一.餃子をバラすなんてお行儀の悪い

 その日は昼間激しい雷雨があり、その所為か蒸し暑いことこの上無かった。


「全く酷いもんですよ!」


折しも自転車でパトロール中だった桃子ははからずも滝行たきぎょう、悟りを得るにはまだまだ遠いという悟りを得るに至った。

こうして人の三倍してしまった身体を乾かし冷やす為に、交番という公共の場で下こそ制服のままだが上半身は黒のカップ付きタンクトップ一枚という、親御さんと上司が見たら血圧一三〇越えそうな格好で扇風機を浴び団扇を扇ぐ桃子の元に、一匹の雨蛙が現れた。

季節にやや取り残されつつある蛙は引き戸の、あと一歩進めばガラス部分というような位置に貼り付いている。


「おやおや、可愛いですね蛙さん」

「どうも」

「……最近は迂闊に独り言も言えないんですね」

「そして迂闊に卑猥なサイトを検索することも出来ない」

「してません!」


最早当然のように知り合いの声で喋る蛙は、引き戸からピョン、と桃子の机に飛び移る。


「うわ、ビックリした」

「そうビビることないよ。ヤドクガエルじゃないんだから」

「そういうことじゃないんですよ」

「おおぉ、身体が乾いてしまう」


勝手にこっちに寄って来た挙句そもそも喋っているのは人間のくせに妙に蛙くさい苦しみをのたまうので、桃子は扇風機の向きを少しずらしてやる。


「それで、なんの用ですか紡さん」

「お誘いだよ」

「お誘い」


蛙はゲコッと喉を膨らませる。


「今日は蒸し暑いから、スカッとビール餃子大会でもしない?」

「おぉっ! 良いですねぇ! やりましょうやりましょう!」

「よし、決まり。ビールは幾らかあるけど、桃子ちゃんも買って来てね」

「了解しました!」


桃子が今までのどの任務よりも力強い敬礼をすると、蛙はピョーンと外に飛び出して見えなくなった。






 その晩、上記のことがあって桃子は紡邸に来ているのだが、


「……思ってたのと違うんですが」

「何が」

「餃子が!」


桃子はレモンサワーの缶片手に箸をゲンコツで握り締める。


「桃子さん、箸は握るんじゃなくて、こう……」

「それは分かってますぅ!」


桃子が地味に幼児退行している理由、それは、


「何が不満なのさ。言うてみ」

「こんなの茹で餃子じゃないですか! 私は焼き餃子のつもりで来たのに!」


目の前の皿に山盛り盛られているのが、日本式の薄い皮をパリッと焼き上げた細面の餃子ではなく、中国式の厚い皮をと茹で上げた丸型の餃子だからである。

すっかり秋だが部屋着はまだこれで十分、と言わんばかりに『鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス』と彼女の性格ぴったりな言葉が書かれたTシャツといつものハーフパンツで寛いだ様子の紡が、箸で餃子を摘み上げる。


「茹で餃子じゃないよ、水餃子だよ」

「水餃子はもっとこう、スープに浸かってる……」

「あぁ、湯餃タンジャオね」

「水餃子すら認識が合わないんですか……」

「食べないと冷めちゃいますよ?」


横でグラスに注いだビールの泡を調整しているつばき。Tシャツには大きく『鳴かぬ』と書かれている。


「なんでこの子は定期的に変なTシャツ着るんですか」

「趣味じゃない?」

「最初からアレなTシャツなら似合う似合わないを考えなくていいからですよ」

「思ったより消極的な理由だった」


文句言ってもTシャツ談義に逃げても水餃子は焼き餃子にならない。そしてテーブルにはそれ以外の食べ物が無い。米もサラダも無い。観念して水餃子を黒酢と醤油のタレでいただく。


「美味い!」


クニュクニュとした皮が破れると、タネのジューシィな肉の旨味が広がって渾然一体となる。


「すごくジューシィですね!」

「牛脂が混ぜてあるからね。そしてニンニクを入れないから、より肉の味が出る」

「へぇー」


タレがまたいい。黒酢の酸味が牛の旨味とマッチしつつ牛脂をしつこくさせない。非常に良く出来たバランスである。

しかし、


「紡さん紡さん」

「何?」

「ライスはないんですかライスは?」

「そんなの炊いてないよ」

「なんと!?」


桃子はまた箸を握り締める。


「こんな素敵なおかずを前に米が無いなんて! 貴方それでも日本人ですか!」

「だって米は主食じゃん。で、水餃子も主食じゃん。ダブル主食になるじゃん。私香港系じゃん」

「あは。炭水化物ダブルパンチとは、増量中のプロ野球選手みたいですね」


桃子はテーブルをダンダン叩く。


「そもそも私は餃子が主食っていうのに納得してないんですよ!」

「なんでさ」

「だってどう考えても餃子ってお肉メインじゃないですか!」

「皮メインだよ見て分からない?」

「いーえ肉メインです! だからおかずです!」


尚もゴネる桃子に紡は溜め息を吐く。つばきはそっと席を離れる。紡はアプローチを変えるようだ。


「じゃあ桃子ちゃん、君、カレーパンはおかずと思う? あれは生地よりカレーのインパクト強いけど、あれおかずに白米食べる?」

「カレーパンに白米入ってるのは食べたことありますよ」

「えっ、何それ……」

「……」

「……」


紡は咳払いをした。


「……つまり中身の惣菜がメインでも外側がこう、主食で包まれてたら主食なんです。要素を分解すれば丸分かりです。よろしい?」

「ハイヨロシイデス」

「『呪』と同じです。世の中、知らないことパッと見で分からないことも一つ一つ紐解いて行けば正体が分かるのです。君も将来壁や問題にぶち当たったら、こうして冷静に対処して行きなさい。よろしい?」

「ソウデスネ」

「……」

「……」

「あは。そもそも皮の存在感が全然違う日式と中国式を同じ概念で語るのが違うんですよ」


無理矢理話を纏めた、とか言ってはならない空気でお互いが膠着沈黙している内に、一度座を離れたつばきが戻って来た。手には


「あっ! 白米!」

「パックのチン! ですけど」

「十分です!」

「言い争ってないで最初からこうすればいいんですよ。日中友好♡」


なんだかよく分からない決め台詞と共に決めたつばき。ちなみに彼女は点心の蒸した蝦餃ハーガオが好き。

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