第30話 愛は贖宥を求めずに

旅人トバルナか? こんな時間に珍しい」


 駅家チャ・ラキャの門上の櫓で夜番をしていたアトコは、松明を振りながらこちらに近づいてくる人影を見た。これに同僚のカリクマが声を上げる。


「誰か!?」

旅人トバルナです! 夜分遅くに申し訳ありませんが、宿をもらいたいのです!」


 カリクマの誰何すいかに女の声が返ってくる。よく見ると人数は三人で、松明を持つ女が一人と子供が二人いるようだった。彼らは荷物を載せた毛長馬リャルパを引きながら門の下までやってきた。


「親子か? 荘厳宮ハトゥ・ル・スラの方から、こんな夜中に訪れるとは、どういう理由か?」


 アトコが門下の女に問い掛ける。


「私はパリャと申します。こちらは息子のキスカと娘のラチャです。子供たちを侵した皮膚病クチュクチュの平癒を祈願に荘厳宮ハトゥ・ル・スラまで来たのです」


 パリャと名乗った女は、そう問い掛けに答えた。皮膚病クチュクチュとは皮膚が醜く爛れ、徐々に奇形へと変質していく難病である。この病に侵された者は肌を隠し、罹患者である事を示す証を身に付けることを求められた。他者に感染することが恐れられたからである。松明の陰になっているが、よく見れば連れている二人の子供は頭から外套を被り、わずかに見える手足も包帯で覆っている。なによりその胸元には皮膚病クチュクチュの証である夜行蜥蜴アイワナの絵が描かれた板切れが下がっていた。


「――ですが、雨雲の祭りルアオ・ライミが近づく時期に、太陽の御子インティプチュリ様の顕現の奇跡にあずかれず、どうしたものかと困っていたところ、人から北の砂漠を越えてくる珍宝に皮膚病クチュクチュに効く薬があると聞き及びまして、急ぎこの道を進んできたのです。そうしたらこのような夜にここへ着くことになってしまったのでございます」


 太陽の地インティ・パチャでは、重い病は長く続く雨にたとえられ、この雨を払う太陽には祓病の力があると信じられていた。そのため太陽の御子インティプチュリたるカパックの姿にまみえることは、太陽の神インティ・ル・アプの奇跡に触れると考えられ、この奇跡に縋るため荘厳宮ハトゥ・ル・スラには病からの救済を求める多くの民が巡礼に集まった。この駅家チャ・ラキャにも毎日、多くの荘厳宮ハトゥ・ル・スラを目指す旅人が訪れていた。

 アトコとカリクマは互いに顔を見合わせる。こんな時間に女子供がと思えば不審であるが、しかし彼女たちが悪意ある賊の類いとも思われない。


「どうする?」

旅人トバルナを受け入れるのが駅家チャ・ラキャの役目だ。だが、いくら事情があっても定められた理由以外で、夜に門を開けるのは王法カパク・ラウに背くことに……」


 王法カパク・ラウは、太陽の神インティ・ル・アプが人々のより良き暮らしのために、歴代の太陽の御子インティプチュリに授けた神託に基づいて作られた法である。王法カパク・ラウはこの地の人々にとって神意であり絶対のものであった。この親子を助けてあげたい気持ちはあるが、二人の立場ではできることは限られている。

 相談する二人にパリャが懇願の声を上げる。


「どうか宿をお願いします。子供たちは皮膚病クチュクチュで夜風に長く当たるのは辛いのです。せめて、せめてこの子たちだけでも中に――」


 地面に膝を突いて、子供たちのために切々と訴える母親の姿に、二人は大いに弱ってしまった。


「……仕方ない。ひとまず駅長チャクバ様に報告をして善処を願い――」


 そこに夜闇の向こうから馬蹄の響く音が聞こえてきた。


「開門! 開門!」


 二人が視線を上げると王の道カパク・ナーンの向こうから、そう大声を上げながら一騎の毛長馬リャルパが、松明を掲げて駆けてくるのが見えた。


伝令官チャスキか?」

我らが偉大なる王よりノチャ・ハトゥン・アプ至急の伝令・アキャ・カマチィ! 開門せよ!」


 騎乗の男は門下に駆け込んで来ると、そう呼ばわった。伝令官チャスキが王からの命令を携えたときに用いる定型句である。


印符トゥラを!」


 王の命令が偽造されるのを防ぐために、伝令官チャスキには王の印章を押されたトゥラと呼ばれる印符が下賜される。カリクマの要求に男は懐から印符の板らしきものを取り出した。


「アトコ」

「わかった」


 印符トゥラに押された王の印章が本物か確認するための半符クスゥラ駅長チャクバが持っている。駅長チャクバを連れてくるためにアトコは櫓から降りて、駅家チャ・ラキャの宿舎へと走っていった。


「……ところで、この者たちはなんだ?」


 伝令官チャスキらしき男は、傍らに跪くパリャたち母子の姿を見てカリクマに訊ねた。


「彼女等は……」

伝令官チャスキ様! どうか私たちをこの中へ――」


 カリクマが答える前に、パリャは身の上の事情を切々と男に訴えた。


「なるほど。それは難儀だな――」

「――おい、印符トゥラの確認を!」


 一通りの話を聴き終える頃、門の端に設けられた小窓が開いた。アトコが駅長チャクバを連れて戻ってきたのだ。


「こちらだ」


 男が小窓から差し出されたアトコの手に印符トゥラを渡す。駅長チャクバはアトコから印符トゥラを受け取ると、所持する半符クスゥラと合わせ、印符に押された王の印章――太陽を象った八角形の幾何学紋様とにズレがないか確認をする。


「――ふむ」


 駅長チャクバの目が細まる。そして印符トゥラから顔を上げ、アトコにむけて告げた。


「門を開けろ」

「開門!」


 アトコが命令を大声で復唱すると、他の衛兵が応じて門を開いた。伝令官チャスキが中へと入ってくる。


善き夜のヤク・トゥタ・出会いに感謝をアクチャ・アナイ伝令官チャスキのカマルパイ、夜分の出迎えに感謝致します」


 伝令官チャスキの丁寧な挨拶に、駅長チャクバも辞を低くして答える。


善き夜のヤク・トゥタ・出会いに感謝をアクチャ・アナイ駅長チャクバのクアンライです。職務ですのでその感謝は過分というものです。しかし、このような時間に伝令とは、よほどの急使であるようですね」

「その通りです。ここも毛長馬リャルパを換えたら、すぐに出立したいと思います。……ところで」


 カマルパイと名乗った伝令官チャスキは、門の外でこちらを見ている親子の方を振り返って言った。


「あちらのご婦人がお困りの様です。できれば中へ入れてやってはどうでしょうか? 王法カパク・ラウは、夜に定められた事情なく門を開けることは禁じていても、夜に開いた門を旅人トバルナが通ってはならないとまでは禁じていなかったかと」


 この提案に駅長チャクバは、アトコに親子の事情を聞くとうなずいて答えた。


「いいでしょう。特に害のある旅人トバルナとも思えない。おい、門を開けたついでだ。入れてしまえ」


 その命令を受けて、アトコは親子に門をくぐる許可が下りたことを告げる。


「よかったですね」

「ありがとうございます、ありがとうございます」


 パリャは大げさに手をすり合わせて何度も頭を下げ、二人の子供も遠慮がちに頭を下げた。


「しかし皮膚病クチュクチュの者は、他の旅人トバルナとの宿所を同じにできないのが王法カパク・ラウの定めです」

「存じております。寝る場所はうまやでも構いません」

「いや、専用の宿舎があるのですが……まあ、毛長馬リャルパもいますし、まずは厩へ案内しましょう」


 アトコが親子に言うと、それを聞いていた伝令官チャスキのカマルパイが後ろから声をかけてきた。


「なら私も案内してくれるか? だいぶ走らせたんでな、毛長馬リャルパを替えたいんだ」

「わかりました。駅長チャクバ様、よろしいでしょうか?」

「では、お前に任せよう。それではカマルパイ殿、出立の際にはまたご挨拶を」


 そう言って駅長チャクバは頭を下げると、宿舎の方へ戻っていった。


「では、こちらへ」


 アトコが案内に立って厩舎へ向かう。カマルパイを前に毛長馬リャルパを引いてそれに従う四人だったが、途中でカマルパイが足を緩め、後ろを歩く皮膚病クチュクチュの少女に近づいた。


「……さて、運よく案内も一人。ここまでは首尾よくきたな」

「これからでしょう――」


 他の誰にも聞こえずに小さくされたその会話は、太陽の地インティ・パチャでは耳慣れない異国の言葉で交わされ、


  ――罪は重ねど

  誰が我らを罰しよう

  愛は贖宥しょくゆうを求めずに

  罪は鎖で我らを結ぶ――


 少女が口ずさんだ異国の詩とともに、水底へ音もなく沈殿していく泥のように月のない夜の闇へと溶けていった。

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