急.
夜の縁側にて。紡は
「もう九月だからね。夏が終わる前に」
という紡の在庫処理である。
激しく火花を散らす花火に、桃子は朝から昼間の人々がダブった。
「何というか……、この街ってこんなに治安悪かったですっけ」
「それは私達より警察官の桃子ちゃんの方が詳しいでしょ」
「それはそうなんですけど」
桃子の花火の中心がプツッと落ちて、水を張ったバケツにジュッと消える。彼女が新しい花火を取ると透かさずつばきがチャッカマンで火を点ける。
「昼間の人は知りませんけど、朝の老人達はあんな大喧嘩するような人達じゃないんです。みんないつも優しくて人が良くて……」
「うーん、今日は九月九日だからねぇ」
紡の
「それがどうかしたんですか?」
「
「超酔う? 知りません。節句って桃と
「違うよ。
「一月七日の『
「さすがつばきちゃん」
「一月だけ七日なんですね」
「一日は元旦だし」
「十一月はそもそも無い」
「二桁からは既存の数の組み合わせでしょ? 零から九で一区切りなのさ」
「で、それが何なんです?」
花火は儚い。三人で遊ぶとすぐに無くなってしまい、特殊な匂いの煙が残るばかりとなった。それも段々と煙草の匂いに上書きされていく。
「さて、私は
「はい」
紡は答えずに屋内へ引っ込んでしまった。任されたつばきが桃子に向き直ったが、花火が消えて暗いので桃子にはぼんやりとしか見えない。何となく幽霊らしさが増した気がするのだった。
「桃子さん、昼間のオーロラソースの話覚えてますか?」
「陰陽なんたら女神なんたらですよね?」
「あは。そうです。陰陽のバランスが大事という話でしたが、つまり物事は陰と陽に分けることが出来、奇数は陽に分類されるんです」
「ほうほう」
薄暗い中でつばきが指折り数えるのがうっすら見える。
「そして先程の話のように数字は九までで一区切り。つまり九は最大の数にして最強の陽の数となるわけです」
「そうなりますね」
何となく桃子も自分の手で指折り数えてみる。
「その九が二つ重なる九月九日は、陽の力が強過ぎてバランスが崩れる不吉で負担の大きな日とされているんです。今でこそ陽が重なる吉日扱い……もとい、ほとんどの人が忘れている節句ですが、本来は逆にこれを祓う為の節句なんです」
「へぇ〜」
「それで『陽が非常に強い』というのが本日の狂騒に関わってくるわけですね」
「一体どういう」
ぽっと、急につばきの顔の左半分が照らし出された。顔の横でチャッカマンの火を点けたのだ。
「物事は陰陽に分けられるという話でしたね。このように『左』や『火』は陽の『呪』ですが、他にも陽に分けられるものには以下のようなものがあります」
つばきが指折り数えるのが、今度は照らされてくっきり見える。
「『活発』『興奮』『動物的』『攻撃』」
「あぁー……」
「重陽は天地においてそれらのエネルギーが最高潮に高まる日なんですね。だからアテられると普段温厚なお爺ちゃまでもバイキング魂になります」
「なんですかその例えは」
「医学的には男性ホルモン異常分泌と似たような状態です」
「医学て……。大正の十四歳にしては色々詳しいですよね」
「長く生きてると色々あるんですよ」
「いや、死んでるでしょ」
「あは」
「男性ホルモンと言えば」
不意に横から声が割り込む。紡が瓶と切り子のグラス三つ、そしてキャンドルが乗った盆を手に戻って来たのだ。
「そういうわけで陰陽道においては男性は陽、女性は陰とされる」
紡は盆を縁側に置く。
「誰が陰キャですか!」
「誰も言ってない。そこで私の名前を思い出してご覧? 偽名だけど」
「丹・紡・ホリデイ=陽、でしたか」
「よく出来ました。女性だから気質は陰だけど名前という『呪』には休日たる
「偽名にも意味あるんですねぇ。そうする意味あるかは分かりませんけど」
「昼間の惨状を見ても分からないのか……」
つばきがキャンドルにチャッカマンで火を点けると、少し周囲が浮かび上がった。瓶には透明な液体と
「なんですかこの……、菊?」
「ご名答」
菊の花が入れられている。
「菊酒って言うんだよ」
紡が桃子の青い切り子に菊酒を注ぐ。
「菊酒、初耳です」
「花札で『菊と盃』の札があるでしょ?」
「花札よく知らないです」
桃子は初めてと思えないほど気軽に菊酒を口に運ぶ。
「昼間暴漢共にぶっ掛けたのと同じ奴」
「ぶぇっ!? な、なんと!」
思わず桃子は菊酒を吹き出した。暴漢退治に使うような劇薬、飲んだらどうなるか分かったものではない。
「あー勿体無い」
「あは」
紡は咎めるような視線を送りながらつばきの緑の切り子に菊酒を注ぐ。
「そんなこと言ったってですねぇ!」
「そんな毒とかじゃないよ。毒だったらもっとしれっと飲ませる」
「それはそれでどうなんですか……」
桃子は改めて菊酒を口に含む。味は菊の香りが宿る、砂糖が加えられた焼酎といったところか。有り体に言って、
「梅酒の菊バージョンのような……」
「実際作り方は一緒だからね。『加賀の菊酒』はまた違う作り方らしいけど。美味しいでしょ」
「まぁ美味しいのは美味しいですけど」
桃子は水面をじっと見つめる。
「何故これで暴漢が沈静化したんです? 飲ませてダウンさせたとかでもないのに」
「それはねぇ」
紡は切り子を揺らす。酒と一緒に流れ出た菊の花弁がゆらゆらゆらゆら。
「菊酒は昔から重陽の日に飲まれるんだ。つまり強い陽の気を中和する力がある。まぁ掛けただけで効くのはこの私が丹精込めて作った菊酒だからだけど」
「このお酒にそんな効果があったとは」
「だから菊の節句なんですよぉ。あっ」
つばきが短く声を上げた。
「どうしたんですか?」
「花火一本だけ残ってました」
どうやらキャンドルの薄明かりで残り物を見つけたようである。つばきは小さな両手でそれをきゅっと握り、顔の前に持ってくる。
「もらってもいいですか?」
「どうぞどうぞ」
紡は大人の対応をした桃子(まぁ当然である)を讃えるように、肩に手を回して菊酒を注いだ。
「ま、飲みねぇ。菊酒は健康長寿のお酒とされてるからさ。漢詩で『神仙の飲み物』と
「それはありがたいですね!」
つばきが線香花火に火を点けるのを肴に桃子は景気良く菊酒を飲むと、気分が上がったのか嬉しそうに笑う。
「まぁ何にせよこの街の治安は悪くないしご老人方も明日になれば血気に
紡とつばきは顔を見合わせた。
「それはどうでしょう?」
「桃子ちゃんが喧嘩っ早いのは重陽じゃなくて素じゃない?」
「なんと!」
線香花火の中心がプツッと落ちて、バケツの水面でジュッと音を立てた。
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