都合上広くはない部屋だが実によく整理整頓されており、この空間の主が実直にして几帳面で規律正しく、艦という一つの社会を統べるに的確な人物であることをよく示している。

そんな室内と人物を象徴するような真っ白いシーツに包まれたベッドに、渋い顔で腕組み腰掛ける壮年の男性がいる。

彼の名は源田守道げんだもりみち。海上自衛隊二等海佐にして、もちろん『なか』の艦長である。元々『表情筋がシャトーブリアン』とか『海上自衛隊役者に向いていないグランプリ殿堂入り』とか言われるような男ではあるのだが、今日の彼の表情は一際いわおのようであり、口元は一文字、むっつりと押し黙っている。

普通なら母港に向かう即ち久し振りのおかがすぐそこに待っている現状、例え顔に出ないたちの朴念仁でも多少ウキウキした気配を漂わせるものだが、今の彼の様子を見るにそれは欠片も無い。


彼がじっとしていると、不意にドアをノックするものが現れた。


「誰だ」

「副長の嶺井であります」

「入れ」

「失礼します!」


ドアを開けて現れたのは、ギリギリ日本人離れしないくらいの雄偉な体躯を誇る浅黒い肌の、源田よりはやや若い男である。

彼は嶺井健気みねいけんき。『なか』副長(雑に言って副艦長)と船務長を兼任する源田の右腕である。嶺井は爪先まで姿勢が正しい敬礼を決めると、艦長室の敷居を跨ぐ。


「報告します」

「うむ」


嶺井は各科からの報告を統括し源田に報告する。本日の任務に合わせてどう動き、問題は無かったかという一日の振り返りから、備品の管理にヒヤリハット、馬場ばば鍬原くわはらが食堂で喧嘩したとかまで、あらゆる情報が源田に伝えられる。

本日は舞鶴への帰投予定航路が若干遅れている以外は概ね問題無いようだ。もっとも源田からすれば、自衛隊員が任務のあらゆる行程、数字において「遅れる」ということはあってはならないのだが。


嶺井はそこまで報告し終わると、少しだけ居心地悪そうに身体を揺すった。そして大きく息を吸い、ゆっくり吐いて何か決心をすると、先程の態度を振り払うようにハッキリと、しかしやや低い声で切り出した。


「例の件について報告します」

「……」


源田は今度はうむ、とも言わなかった。しかし身体全体がピクッと強張り、それが「当方受け取る準備良し」という促しの合図であった。


「三名が機関室で『黒い影』を見ております。内二人は同所同時刻に目撃しております。こちらは物理的被害はありませんでした。しかしこちら、ヒトゴーヒトハチ、一等海士が甲板から海に転落した件ですが」


その救助で航路が遅れているのだったな、源田は緊張する裏で指揮官らしく冷静な整理をする自分がいることを自覚している。


「『何者かに引っ張られた』と証言しています。そのような動きがあったのを目撃している者も複数います」

「『押された』でなくて良かったな。身内を疑わんで済む」


源田としては少しでも気を楽にしたいジョークだったのだが、普段の堅物感が災いしたか、嶺井の口角は微かな痙攣すらしなかった。あるいは冗談に気付ける程の余裕が無いのか。


「以上です」

「そうか。分かった」

「艦長。船員達の不安も限界です。やはり舞鶴に戻ったら、その、専門家の類いに……」

「……」

「やはり、金子かねこの……」

「考えておく。下がってよろしい」

「はい! 失礼します!」


嶺井は折り目正しく艦長室を後にした。それを見送ってから源田は大きく息を吐く。

実は案外、『船の中で何かを見る』というのは珍しい話ではない。自死した乗組員がいる船や、英霊を引き寄せ易い軍艦の類いはよく出るらしい。

……実際、自死ではないがシャワールームで足を滑らせ亡くなった乗組員がいる。

あるいはある種の閉鎖環境で長期間過ごすことによる科学的な心理的影響もあるかも知れないし、源田も実態はそんなものだと思っている。なので実のところ黒い影を見るとかに関しては、源田はあまり気にしていない。

しかし最近、それでは済まない原因の怪しい事故が多い。今は幸いにして死亡事故には至っていないが、明日そうならない保証は無い。どころか弾薬室で何事かあれば、最悪乗組員一人残らず『なか』の鉄板を墓標に集団墓地入りしてしまう。


「む……」


ちょうど近々舞鶴に戻れるのだ、なんとか手立てを講じられるチャンスが近い。源田自身はあまりそういう方向に凝らない方だが、流石にお祓いでもしてもらった方がいいかも知れない。

しかし逆に言えばその時まではひたすら大事に至らないよう祈るしかない。

源田はベッドから立ち上がり艦長室を出ると、出てすぐの壁に備え付けてある神棚のような艦内神社に手を合わせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る