第29話 青き星を背にして
南天に光る
「
「
手綱を取るファラの前に乗るラパラは、振り落とされないように必死に
「大丈夫――とは頼もしい姫様だ。まあ、いきなりでそこまで乗れるなら頼もしくもなるか」
サタハは逃走用に、この
「馬とたいして変わらないわ」
サタハの軽口にファラはにべもなく答える。彼女はペトロ・コステロに歌舞だけでなく種々様々な曲芸も仕込まれていたが、その中には馬の曲乗りも含まれていた。
ファラは早くも慣れた手つきで手綱を操り、サタハの
「それよりも、この先のチャ……なんといったかしら?」
「
「そう。それを抜ける準備はできているのかしら?」
今、彼らが走る街道は
そのため
「とまあ、
逃亡計画を立てる際に、サタハは逃走経路となる
「でだ。だからこそ普通の道にはない余計なものが付いてくる」
この
「これが、俺たちにとっては関所になる」
そう説明され、ファラは自分がコステロ一座とともに
「当たり前だが、
「罪人には罪人の生き方があるわ」
サタハの皮肉にファラは澱みない声でそう答えた。そしてサタハの反応を待つことなく話を戻す。
「夜明けまで待つ時間があるとは思えないけれど」
計画では、トゥパク・ユパンキが自身の寝所に入る頃に
こうした懸念を冷徹に計算するファラの脳裏に、ルントゥを手駒として使い捨てることへの罪悪感は微塵もなかった。罪を罪と意識するのは
彼女の胸の底に、
この熱がある限り、彼女が彼女を罪する理由など、どこにもありはしなかった。
「迂回はできないの?」
ファラの質問にサタハは地図を出し、
「残念ながらお姫様、ここいらは
初代の王アヤル・カチが
「
地図をどう見ても、確かに横に逸れるような道は見当たらない。戻る選択のない道がまっすぐに伸びているだけだった。
「……そうなると」
そこでファラの視線が地図の上の
「罪を重ねるしかないってこった。なあ、お姫様?」
彼の態度にファラがすかさず訊ねる。
「――方法があるようね」
「お前が考えているよりも少しは穏当な方法だがな。しかし、ちっとばかし必要なものが出てくる」
そこでサタハはファラの白く細い手の指に視線を移して言った。
「それにはお前の手が必要だ。罪人の姫様よ――」
*****
北の言葉で交わされる二人の会話を耳に流しながら、ラパラは走る
(広い――)
無窮の夜空には星々の煌めきが満ちていた。その煌めきは星の河となって黒い山の稜線の影の中へと流れ落ち、そしてその下をくぐり抜けて溢れるように夜の底に横たわる一面の
世界は広漠としていた。もの心がついたときにはムガマ・オ・トウリとして、外界から隔てられた
(広いのだな――)
風が頬を切る。走る
(私はなにも知らない――)
未知なるものが衝撃とともにラパラの身体を襲い、馴染むように彼の肌へと沁み入ってくる。そしてそれらが自分の中にあるものを押し広げていく。ムガマ・オ・トウリという役割を捨て、ラパラとして見る世界のすべてが新鮮であった。その感覚は心地よくもあり、しかし同時に恐ろしいと感じるものでもあった。
(私は小さい――)
世界が広がれば広がるほど、自身の小さい身体の寄るべなさが、漠とした不安となって浮き上がってくる。けれど――、
「ラパラ」
声に振り向くと、気遣わしげにこちらを見る少女の白く美しい顔が、息の届く距離にある。
「
その熱が、感触が、自分の身体を包んでいる。
「
たとえそれが、どれほど罪深い鎖の繋がりであったとしても、どこまでも続く未知の世界の中で確かなものは、この身体を包む温もりだけだった。
ファラの左手がラパラの腰を抱き寄せ、互いの背中と胸が密に触れ合う。
二人の目が合う。ファラは微笑み、そしてうなずくと、まっすぐに前を向いた。ラパラは自分の腰を抱く彼女の手を握る。
(だから、大丈夫――)
そう願うラパラの想いは熱く、一心で――それ故に、その手が一瞬、スッとした冷たさに触れたことには気づかなかった。
(大丈夫――)
馬蹄が夜を裂く。その勢いは増すことも緩むこともなく、ただ淡々と、躊躇いなく、前へ前へと進んでいく――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます