六.少女探しと後光
「ちょっと待って下さいったらぁ!」
桃子が看護師達に睨まれながら病院のロビーを駆け出ると紡はもういない。つばきがギリギリ
「ヘイ! タクシー!」
と
「つ、つ、つばきちゃ……」
「現役ポリ公が何を息切れしてるんですか! 早く乗って!」
「ポリ公……」
桃子が座席に身体を捻じ込むと、真っ白い口髭とモミアゲが立派な運転手が振り返る。
「どちらまでお送り致しましょう」
「あ、えっと……」
桃子はつばきに耳打ちする。
「そう言えば倉本さん宅へ行けって言われましたけど、住所なんか分かりませんよ! どうしましょう!」
つばきは桃子の顔を押し退ける。
「モートン
「分かりました」
運転手がシフトレバーをガコガコ動かしてタクシーを発進させる。
「ちょっと! この一大事にコンビニですか!?」
「この一大事に備えて最寄りのコンビニを覚えておいたんでしょうが! そこなら個人宅と違って住所が分かり易いから!」
「あ、あぁ……」
役に立たないんだから……、という目線が突き刺さるのを、桃子は気付かないフリで乗り切った。
こうして倉本家に着いた桃子とつばきだったが、
「……」
「……」
インターホンを押して一分は待つ、を三度繰り返したが反応が無い。どうやら良枝はご不在のようだ。
「うーん、ご不在ですね。どうしましょう、帰ってくるまで待ちます?」
「そんな悠長なこと」
つばきは何処かに向かって歩き出している。桃子は慌てて横に並ぶ。
「悠長って、そもそも私は紡さんが何を焦っているのか分からないんですが。とにかく倉本さんを見つけないとヤバそうなのは伝わりますけど。で、何処行くんですか」
「ここに来る途中足場組んでの工事がありました。そこに行ってみます」
「工事?」
「何か起こるならそこです」
来た道を小走りで戻ると、果たして人通り賑やかな繁華街で足場を組み、高所に鉄骨を持ち上げて作業をする現場に遭遇した。
「ほお〜、本当にやってる。よく見てますねぇ」
「そんなことより桃子さん!」
つばきが前方を指差すと後光を背に、雑踏の中からこちらに歩いてくる良枝の姿が。膨れた買い物袋を腕にぶら下げながら歩きスマホをしている。
「お、本当に倉本さんいましたねぇ。つばきちゃん冴えてます」
「桃子さん!」
桃子の呑気な褒め言葉には対応せず、つばきは上の方を指差す。
「はい?」
桃子が指の先を見ると、なんと鉄骨が自身を吊り下げるクレーンの拘束からズリズリと滑っていく。
視線を下に戻すと、ちょうどその真下に歩きスマホの良枝が差し掛かろうとしている。
そして鉄骨は今にも限界を迎えようとしている!
「なんと有りがちなシチュエーション!」
「言ってる場合ですか!」
つばきが一気に駆け出したので桃子も慌てて追い掛ける。そして飛び付いて良枝を押し倒した直後、
ガガガシャッ!
と繁華街の喧騒を引き裂く轟音と共に鉄骨が地面に叩き付けられた。それをさらに上塗りするように悲鳴が響き渡る。
「大丈夫ですかーっ!?」
上から作業員の声が降ってくる。幸い桃子も良枝も怪我は無いが、返事をする余裕も無い。
「な、何!?」
いきなり押し倒された良枝は状況が分かっていないようだ。対する桃子は肩で息をしながら鉄骨が落ちた地面を見る。
コンクリートで舗装された歩道が、落とした皿のように割れている。これを人間の頭蓋骨の強度で食らったなら!
「はぁ、はぁ……!」
呼吸が余計に乱れる。鼓膜を通る血管の脈動が響く。
すると、今度は目が痛い程の強烈な光、今まで見ていた後光と同じ光が鉄骨の山から出て来た。
僅かに見える表情で、こちらをキッと睨み付けながら。
「な、え……?」
『オオオオオン!!』
後光が咆哮を放つと、呼応するように上の足場からギシッと音がする。
「まさか!?」
桃子が足場を見ると、支える柱の一つが歪んで傾き始めている。
「ま、まさか……。土地の神様なのに……、加護をくれてるんじゃ……」
何故? 呆然とする桃子。逃げなければならないと分かってはいるのだが、ショックのあまり足腰に力が入らず立ち上がれない。隣の良枝も事態に気付き、かつ腰を抜かしているようだ。
ギィギィと足場が悲鳴を上げ、現状に気付いた作業員達が騒ぎ始め、動けないなりに警官として市民を守るべく桃子が良枝の盾になるように彼女を抱き寄せたところで、
「大丈夫桃子ちゃん。任せて」
つばきが桃子の頭をポンと触ると光の方へ歩み寄って行く。その眼は、
「つ、紡さん……?」
エメラルドグリーンをしている。
つばきが今にも崩れ落ちそうな足場を恐れもせず前に出ると、
『ヴヴヴヴヴヴ……!』
光の塊の中から、何かが唸り声を上げて歩み出る。
それは光を巨大な
『オンアアアアアア!』
「危ない!」
桃子が必死につばきへ手を伸ばすと、
「
つばきは厳かに、しかし何処か軽やかに歌うかのように言葉を紡ぎ始めた。
すると光の狒々がふつと黙り、身を乗り出すのもやめた。つばきが言葉に合わせて人差し指と中指で
「
じわじわと、つばきの足元に光が湧いてくる……、
「いや、違う……」
光は湧いているのではなく、少しずつ少しずつ、溶ける狒々から流れ出ているのだ。
「天地神明森羅万象、吉兆あれ、健やかなれ、慶びあれと
狒々はやがてその険しい眉を穏やかにすると、後光の中に引っ込み
「……八百万
そのまま地面に溶けて消えていった。つばきが締め括るように合掌すると、
「おぉっ! 止まったぞ!」
頭上から作業員の歓声が降って来た。桃子がそちらを見遣ると、足場の支柱がギリギリのところで傾くのを止め、堪えているのが見えた。
「桃子ちゃん、怪我は無いね?」
全てを終えたらしいつばきが穏やかな笑みを
「あ、あなたは……、紡さんですか?」
つばきは小さく音が鳴らない拍手をした。
「ご名答!
「粘膜炎?」
「簡単に言うと、幽霊に取り憑かれた
「はぁ」
「と言うわけで私は今、生き霊となってつばきちゃんに取り憑いているわけです」
「なんと!?」
「じゃ、また後で」
つばきが軽く手を上げると、ふっと瞳孔が黒く変化した。彼女は先程までの美人の微笑みから人懐っこい童女の笑顔に変わると、
「あは。それじゃあ紡さんと落ち合いましょうか」
桃子を引っ張って起こした。桃子が立ち上がったことで緊張が解けたのか、ようやく空気になっていた良枝がポツリと呟いた。
「な……、なんなの……」
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