第21話 祈り

 それから月日は流れ、テレジアは子供から少女へと、身も心も共に大きく成長していった。じぃじとわしの事と呼んでいた口調も、教会のシスターの指導のお陰でお爺様と呼ぶようになった。お爺様と上品に貴族らしく呼んでくれるのは嬉しいことだが、昔の様にじぃじと親しみを込めた呼び方をしてくれなくなったのは何だか寂しい気もした。


 また、テレジアの成長に伴い、テレジア自身の恥ずかしさもあったが、物理的にももう抱きかかえてやることは出来なくなった。身長も少し前までは、なんとか背筋を伸ばせば勝てたが、今では背筋を伸ばしてもテレジアの身長に勝てなくなっていた。テレジアは本当に大きくなった。


 容姿に関しても子供らしい可愛らしさから、少女になって女らしさが芽吹き始め、今ではわしの身内びいきを差し引いても、誰しもが見惚れるほど美しくなった。アイヒェルの妻のマロンの面影もあるが、ティアナの面影も色濃くでていた。時々、若くなって生き返ったティアナが現れたのかと、涙が滲む時もあった。


 勉学に関しても、わしを楽にさせたいという思いから必死になって努力を積み重ね、また教会のシスターからも手ほどきを受け、治療術を身に付けた。


 そして、収入の足しになるようにと若くして治療院での手伝いを始め、そんな二足草鞋の状態でも勉学に励み、あの難関と言われている帝国の学園にも合格して入学することができた。


 わしは確かにテレジアの為に精一杯働き、衣食住の環境を用意してやることができたが、わし自身、テレジアの教育に関しては、テレジアが幼い時は教える事ができたが、大きくなってからは教える事が出来なかった。それでも、勉学を続け、学園に入れたのはテレジア本人の資質による所が大きいであろう。


 本当にテレジアはよい娘に大きく育ってくれた。


 その反面、わしの方は更に年老いて言った。去年まで容易に出来たことが、段々と困難になってくる。目も霞んで老眼が酷くなり、書類を読むのも一苦労になってきた。また、どれだけ歩き待っても何ともなかった足腰も段々と悲鳴を上げる様になってきた。


 また、最近、酔っぱらいが騒動を起こすことが多くなった。しかし、わしが仲裁に入ると何故が、どいつもこいつもわしに襲い掛かってくる。最初はどこかの流れ者のだと思っていたが、そいつの訛りがアドリー領の者であった。どうやら、テレジアの噂を嗅ぎつけてトビアスが良からぬ事をしでかしているのかも知れない。わしはそいつらの対応の為に怪我をする事が多くなり、また身体も悲鳴を上げていた。


 なので、カナビスの所へ薬を貰いに行くのが習慣になって来ていた。


「カナビス、薬を貰いに来たぞ」


「いらっしゃいカイちゃん、でも、薬は先週渡したばかりだろ? もう使ってしまったのかい?」


 カナビスもわしが帝都に来た時はまだ色のある髪が残っていたが、今ではもう真っ白になっていた。


「あぁ、今年の春は中々暖かくならんで、冷え込んでいたからな、冷え込むと関節が軋みよるわ」


「カイちゃん…いつまで続けるつもりなんだよ…」


 カナビスが心配した表情でわしを見つめる。


「いつまでって、テレジアが嫁に行くときまでじゃ」


「テレジアちゃんが嫁に行くときって…カイちゃんもう俺達71だぜ? いつ死んでもおかしくない歳だ、テレジアちゃんも治療院で働いているから、そんなに頑張って衛兵の仕事を続けなくても大丈夫だろ? もう少し楽な仕事をするか隠居してもいいと思うぞ」


 カナビスは薬の使用頻度からわしの健康状態を心配して言ってくれているのであろう。


「いや、そうは行かん。わしの最後の使命は、テレジアの結婚式の時に、バージンロードに連れ添い、相手の新しい家族、アスラーのウリクリ家の元に引き合わせる事じゃ。それまではわしも死ねんし、テレジアにもしもの事があってもならん。だから、わしはこの街ごとテレジアを守らねばならんのじゃ、だから後三年…あと三年だけ持てばいい…」


 わしの話にカナビスはべそをかいていた。


「カイちゃんがそこまで言うのなら、俺はもう何も言わねぇ… しかし、テレジアちゃんの結婚か…テレジアちゃん、えらい別嬪になったからなぁ~ 小っちゃい時にカイちゃんから誕生日プレゼントに、短剣を貰って、私、冒険者に鳴らなくちゃいけないの?とべそかいていたのが昨日のようだよ…花嫁姿もさぞかし美しいだろうよ」


 テレジアが幼い頃に誕生日プレゼントとして何を渡して良いか分からなかったわしは、とりあえず、難にでも使える短剣を買って渡した事があった。その時に、テレジアはわしから冒険者になるようにと言われたような気がしたらしくて、カナビスの所に泣きながら相談しに行った事があった。


 あの時は、流石にカナビスもそれはねぇわと言われたが、今になってはこれも良い思い出の一つである。その後、あの短剣を見ておらんが、守り刀として嫁に持って行ってくれれば良いが…


「そうじゃ、その隣で手を取って、相手の新郎に届ける事が、わしの今までの褒美じゃ、羨ましいじゃろう」


 わしはにっこりと微笑んで答える。


「その時は、俺にも見せてくれよ、カイちゃん」


 そう言ってカナビスは薬を渡してくれる。


「あぁ、是非ともテレジアのべっぴんな所を見てくれな、じゃあな」


 そうしてわしはカナビスの店を出た。その後、テレジアを迎えに行く前に教会でお祈りをするものわしの習慣になっていた。


 わしはシスター達に挨拶をすると礼拝堂の奥へと進み、いつも通りに膝をついて祈る。


 今まではテレジアの幸せだけを祈っていた。しかし、人間というものは生きていれば様々な欲望が湧いて出てくる。


「神様、神様のお陰でテレジアは立派に成長いたしました…ありがとうございます。引き続き、テレジアが幸せな人生を送れるようお願い致します…後…」


 わしは顔を上げ、祭壇のシンボルを見上げる。


「後…あと少しだけ…テレジアが結婚式をあげるその日まで…わしの命を生き永らえさせてください… テレジアに新しい家族が出来れるその日まで… どうか…どうかお願いします…神よ…」



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 カイが店を立ち去った後、店の奥からカナビスの娘が出てくる。


「お父さん、またカイさんに多めに薬を渡したでしょ、儲からないから程々にしてよ」


「何言ってんだ、カイちゃんは俺の大恩人で俺の憧れの英雄なんだ! 薬ぐらいでケチケチ言うなよ」


 カナビスはむっとした顔で娘に反論する。


「恩人っていっても昔の事だし、憧れっていっても、お貴族様から落ちぶれて今はただの衛兵でしょ」


 娘のカナビスに似たむっとした顔をする。


「分かってねぇ、なんも分かってねぇよ、お前は… 俺がカイちゃんの元から去る時に、カイちゃんは持ち金の中から三分の一をきっちり渡してくれたんだ、そのお金で当時潰れそうになっていた店を持ち直す事が出来たし、俺もジャスリンと結婚できた。そうじゃなかったらお前は産まれてこなかったんだぞ?」


「それは何度も聞いたわよ…」


「それだけじゃねぇ…カイちゃんがこの街に来た時、テレジアちゃんの為にあんな歳になっても必死になって働くカイちゃんの姿に感銘を受けたんだ。俺も隠居なんかしてられねぇって… そうでなければ、今頃、ボケて寝たきり老人になっていたところだぞ? お前、俺がそんなのになっていてもいいのかよ」


「……」


 流石に娘も押し黙る。


「それにな、貴族じゃなくったて、今のカイちゃん、凄くてカッコいいじゃないか、カイちゃんはよぅ、この街ごとテレジアちゃんを守ってんだぜ… カイちゃんが来てくれてから本当に治安が良くなって住みやすい街になった… もっとカイちゃんが早くに来てくれていたら、お前も未亡人のならずに済んだのが残念だがな…」


「そうよ…カイさんはこの街に来るのが遅かったわ…」


「でもよ…お前の娘は同じ思いをしなくて済むだろ?」


 カナビスの娘は少し無言で目を伏せた後、小さく頷いた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 

 火鉢の上のポットがピーっと音を立てる。


 わしはその音で、随分長い間、昔の事を思い出していた頭をハッキリとさせる。


 わしは火鉢からポットを降ろし、その中に自分で作った茶葉を入れる。そして、暫く蒸らせた後に、いつもの木製のマグカップにお茶を注ぐ。


 ポットもマグカップもわしと同様でかなり年季が入って、わしの皺のように細かい傷が多くなってきた。しかし、その傷の数だけ思い出がある様に思えて、中々買い替える事は出来なかった。


 わしは、お茶を啜ってほっこりとする。


「さて、テレジアを迎えに行くとするか…」



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