二.羊か豚か

 その女性はやや過ごし易くなって来た気候の中未だにタンクトップで、若い日焼けした肌に朝の日差しを与えながら竹箒で玄関を掃き清めている。


「若いですね。お孫さんが遊びに来てるんでしょうか」

「それくらい仲が良いなら警察より直接ご家族に見張り頼めば良いんですよ」


桃子は潜むのをやめてズカズカと玄関の方へ向かった。


「すいませーん!」


女性はピクリと反応すると、掃除する手を止めて桃子に向き直る。


「……警察?」

「はい。地域課の沖田桃子と申します」

「なんか用かよ」


警察手帳を見せる桃子に対して、態度が悪いというよりは露骨に警戒している雰囲気の女性。まぁ急に警察が来れば当然の反応ではある。


「今井三郎さぶろうさんのお孫さん?」

「いや……」

「じゃあ娘さんですか?」

「そうでもないけど……」

「……もしかして、奥さ」

「んなわけあるかっ! ご、ご近所だよっ! で、なんの用だよ!」


女性は褐色の肌を赤くして吠える。


「いえ、今井さんが入院なさってること、ご存じですよね? 家の掃除する程の間柄なんですから」

「あ、うん、まぁ」

「今井さん、よく病院を脱走してこの家に帰って来ちゃうんですよ。ご存知でした?」

「へ、へぇー……。知らなかったなぁ」

「それで病院の方も大変困ってまして。もし今井さんが来ちゃったら病院に連れ返してもらえませんかね? こちらの病院です」


桃子は病院の名前と住所、電話番号をメモに書き、女性に千切って渡そうとするが、相手は受け取ろうとしない。


「ん、んなこと言われてもな……」

「あぁ、お仕事でおられないことの方が多いですかね。ちなみにお仕事は何を?」

「と、特には」

「なぁんだ! じゃあお願いしますよぉ、お名前なんて仰います?」

「……ォキ……あっ」

大木おおき……、下のお名前は?」

「えっ」

「下の名前」

「……」

「……あの」

「さ、小竹ささだよ!」

「大木小竹さん、と。病院にも大木さんが対応してくれるって話しといて良いですか? この際電話番号も教えていただけます? 今井さんが脱走したら病院から貴女に電話してもらって、ここでスタンバってもらえればスムーズなので」


桃子の提案に、小竹はフイッと目を逸らした。


「あの?」

「で、電話番号とか、無いから……」

「へぇ? 今時そんな人いますぅ?」

「こ、壊れたんだよ!」

「まぁ別に構いませんよ。そんな修理に何ヶ月も掛かるもんでもなし。さ、教えて下さい」

「いや、その……」

「さ」


桃子が促すように手をクイクイやると、小竹は持っている箒を逆さまにして地面を突いた。すると、


「ん……? あ、えーと」

「んだよ」

「また来ます!」


言うが早いか桃子はその場を離脱した。急に小走りで戻って来た桃子に、紡は心なしかニヤついている。


「急にどうしたのさ」

「そ、それがですねぇ」

「あは。お腹痛くなりました?」

「ご飯」

「ん?」

「ご飯食べに行きましょう! なんか急に凄まじくお腹が空いて来たんです!」






「というか桃子さん、自分の仕事あの人になすり付けようとしてましたよね?」


三人はちょっと移動しホットドッグのキッチンカーを見付けたので、そこで早めの昼食を摂っている。


「人聞きの悪い。地域課として地域の皆さんと連携しているだけです」

「物は言い様だね」


プリプリパリッと茹でられたソーセージにケチャップとマスタード、紡はピクルス、つばきはオニオン、桃子はチーズたっぷりのトッピング。


「にしても、普通ご近所の庭の掃き掃除なんかしないでしょうし電話番号答えないし、なんか怪しかったですねあの人」

「人に言えない愛人関係ですかね?」

「ま! 十四歳の口からそんな言葉が!」

「そんなに怪しむならもうちょっと問い詰めたらよかったのに」


紡がガブリとホットドッグに齧り付く。桃子もゴクリと喉が鳴り、早速一口。

上の歯はソーセージの皮が張った歯応えを、下の歯はパンのふわふわの食感を捉える。そこに肉汁の旨味、ケチャップの甘味、辛くないマスタードの酸味、チーズの濃厚な風味が相まって暴力的に満足がある重低音四重奏を形成する。


「うふふ、うまうま! まぁ私も問い詰めるつもりだったんですが、急にどうしようも無くお腹が空いて……」

「まぁ仕方無いね。あの人『逆さ箒』をやってたし」

「魚ジョージ?」

「嫌な客に帰ってもらう『呪』だよ。箒には邪魔なものを掃き出す力があるから」

「逆さまの箒を御幣ごへいに見立てて、それで相手を祓うとも言われています」

「では私は意図的に追い払われたということですか!?」

「そうなるね」


桃子は口の中にホットドッグを詰め込む。


「警官を追い払うとはなんと非協力的な不届き者! やっぱり怪しいです!」

「あーあ、せっかく美味しいソーセージ、そんな雑な食べ方良くないですよ」

「ソーセージと言えば、これも『呪』的に興味深い存在だよね」

「げっ!」

「げっ、て何さ」

「あ、いえ」


桃子はつばきにほっぺた同士がくっ付かんばかりに顔を寄せ、ヒソヒソ話す。


「つばきちゃんが余計なこと言うから紡さんのスイッチ入っちゃったじゃないですか!」

「えぇーっ! 私の所為ですかぁ!?」

「例えば桃子ちゃん。君とつばきちゃんが中身入れ替わったとしよう」

「はいぃ?」


つばきが逃れようとするが桃子はガッチリ逃さない。


「見た目つばきちゃんの桃子ちゃんと見た目桃子ちゃんのつばきちゃん、どっちが桃子ちゃんだろうか」

「そんなの中身私に決まってるでしょうが」

「このソーセージ、例えば豚のミンチを羊の腸に詰めたいわゆるウィンナー。果たして豚料理だろうか羊料理だろうか」

「豚ミンチ食べるんだから豚肉料理でしょう」

「魂抜きしてただの箱になった元仏壇と本当に魂が入ってるクッキー缶、どちらが真の仏壇か」

「えー……? クッキー缶?」

「その通り! つまり存在とは外見ではなく中身、肉体ではなく魂魄で定義されるべきものなんだ。極論入れ物はなんでもいい」

「それは暴論でしょう」


桃子はようやくつばきを放した。


「そう。暴論だよ」

「えっ」

「実際、入れ替わった二人を見て正しく桃子ちゃんを見分けられるのは事情を知ってる人だけ。何も知らない人が見たら、どっちを桃子ちゃんと思うだろうか」

「それは……」

「そして前にも言った『呪』の根幹、人が『そう』扱うことで『それ』は『そう』なる」

「まさかその理論で行くと……!」


桃子の手の中でホットドッグの包み紙がグシャリと鳴る。


「その内つばきちゃんの方が桃子ちゃんになり、桃子ちゃんはつばきちゃんになる。存在は魂魄こんぱく、あり方で定義されるべきなのに、結局外的要因の見た目で、更に外的要因の他者によって容易く捻じ曲げられてしまう。存在というものが如何に不安定で雑なものかを説いているんだよ、このソーセージは」


語り終えた紡が満足そうに残りのホットドッグを口に放り込む横で、つばきが薄ぅく笑った。


「まぁ、ウィンナーを羊料理と扱う人はそう多くないと思いますけど」

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