第19話 テレジアの教育
家に入居してから何週間か経った。掃除はとりあえず済んだものの、布団が臭くて使いものにならんかったり、雨漏りがしたり、隙間風が入ってきたりと、物理的な問題は様々にあった。それらは時間がある時や、金に余裕が出来たら少しづつやっていけば良いと考えた。
ただ、問題は他にもあった。わしが夜中に小腹が減って一階の台所に向かった時である。台所からすすり泣く声が聞こえてきた。わしは側にあったほうきを握りしめて台所の中に入る。すると、部屋の中央、首吊りがあった場所に数人にすすり泣く姿が見える。
「誰じゃ!!」
わしはほうきを構えて、人影に声を飛ばす。するとその人影は一斉にわしに向き直る。
「ここは私たちの家…あなたこそ誰だ…」
青白く生気の無い悲壮な顔をして、わしに声を掛けてくる。よく見ると薄っすらを透けている様に見える。
「もしかして、この家の前の住人なのか!? わしはこの家の新しい住人じゃ!」
剣と魔法のこの異世界に来たわしじゃったが、こんな幽霊など見るのは初めてじゃった。まぁ、そう言っても、わしは各地を巡っていただけで、古墳や墓所を探検したことが無いのでしょうがないが…
とりあえず、幽霊という事でわしも大層、肝を冷やしたが、わしもティアナの結婚指輪まで売って漸く手に入れたこの住み家、幽霊如きに怖がって逃げ出す訳にはいかない。
「お前さんたちの話は聞いた! 気の毒じゃと思うが、わしも孫娘と二人生きていかなくてはならん! だから、わしはこの家から出ていくわけにはいかんじゃ!」
わしはほうきを構え直す。だか、幽霊の反応は予想外であった。
「そうですか…貴方も苦労なさっているのですか…それに私たちの事を気の毒と思って下さるのですね…」
そう言うと、さめざめと父と母と娘の三人の幽霊が再び泣き始める。わしはその様子に拍子抜けして構えていたほうきを降ろす。
「わしもお前さんたちが、一家心中したとしか聞いておらん…何があったのか詳しく話してみぃ」
「そうですか…私たちの話を聞いて下さるのですね…」
こうして、わしは幽霊の話を聞く事になった。
「そうか…それはほんに辛いのう…悲しいのう… 分かる分かるぞ…悲しみが…」
「あなたこそ、大変な目に合われたのですね… その御歳でお孫さんを守るために…」
いつの間にか幽霊と不幸自慢の様な話をしておった。
「では、時間になりましたので、私たちは一度消えます…また、お話を聞いて下さい…」
「えっ!?時間!?」
ふいに幽霊の姿が消えた。気が付くと、窓の戸の隙間から朝日が漏れていた。
「あちゃー、これから仕事じゃというのに、徹夜してもうたわ」
こうして、時々、幽霊の話を聞く事になった。
仕事の方は、出来るだけ担当地区の住民には挨拶や声かけをするようにした。というのも、治安を守るためには住民の事を知らなければならないし、そもそも、わしもこの地区で暮らしていくことになるので、言わばご近所さんという事になる。わしの事がここの住民に気に入られれば、それはわしの孫娘のテレジアも気を掛けてもらう事になる。逆にわしが嫌われれば、わしの知らぬ所でテレジアがいじめられることになるであろう。注意が必要じゃ。
また、わしは犯罪者の取り締まりに関しても積極的に行った。この地区で悪さをするという事は、テレジアも被害者になる危険性があるという事。つまりここの治安を守るという事はテレジアを守るという事にも繋がるのじゃ。怖気づく事も出来んし、些細な悪事も見脱がす事は出来ん。
また、テレジアに関しても、いつまでもカナビスの行為に甘える訳には行かんし、ちゃんとした教育も受けさせねばならん。そこのところを地区ですれ違う子供連れの方にも声を掛けて相談してみる。その市民の方から聞いた話では、この辺りの子供は教会で子守や教育が受けられ、お金に余裕がある場合には、ちゃんとした学校もあるそうだ。やはり、世の中、金じゃのう…
当然、今のところは金に余裕のないわしは教会に頼る事となった。話を聞いて仕事が終わったあと、テレジアを連れて教会へと向かう。
教会では乳飲み子から上は12歳ぐらいの子まで数多くの子供がおった。実際の所は物を教える学校の代わりというよりかは、孤児院や託児所に近い物であった。
ただ孤児院や託児所と言っても国から補助金を貰っている教会であるので、教会のシスター達から指導を受けており、街をうろついている手の付けられない悪ガキどもに比べて、素直で大人しい子供が多い。わしはその様子に胸を撫でおろした。
猿山のような状態であればテレジアを預けるのは躊躇われるが、この様子ならテレジアを預けても大丈夫であろう。わしはシスターに声を掛けて仕事中、テレジアを預かってもらう事と、教育をしてもらう事をお願いする。そして、侘しい懐の中から、ほんのわずかな心付けを渡しておく。本来は無料であるが、少しでも金を渡しておけば、テレジアに目を掛けてもらう事ができるじゃろう。
「テレジアや」
「なあに? じぃじ」
子供たちをきょろきょろと見回していたテレジアは、わしを見上げる。
「明日からはカナビスの所でなく、ここで勉強をしながら、わしが迎える来るのを待つことになるがよいか?」
「うん、大丈夫だよ」
テレジアはにっこりと微笑んで答える。テレジアはあまり他人に対して物怖じをしない。それは悪意を持った人に関わった事がほとんどなく、皆から愛されていたからじゃ。こういう時に今までテレジアの周りにいた人々に感謝の気持ちが湧いてくる。ありがたいことじゃ。
そんな気持ちが湧いてくると、はたと教会の礼拝堂が目に留まる。
アドリー家の財産を奪われ、館を追い出された時は天を仰ぎ、神を呪ったが、今こうしてわしとテレジアを助けてくれる人々に巡り合えたのも、神のお陰であろう。
わしは神に許しと感謝を伝える為に、礼拝堂へと向かう。
そして、祭壇のシンボルの前に膝をつき、気持ちを込めて神に祈る。
「あの時の無礼をお許しください。そして、わしらを導いて下さったことに感謝を…」
わしは祈りを終え振り返ると、テレジアも膝をつきお祈りをして居った。
「わしもお祈りをしたよ、じぃじがいつまでも元気でいますようにって」
わしは心が暖かくなってきた。
捨てる神あれば拾う神あり、この孫娘に幸多からんことを…
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