第26話 死期

 わしは興奮状態が解けて、今まで麻痺していた感覚が全て戻ってくる。殴られた顔の痛み、蹴られて捻った足首の疼き、思いっきり蹴り挙げられた凄まじい内臓の鈍痛、何度も刺された背中の傷の痛み… それら痛みだけではなく、無理をして身体を動かした事による、全身の筋肉が悲鳴を上げている事や、足りない酸素による息苦しさ、また、喉を伝って込み上げてくる血が、その息苦しさをましていた。


 改めて見るまでもなく、わしの身体は本当にボロボロになっていた。


 そんなわしの身体を抱きしめ、テレジアはこれまでにない悲壮な顔をして大粒の涙を流し、必死にわしに呼びかけている。


「お爺様!! お爺様!!!」


 そのテレジアの様子からして、わしはもう助からないのであろう… わしは自身の死期を悟った。しかし、死期を悟ったわしは死に対する恐怖ではなく、悔しさや悲しさが込み上げてくる。


 わしは…わしは… テレジアを一人にしてしまうのか?…


 その時、玄関の扉が乱暴に開かれる。こんな時間に誰かやってきたのだ。誰だ? 騒ぎを聞きつけた近所の者か? それとも巡回中の衛兵か? しかし、それは意外な人物であった。


「レイチェルさん…お爺様が…」


 レイチェル嬢ちゃんがこんな時間に!? テレジアの為に駆けつけてくれたのか…


 なんとも嬉しい事か… どのような方法かは分らんが、テレジアの危機に駆けつけてくれる人がおったのじゃ… わしの代わりにテレジアの手を引いてくれる人がいるのじゃ…


「テレジア! まだカイさんは生きているのね!? 早く治療を!!」


 レイチェル嬢ちゃんがテレジアに指示を飛ばす。わしは落ち着きを取り戻したテレジアに寝かされる。


「待ってて! お爺様! 私がちゃんと治してあげるわ! 私、その為に今まで頑張って治療の腕を磨いてきたのだから!!


 テレジアは決意を秘めた瞳で、しっかりとした手つきでわしの治療を開始する。


 あぁ、ちゃんとテレジアは友人の言葉で気を確かに持つ事が出来ておる。大丈夫…もう大丈夫じゃ…


「テレジア! 背中の出血が酷いわ! このままだと失血死してしまうわ! そちらを何とかしないと!!」


「そうね! レイチェルさん、申し訳ないけど、お爺様を抱きかかえてくれる!? 私が背中の傷を癒すわ!!」


 テレジアは真剣な顔をしてレイチェル嬢ちゃんに指示を飛ばす。


「わかったわ!!」


 彼女はわしを持ち上げ、お互いに抱擁するように抱きかかえて、背中をテレジアが治療しやすいように向ける。


「お爺様…痛かったでしょ… 今すぐ治すから!!」


 そう言ってテレジアは必死にわしの背中の治療を始める。


「レイチェル嬢さんや…」


 抱きかかえてくれているレイチェル嬢ちゃんの耳元で小さく囁く。


「わしが死んだら…テレジアを支えてやってくれ…」


 わしは自身の死期を悟ってそう告げる。


「カイさん! 死んじゃダメです!! 頑張って下さい!!」


 彼女は抱きしめる腕に力を入れて声を上げる。


「テレジアは気丈に見えても、寂しんぼうじゃ…わしがおらんようになったら一人で生きていけんかもしれん…」


「カイさん…今テレジアが頑張ってカイさんの治療をしているから大丈夫ですよ!!」


 レイチェル嬢ちゃんは必死にわしに語りかけているが、だんだん聞き取りにくくなってきた。それでも、わしは伝えねばならんことがあった。


「わしは一人で頑張ってテレジアを育てにゃならんと思っていた…しかし、それはわしの我儘じゃったかもしれん、わしの方こそ、一人に成りたくなかったのかもしれん… だから、テレジアは皆が支えてやってくれ…わしの我儘から解放する時が来たんじゃ…」


「例えそうだとしても、テレジアは不幸ではなかったと思います。むしろカイさんとの生活に幸せを感じていたはずです。だって、こんなに必死にカイさんの命を繋ぎ止めようとしているのだがら…」


 彼女はわしだけ聞こえる様に小さく呟く。


 あぁ、意識が遠くなってきた…だが、わしの目にははっきりと映る。


 誰かがわしを迎えに来ておる… 誰かは分らんがなんだか懐かしい気配じゃ…


 そして、私の魂は身体から引き出された。


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