第25話 死闘 

 わしはチラリ肩越しに台所を見る。台所の中には色々なものがある。小麦や塩などを投げれば相手の目潰しになるかも知れんし、包丁を持てば、この狭い廊下では剣よりも戦いやすいかもしれん。


「おっと、台所に入ろうなんて思うなよ、台所に入った瞬間、階段を駆けあがって、お前の孫娘を膾切りにしてやる」


 よく見ておる奴じゃ…その上、かなり根性が捻り曲がっておる。わしのようなじじい相手にいたぶって遊んでおる様じゃな…


 しかし、どう攻めたものか… 蹴りに警戒して剣を下に構えれば、上から短剣が襲ってくる。剣を上に構えれば、下から蹴りが襲ってくる…


「長考もアウトだ、一分以上掛かって来ない場合も、娘を殺しに行く、おら、さっさと掛かってこいよ!」


 くっ、時間も与えてはくれんという事か、ならば、行くしかない!!


 わしは先程と同じように上段からの突きを打ち込む。刃よりまだ蹴りがマシというかんがえじゃ。


「同じ手かよ! 芸がないな!! じじい!!」


 男は先程と同じく一歩踏み出し蹴りを喰らわせてくる。しかし、わしも全く同じことはせん! そこから飛び跳ねて、男の顔面目掛けて頭突きを喰らわせる。


「グッ!!」


「っつ!!」


 わしも頭突きも当たったが、奴の蹴りも腹は避けたが足首に当たる。


「てめぇ!!じじい!! やりやがったな!!!」


 一方的にいたぶれると思っていたわしから反撃を受け、男は激高する。


「おらおらおらおらぁ!!!」


 男の両手から繰り出される拳が、わしの顔面を左右から捉えて振り抜いていく。


「おら!! 最後にもう一丁!!」


 男のつま先蹴りがわしの腹を捉える。


「ぐはぁっ!!」


 あまりにもの激痛に意識が飛びそうになる。でも、ダメじゃ、このまま後ろに飛ばされたらわしは台所まで飛ばされてしまう。そうなれば、テレジアが…テレジアが!!!


 わしは足の裏を床に付けてぐっと踏ん張る。先程の蹴りで足首がズキリと痛むが、顔や腹の痛みに比べたら屁でもない。


 すぐさま、無事な方の足首で踏ん張り、男に向かって飛び掛かる。猛烈な痛みもあるが、テレジアの事を思えば、痛みも忘れられるし力も湧いてくる。


「ふん!!」


 相手もラッシュで息が上がっているはずじゃ、わしは今度は下からの切り上げを行う。息が上がった直後の一撃だったので、男は完全に躱し切ることが出来ずに腕をかすめる。


「じじぃぃぃぃ!!!!」


 男のストレートがわしの頬を打ち抜き、口の中に血の味が広がる。


 意識が飛ぶ…いやダメじゃ! 戦え! 抗うのじゃ!!!


 わしの頬を打ちぬいた腕が目の前にある。わしはその腕目掛けて齧りつく。


「じじぃぃぃ!!! 何しやがるんだ!!!!」


 わしは男の腕を噛み千切る勢いで、顎の力を増していく。男も流石に頭に血が上ったようで、わしに短剣を突き立てて振り下ろしてくる。わしは振り上げた剣でそれを受け止める。


 そして、わしが男の片腕を噛み、もう片腕を剣で受け止めるという膠着状態が始まる。


 とは言っても、わしは歳終えたじじいで、相手はまだ若い。筋力の差は歴然である。徐々にわしを突き立てようとする短剣が近づく。


「ちくしょう!!! じじい!!! 放しやがれ!!!」


 男は力を込めてわしの噛みつきに抗おうとするが、わしはそれ以上の力で男の腕を噛み千切ろうとする。わしの歯にメリメリと男の皮膚を食い破っていく音が聞こえてくる。


 しかし、わしの背中に激痛が走る。力負けして男の短剣が背中に刺さったのじゃ


「ぐっ!!」


 わしは男の腕に噛みついたまま身もだえする。そして短剣を押し返そうと腕に力を入れる。一時的に短剣を背中から離す事に成功するが、すぐに力負けしてまた別の場所に短剣が刺さる。


 わしはその痛みを堪える為に、男の腕に食らいついたまま、歯を食いしばる。


 メリメリメリ…


「つぅ!!! いてぇ!!! 放せっていってんだろ!!!」


 わしの歯が男の皮膚を食い破り肉へと届き、男が痛みの為に声を上げる。


 その代わりに、わしの背中にブスブスと短剣が何度も突き刺さる。


 わしもその痛みに堪える為に、歯を食いしばる。



 ブチンッ!!


 

 突然、わしの歯が噛み合わさる。男の腕の肉を噛み千切ったのじゃ


「てめぇぇぇ!!!!!」


 しかし、男との距離が空いてしまった為に、男の前蹴りがわしの腹を捉える。


「ぐはぁっ!!!!」


 血液交じりの胃液が口から男の腕の肉片とともに飛び出る。



カランカラン…



 あまりにも痛みに剣を手放して、腹を抱えて床に蹲る。


 ダメじゃ…これは内臓がいっておる…


「もうてめぇは…絶対に許さねぇ… バラバラに引き裂いてやる!!!」


 男がそんな事を言ってくるが、わしは痛みで立ち上がることが出来ず、頭を伏せたままだった。


「いや…それだけじゃ俺の怒りは収まらねぇ!!! 先に娘の方からバラしてやるとするか、お前の目の前で腹を掻っ捌いて、内臓をぶちまけてやんよ!!」


 わしは男のその言葉に、はっと頭を上げて立ち上がろうとする。


 しかし、膝は痛みと疲労の為かプルプルと震えて中々身体が持ち上がっていかず、腕も鉛に変わってしまったかのように重くて持ち上がらない。



 だが、わしは立たねばならん!! 


 どうしたわしの足よ! あんなに各地を歩き回っていたのに…


 どうしたわしの腕よ! あんなに荷物を担いでいたのに…



 確かにわしは手足を酷使してきた、そして年老いて、手足もやせ細り、枯れ枝のようになってしまった…


 でも…でも…ここで立たねばならんのじゃ…わしが立たねばテレジアに刃が掛かってしまう


 わしのそんな思いとは裏腹に、身体はもう立ち上がるのが精一杯じゃった。もはやわしに抗う術はなかった… また、失血の為か、視界も意識も遠のいていく…



 これで終わるのか? これで終わっていいのか?


 わしは頑張った… 本当に死に物狂いで頑張った…


 その結果がこんな終わり方でいいのか…


 あぁ…神よ!! わしはテレジアの花嫁衣装が見たいと願ったが、そんなものはもういい!


 わしはもうすぐに死んでもいい!!


 だから、わしに…このわしに、この男と抗う力をお与えください!! 


 

 その刹那!!



「ぐはぁっ!!!」



 男の腹から刃が生えている。男は突然の激痛の為か短剣を落とし、身体を仰け反らせる。



 今だ!! 今、この時しかない!!! 動け!!! 動いてくれ!!!



「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」



 わしは獣のような雄たけびを上げながら、最後の力を振り絞って男に全身を使って体重を掛けて殴りかかる。


 ブチブチと筋繊維が切れるような感覚がある。でもお構いなしじゃ!!!


 ビュービューと傷口から血の吹き出す感覚がある。でも、どうでもいい!!!


 わしはこの一撃に全てを掛けて、男に殴りかかる!!!



 パキュッ!



 わしの拳は男の喉に突き刺さり、拳の先で男の喉が潰れる音が響いた。



 クヒュー…



 男の口から通常ではありえない、空気の漏れる音がする。


 男はゆっくりと水柱が水面に呑み込まれるように床に崩れ行き、ぴくぴくと痙攣を起こす。


 その男の後ろには、わしが以前プレゼントした短剣を握りしめたテレジアの姿があった。



 あぁ…あの時のプレゼントをちゃんと持っていてくれたのか…これでテレジアは助かったのじゃ…



 わしの身体は急激に力を失い、男と同じように床に吸い込まれていく。



「お爺様!!!」



 その身体を受け止める様に、テレジアがわしに抱きついてきた。



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