一.華麗なる仏教

 桃子は唸った。果たして目の前のものを組み合わせ、正しい答えに辿り着けるのか。

現場にあるのはバラバラにされた肉片とグチャグチャの赤い塊、そしてギラリと輝く包丁。果たして何に使われる予定だったか、白い粉や正体不明の植物もある。

目の前の惨状に桃子は涙が止まらなかった。もう目も開けていられない。耐えられない。一刻も早くここから逃げ出したい。しかし彼女に課せられた使命として、それは許されない。

でも私にはどうすることも出来ないよ! 一体どうしたらいいの!? 分からない! 誰か助けて! 桃子の心の叫びが爆発しそうなほど高まったその時!


「進捗如何?」

「紡さん!」


そこには壁に背中を預けて腕組み立っている紡が。白地に『金鉱掘り当てて大当たり!』な煙草(何故自分が吸っているのと違う銘柄なのかは不明)のロゴが入ったTシャツ、同色でハイウエストのリネンパンツの出立ち。桃子は一目散に彼女へ泣き付いた。


「紡さぁ〜ん! 助けて下さい〜! 私にはもう無理ですぅ〜!」


しかし紡の態度は冷たかった。


「無理だよ。君の役目でしょ? 私は介入出来る立場に無い」

「そんな!?」

「ほら、さっさと任務を遂行しなさい」

「やだぁぁぁ!」


紡は無理矢理桃子を押し返す。



「ほら、玉葱まだ半分残ってるよ!」

「嫌ぁぁぁ!」



ここは紡邸キッチン。桃子はミートソースを作っている真っ最中である。バラバラにされた肉片ミンチグチャグチャの赤い塊ホールトマト白い粉正体不明の植物タイムを駆使して。


「嫌じゃない。君が最初に『今日は私がご飯作ります!』って言い出したんじゃないのさ」

「誰ですかその似てない声真似は。お仕事で出会った妖怪とかですか」

「……」

「あぁっ! 待って! 帰らないで!」


桃子は紡の足に縋り付く。


「せめて作り方くらい教えて下さい!」

「よくその為体ていたらくでご飯係買って出たね」

「『何食べたいですか?』『ミートソース』なんて、私が作れそうな料理オーダーしない方が悪いんですよ」

「じゃあ何だったら作れたんだよ」

「……最後に料理したのは高校の家庭科でハンバーグだったような?」

「まだ食中毒にはなりたくない」

「なんと」


紡は桃子を振り払いキッチンを後にする。


「じゃあね。ちゃんとお昼時に間に合わせてね」

「そんなぁぁぁ……」






 大体十二時半過ぎ。紡邸リビングのフローリングに桃子は直で正座している。目の前には神棚用の三方さんぽうに乗った包丁。真正面には腕組みした紡が椅子に座っている。背後には一メートルの竹定規を持ったつばきが控えている。ネイティブアメリカンな煙草のロゴをパロディでメキシカンにしたターコイズブルーのTシャツに黒のサルエルパンツ。よく着替える幽霊である。

そんなのに挟まれた状態の桃子は、深々と座礼をする。


「やらかしました。腹を切ります」

「説明」

「はい。わたくし沖田桃子めは、ミートソースを作るのに『ソースは液体だから』とよく考えもせず水を投入しシャバシャバにしてしまいました」

「何故ネットにゴロゴロレシピが載ってるようなものを、君は調べもしなかったのかな? その君よりよっぽど賢いスマートフォンは飾りかただの板なのか?」

「返す言葉もございません」


桃子がもう一度頭を垂れると、


介錯かいしゃく!」


つばきが竹定規でペチリと頸を叩いた。


「待って下さい、まだ腹切ってないです」

「実際の介錯はほぼほぼ切腹をさせないんですよ。腹を切りながら凄まじい呪詛をするの防止で。刃物がちょっとお腹の皮切ったくらいとかで首を落とします」

「切腹に詳しい十四歳とか嫌ですよ!」

「ちなみに切腹で行う呪詛で一番ポピュラーなのははらわたを……」

「スプラッターに詳しい十四歳はもっと嫌です!」


切腹談義に一区切り着いた所で紡が口を開く。


「別に切腹しなくていいから。それよりミートソースをシャバシャバにしたんだね?」

「はいぃ……」


紡はキッチンへ向かった。






 桃子が包丁を戻しがてら着いていくと、紡はミートソースに水を足している。


「ちょっ、何してるんですか! ヤケになりましたか!」

「そんな桃子ちゃんじゃないんだから」


加水し終えた紡は棚からカレールーを取り出した。


「カレーにするんですか!」

「これなら具材的にキーマカレーになるからね」

「なるほど! それで水足したんですね!」

「そういうこと」

「これで万事解決ですね! 助かりました!」

「Ha-ha! カレーは仏教であり大日如来だいにちにょらいだからね。全てを習合し、上塗りし、支配する」

「仏教? 魚雷?」


さっきまで喜んでいた桃子の眉がしかめられる。


「そうとも。大体のものはカレーかけたらカレー味になるでしょ?」

「そりゃそうですよ。カレーかけてるんだから」

「カレーとシチュー混ぜたらどうなるか知ってる?」

「えっ、なんですかそれは」

「答えはほぼカレーになる」

「えぇ……」

「それぐらいカレーというのは全てを傘下にする料理界の最上位」

 

紡は楽しそうに鍋を混ぜる。


「仏教も同じだよ。桃子ちゃん毘沙門天びしゃもんてんとか知ってる?」

「知ってますよ。武神ですよね? 剣道してましたからお参りもしました」

「今でこそ毘沙門天は仏教における護法善神ごほうぜんじん、仏法の守護神なわけだけど、元々はヴァイシュラヴァナっていうインド神話の神様だったんだ。元々は仏教の存在じゃなかったんだよ」

「あー、なんか聞いたことあります」

「しかしインドに仏教が流入したことによって、元々あったインド神話、バラモン教、ヒンドゥー教の神々は仏教に屈した扱いで守護神として取り入れられてしまう。それこそカレーを混ぜた所為でシチューがカレーの一部になってしまうように」

「シチュー側としては堪ったもんじゃないです」

「これは日本でも起きていて、神仏習合により八百万の神々は皆本地仏ほんじぶつの化身という扱いになってしまった」

「ほんじ……?」

「早い話『日本の神様は全部仏様の別モードなんだ! 神様の正体は仏様だったんだよ!』という話になった。仏教の教えの中では」

「な、なんだってー!?」

「結局全部カレーで上書きされてしまった。繊細な和食にカレーぶち撒けたら味が支配されてしまった」

「これは酷い」

「だからカレーは神々の上位に存在する仏教であり、真言密教の頂点である大日如来なんだよ。……出来た!」


紡がカレーの完成を告げると、難しい顔をしていた桃子も愁眉しゅうびを開く。


「じゃあ食べましょう食べましょう! 難しい話は忘れて食べましょう」

「そうしようか! 食べよう美味しいキーマカレー!」


紡と桃子がテンション爆上げになったタイミングで、ずっと黙っていたつばきがボソッと呟いた。


「まぁお米は炊かれてないしパスタが茹で上がってるんですけどね」


お昼はキーマカレーパスタになった。とても美味しかったが日本人としては少し悲しくなった。

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