第15話 公爵の悔恨

 アスラーが扉を通り部屋から退出しようとしたカイに言葉を掛けようと口を開いたが、アスラーに忠実な執事が扉を閉めて、アスラーの視線からカイの姿を扉で遮ってしまう。


 アスラーは見えなくなったカイの為に開けていた口を閉じ、視線を落として机の上に置かれたペンダントを見つめる。


 カイはこのペンダントをアドリー家の家宝だと言っていたが、アスラーが公爵家の当主であることを除いても、そのまでの価値のあるものには見えなかった。ただ、なんども人の手が触れてすり減った装飾の鋭角部分から、装飾品の価値以上に思いが込められた品である事は分かった。


 その事を感じ取ったアスラーは歯を食いしばる。


「アスラー様、この後はお茶の時間でございます。本日のお茶は何に致しましょうか?」


 アスラーの忠実な執事が恭しく頭を下げて、今日の茶葉の銘柄を尋ねてくる。


「いらぬ…」


「は?」


「だから、いらぬと申しておる! それにこの後の予定も全てキャンセルだ!」


「し、しかし…重要な案件もございますので…」


 突然大声をあげたアスラーに、忠実な執事は動揺を見せる。


「聞こえぬのか!! 私は一人になりたいのだ!! お前も出ていけ! 何者もこの部屋には入れるな!!」


 普段から声を荒げる事のないアスラーが、唐突に雷鳴のような怒声を上げて怒りで顔をゆがませる。その様子に忠実な執事はすっかり肝を冷やし、ガタガタと身体を震わせながら、普段の恭しさは忘れて慌てて部屋を退出していく。



 部屋から追い出された執事は、突然のアスラーの態度の豹変に訳が分からず、困惑してあたふたとしていた。


「あら、どうしたのよタステン、貴方がそんなに取り乱すなんて珍しいわね、一体どうしたのよ」


「こ、これはパールディ奥様!」


 取り乱す執事に声を掛けたのは、アスラーの妻のパールディ夫人であった。


「そ、それが…アスラー様に古い友人と申される方が面会されまして、その後に突然、アスラー様が今まで見せたことの無いような怒りを露わになさりまして、もう、私はどうすれば良いかと…」


 執事の話を聞いた夫人は、古い友人という言葉に、結婚した当時の若いアスラーが話してくれた昔話を思い出した。


「わかったわ、私はアスラーの所に行って理由を聞くわ」


「しかし、奥様、アスラー様は誰も部屋に入るなと」


「大丈夫よ、私はアスラーの妻なのよ」


 パールディ夫人はしずしずとアスラーの執務室へと向かい、その扉をノックする。しかし、返事はない。夫人は躊躇いもなく扉を開けて中に進む。


「誰も入るなと言ったであろう!」


 すぐさまアスラーの怒声が響くが、夫人はその声よりもアスラーの姿を見て驚いた。


 アスラーは泣いていたのだ。それも嗚咽を漏らしながら大粒の涙を流していた。


「あなた! どうしたのよ!?」


 いつも石像のように凝り固まった仏頂面をしていたアスラーが、このように表情を崩して泣いている事に夫人は困惑した。


「な、何でもない…お前には関係のない事だ…」


 アスラーは涙を流しながらも取り繕ってそう述べる。


「関係ない事はありません、私は貴方の妻です。結婚の時に苦楽を共に分かち合うと約束したのはお忘れですか?」


 アスラーは約束という言葉には、敏感であった。上の者が約束を守らなければ、下の者まで約束を守らないようになり、組織が腐って崩壊するからだ。だから、アスラーは覚悟を決めて話し出す。


「私は…私は自分が恥ずかしいのだ…」


「自分が恥ずかしいってどういうことですの? 古いご友人が尋ねてこられたと聞いたのですけど…」


「カイ殿の事だ… カイ殿のアドリー家はカイ殿と孫娘以外のものが全員亡くなられ、その上、親族に財産を全て奪われてしまったのだ…」


「まぁ、カイ様がそんなことに…」


 パールディ夫人は直接、カイにはあったことが無かったが、若い時にはアスラーが良く話してくれたので、親近感を持ち、全くの他人ごとの話とは思えなかった。


「そんなカイ殿が私の所へ訪れた…私は、他の当てがなくて私の所に金の無心にでも来たものと勝手に思っていたのだ… 私は傲慢にも、昔のよしみで愚痴ぐらい聞いてやり、手切れ金としていくらか金を渡してやろうと考えた… そして、いつ金を話をするのかと思いながら、カイ殿の話を聞いていたのだ…」


 パールディ夫人は無言でアスラーの話を聞いていた。


「だが、カイ殿は金をくれとは一言も言わなかった。それどころが逆に大切品を渡して、カイ殿を見下していた私を信頼して、大切な孫娘を私に託したい、ウリクリ家に嫁がせたいと、こんな私に土下座までして頼んで来たのだ… そこで、初めて気が付いたのだ…」


 アスラーはハラハラと涙をながし、拳を握り締める。


「人は私を中興の祖と呼ぶが、何が中興の祖だ! あの時、カイ殿はカナビス殿が去り、私まで彼のもとを去れば仕事が立ち行かなくなるのに、私の事を案じて、あまりない貯えから、転移魔法陣の使用料や、私が恥ずかしい思いをしないように、新しい貴族の服装まで買い与えて笑顔で送り出してくれたのだ。そもそも、始めて出会った時に、カイ殿が拾ってくれなければ、私は野垂れ死んでいたというのに… その人生と命の大恩人を、傲慢にも金の無心に来た古事記の様に見下していたこの私が、中興の祖と讃えられるような人物であるものか!! 私はなんと恩知らずで恥知らずな人間なのだ…」


 アスラーは両手を顔にやり、咽び泣く。


「アスラー…」


 パールディ夫人はそのアスラーの肩に手を添える。


「漸く昔のアスラーに戻ってくれたのね… 貴方は最初は気さくで優しい人だった。でも、領内に残る兄派の人間に、揚げ足をとられないようにするために、次第に警戒心が強くなり、人を信用しない人間になっていったわ… 側で見ていた私は、貴方が冷血漢になってしまったと思っていた…でも、ちゃんと暖かい血が流れていたのね…」


 夫人はアスラーがカイにしてしまった態度もその理由も分かっていた。彼を取り巻く環境がそうさせてしまったのだ。アスラーには取り入ろうとするものや、取り入って彼を騙そうとする人物が多くいた。だから、彼の態度は普段なら問題がなかった。しかし、その都度、彼の人間性が損なわれていくような懸念を夫人はいつも抱えていた。


 だが、今回は普通ではなかった。本来はアスラーにとって特別な人であった。


「私はどうすればいい、なんと彼に償えばいい… 私は…私はあまりにも傲慢では恩知らずで恥知らずな罪を犯してしまったのか… 私はなんと詫びればいいのか…」


「アスラー… 分かっているのでしょ? カイ様が何を望んでおられたのか…」


 パールディ夫人の言葉に、アスラーは顔を上げる。


「パールディ… 息子のガネルと孫のウルグを呼んできてはくれまいか」


「えぇ、わかったわ、アスラー」


 そして、パールディ夫人はアスラーの言葉通りに執務室に息子のガネルと孫のウルグを連れてくる。その時にはアスラーは涙を拭い、いつもの厳格なアスラーに戻っていた。


「ガネル、ウルグよ、ウルグはアドリー家のテレジアとの婚約を結ぶことになった。正式な婚姻は成人した時とする」


「ちょっと、待って下さい父上! ウルグはジュノー家との婚約を結び、悲願のウリクリ、ジュノーの両家の統合を図るのではなかったのですか?」


 急な話にガネルが声をあげる。


「ジュノー家との婚約など他の物でも良いだろう。それよりもウルグよ」


「はい! お爺様!」


 ウルグは緊張してか、ビシッと背筋を伸ばして答える。


「テレジア嬢に相応しい立派で強い男になれ、そして、彼女を幸せにしろ! わかったな!」


「はい! わかりました! お爺様!」


 ウルグは少し顔を赤らめながら答えた。



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