二.お前の方が怖い

 ガラスのボウルにリッチな光沢を放つ包み紙が優雅に収まる。それらがまたウイスキーのボトルを模した形をしているので、大人のリッチさやシックさの中にお人形遊びの小道具を並べるような可愛らしさが混ざる、不思議な雰囲気を醸し出している。

桃子はその内の一つを摘み上げる。ウイスキーボンボンと言えば砂糖菓子のタイプとショコラのタイプがあるが、こちらは後者。包み紙を剥がした瞬間、と光る表面と甘い香りが姿を現す。

桃子は凝った造形のショコラを少しだけ眺めてから舌の上に載せる。少しそのままにして表面のショコラの風味を確かめてから、カリッと奥歯でボトルを進水式よろしく割ってみる。

瞬間、樽の香りを含んだウイスキーが溢れて口の中を支配する。なんとも大人の味。重厚な味と香り、そしてアルコールの刺激が鼻に抜けるのを感じる頃、ウイスキーで溶けたショコラが段階的にマリアージュを見せ始める。


「うーん……、優雅な味です。私まで人間のランクが上がった気分」

「人間のランクが高い人はそんなこと言いませんよ」

「しっ、すごいランクが低いと些細なことで上がるんだよ。そっとしておいてあげなさい」

「そういう意地悪言う人がですねぇ! 一番人としてですねぇ!」


急に自分にダメージが入る話の展開になって来たので、桃子は話題を捻じ曲げることにする。


「それよりその、『堀川のもう一つの側面』っていうのはなんなんですか」

「おぉ、気になる? 感心感心」

「いやぁそれほどでも」

「あは」


つばきが底意地の悪いスマイルで桃子を見たので、彼女には多分見透かされている。


「まぁ、要はこのウイスキーボンボンと一緒なのさ」

「と言いますと?」

「ここから先は酒の肴にしよう。つばきちゃんウイスキー」

「はこの前全部空けちゃいましたよ」

「馬鹿な!? この私がお酒を切らすだと!?」


紡は勢い良く立ち上がった。


「こうしちゃいられない。つばきちゃん、ウイスキー買いに行くよ!」

「蕎麦焼酎とジンも切らしてますね」

「後で纏めて聞く! というわけでちょっと出て来る」


紡の言葉に桃子も腰を浮かせる。


「でしたら私も一緒に……」


そんな桃子を紡は、空を見ながら手で制する。


「うーん、雲行きが微妙だね。もしかしたら俄雨にわかあめが来るかも知れない。その時に本を退避させる人が必要だからお留守番しといて」

「客にお留守番ですか」

「二条城の城番と思いねぇ」

「あは。沖田は幕府方ですけどね」

「はぁ?」


歴史の知識が無い桃子には言われている意味が分からないが、結局ポカーンとしている内に置いて行かれてしまった。






 とは言っても雨が降ってから一人で慌てても遅いので、転ばぬ先の杖と桃子が本を縁側から移動させていると、


キンコーン


とチャイムが鳴った。


「忘れ物ですかね?」


と思ったがそれなら縁側の方から上がって来るはずだ。そちらに回らずにわざわざ玄関のチャイムを鳴らす人物というのは……、


「参りましたねぇ。紡さんがいないのにお客さんだなんて」


居留守も良くない、と変な律儀さを発揮した桃子は慌てて玄関へ向かった。






「こんにちはー……」


桃子が玄関を開けると、


「ここに頼めば除霊してもらえるって聞いたんだが!」


目の血走った中年男性が僅かな隙間からガッ! と覗き込んで来た。


「ギャッ!」


ホラー映画並みの光景に桃子は思わず玄関を閉じる。すると直後にホラー映画も真っ青な迫力で玄関が叩かれる。


『おい! 除霊の専門家なんだろ!? 実績もあるんだろ!? 助けてくれよ! 開けろ!』

「あ、開けますから玄関を叩かないで下さい!」


向こうがシーンとなったのを確認し、三秒待ってから桃子はドアを開けた。男は肩で息をしながら佇んでいる。桃子からすればよっぽどこの男の方を除霊して欲しい所。


「除霊してくれ!」

「そんな『おっちゃんビール!』みたいに言われてもですねぇ……」

「してくれないのかよ!?」

「ここの主人は確かにやってくれますけど、私はただの留守居なんです!」

「何ぃ!?」


男の血走った目が。薬物中毒もかくや、というような瞳孔散大である。確かに除霊してもらえる、助かると思い込んでいた所に主人不在では(アポ取ってない方が悪いが)気持ちも分かるが、せめて落胆くらいにして凄まないで欲しい。

男が所在無気に、しかし引き下がるつもりも無さそうに佇んでいるので、桃子も「少しお待ちになられますか?」とか「今つばきちゃんに電話するので少々お待ち下さい」とか出来る限りの対応をしようとした所で、


「でも、そういう店の留守番するくらいだから、アンタもなんか出来るんだろ?」

「えっ?」


急にとんでもない論理の飛躍と共に桃子の腕を掴んだ。


「ちょちょちょちょっ! ちょっと待って下さい!」

「頼むよ! もう耐えられないんだ! 一刻も早くアイツを追い出して欲しいんだよ!」


男は容赦無く桃子を引っ張る。切羽詰まった男の火事場の馬鹿力か、肘関節が脱臼するんじゃないかと思う程の勢いである。


「ちょっと! 変なことすると暴行や拉致監禁の罪で逮捕しますよ! というか、戸締まり! 戸締まりくらいさせて下さい!」


そのまま桃子は明らかにヤベー奴に連れて行かれてしまった。

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