第09話 あるべき所

 わしらはあの山でのビバークから更に五日間程、森を彷徨い、漸く森を抜けた。目前に広がるロラード領のどこまでも続く、青々とした麦畑が見えた時には二人して涙を流して感動した。


 それから村に辿り着くまで1日、またそこからロラード家と連絡がとれる街まで三日掛けてなんとか辿り着いた。


 その街でロラード家の商館に行き、事情を説明するが、わしらは森の中で一か月以上もサバイバル生活をしており、薄汚れた姿であったので、すぐには信じてもらえなかった。しかし、ティアナが俺に渡したペンダントの紋章を見せると、漸く事態を呑み込み、ティアナがアドリー家の人物であると信じてもらえ、すぐに本家まで連絡をとってもらった。


 その連絡が帰って来るまでの間、わしらはその商館にお世話になるのだが、綺麗に洗濯されて清潔な服よりも、塩とバターの入った食事が何よりの喜びであった。


「塩とバターの効いた料理がこんなに美味しいだなんて、産まれてこの方初めてですよ」


「あぁ、途中から塩が尽きて、塩分と言えば、血の入ったハギスぐらいだったからな」


 わしらは商館の人間が驚くほどの量の、塩とバターの効いた料理を食べて、その後は安心して泥沼の様に眠った。次に起きたのは十分睡眠をとったからではなく、腹が減ったから起きて、再び商館の人間に食べ物を強請った時は流石に呆れられた。


 そして、一日が過ぎたころ、商館の前に一台の馬車が止まる。中から、貫禄のある老執事が姿を現す。


「ここにアドリー家の人物が保護されたと聞いて駆けつけたのですが…」


 知らせを受けたティアナはすぐにその執事の元へと向かう。


「アーベル! アーベルじゃないの!」


 ティアナは顔をぱっと開いてその執事の名を呼ぶ。


「ティアナお嬢様! 本当にティアナお嬢様ではありませんか!!」


 ティアナが執事の胸に飛び込み、執事がそれを抱きしめる。


「お探ししておりました… お嬢様の姿が消えてからもう二が月…諦めそうになる時もございましたが、こうしてティアナお嬢様に再びお会いできるとは…」


「アーベルや皆には心配をお掛けしました…でも、こうして私は戻ってまいりました…」


「あぁ、ティアナお嬢様、そのご尊顔をこの私に拝見させて下さい」


 ティアナは顔を胸から上げ、アーベルを見上げる。


「あぁ、おいたわしや…こんなにやつれてしまって…でも、ティアナお嬢様…確かにティアナお嬢様だ…」


「アーベル、こちらにおられるカイ様のお陰で、私はこうして無事に戻ることが出来たのです」


 ティアナがわしをアーベルに紹介する。


「こちらの紳士が? あぁ、ありがとうございます!!」


 アーベルはわしに近づき、両手で私の手を握りしめる。


「貴方様のお陰で、再びティアナお嬢様と再会することが出来ました。アドリー家当主のテオドール様に代わってお礼申し上げます!!」


 執事のアーベルの様子からして、ティアナはアドリー家でとても大切に慕われている事が良く分かる。単なる放蕩娘であれば、愚痴の一つも言われるところであるが、アーベルの口から出るのは、再会の喜びの言葉だけだ。


 ティアナはわしとは異なり、帰る家も、帰りを待つ家族もいるのだ。


「さぁ! ティアナお嬢様、急ぎアドリー領の館へ戻りましょう! 当主のテオドール様も、母上のテレーゼ夫人も、弟君のトビアス様も、皆、ティアナお嬢様もお帰りを首を長くしてお待ちです!」


 ティアナはその言葉にわしの方をチラリと見る。


「あぁ、そちらのカイ様も当主自らお礼を述べたいと仰っておられました。またティアナお嬢様を届けて下さった報酬も支払いたいと」


 ティアナはその言葉にほっと胸を撫でおろして、わしに向かって笑顔をつくる。


 そして、わしらはアーベルの乗ってきた馬車に乗り込み、アドリー領へと向かう。アドリー領へは、一路、この街の近くの領都のローダムに向かい、そこから転移魔法陣を使い、帝都ナンタンに向かう。そして帝都ナンタンから、アドリー領の領都アドリーに向かう。


 馬車の中のティアナは、久しぶりの館の者であるアーベルに会えたことや、また、これから無事に家に辿り着き、家族に再会出来る事で喜びに満ち溢れていた。


 その反面、わしは、馬車がこの旅の目的地に近づくにつれ、物悲しさを感じていた。いや心辛いと言った方がいいだろうか。目的地の到達イコール、この旅というか使命の終わりであり、それは、ティアナとの別れを意味する。


 わしはあの時、ティアナと気持ちが通じ、心が通い、そして身体を重ねた。だが、わしは風来坊で、ティアナは貴族の御令嬢。わしが側にいる事は叶わない。そう思うと、あの時の記憶が霞がかった遠い昔の事の様に思え、まるで夢でも見ていた気分になる。


 しかし、夢から目覚め始めて現実が目前に迫ってくる。わしは前世の三保ノ松原に伝わる天女伝説を思い出す。ティアナは天女だ。天女は天に帰るべきだ。ただの人間が天女を娶って大地に縛り付ける事なんてできない。


 花は野にある様に、天女は天にある様に、あるべき者はあるべき所へ…


 ティアナは時折、わしの顔をチラリと見ていたが、アーベルと家族の話で花を咲かせていた。そして、馬車は目的地のアドリーのティアナの館に辿り着いた。


 馬車の到着と共に、ティアナの父親で当主と思われる人物が玄関から飛び出してきており、その後に母親らしき人物、また、家の使用人たちが館から溢れ出てくるように飛び出してくる。本当に愛されているのだ、ティアナは…


「お父様!!」


 ティアナは馬車の扉が開くなり、父親の胸に飛び込む。


「おぉ!! ティアナ!! ティアナァァ!! よくぞ無事で戻ってきた!!!」


「お父様!! 本当にご心配をお掛けしました!!! 私は…私は…帰ってまいりました!!」


 ティアナは流れる涙を父親の胸元で拭うように顔を埋める。


「あぁ!! ティアナ!!! 私のティアナ!! 貴方が無事で帰ってきてくれるなんて! まるで夢のようだわ!!」


 ティアナの母親も彼女を後ろから抱きしめる。


「お母様!!! お母様!! 私もこうして再び会えることが夢のようです!!!」


 ティアナとその両親との再会を見ると、わしも何だか気持ちが高ぶって涙が溢れてきた。わしは良いことをしたのだ。これでいいのだと自分に言い聞かせていた。


「よし!! 今夜は盛大なパーティーをするぞ!!! ティアナの生還のパーティーだ!!」


 ティアナの父親がそう言って大声で叫ぶ。


「貴方様がティアナを助けて下さった方ですね。貴方もパーティーに参加して、娘の生還を共に祝って下さい」


 ティアナの母親がわしに言葉を掛けてくる。


「おぉ! そなたのおかげだ! 礼はたっぷり弾もう!!」


 ティアナの父親が満面の笑みでそう告げた。



 そして、その夜。館ではティアナの生還を祝う盛大なパーティーが開催されていた。


 主役であるティアナは会場の舞台の上で、豪華な衣装を纏って、皆に微笑みかけている。どこからどう見ても貴族の御令嬢の姿だ。彼女は本来のあるべき場所へと戻ったのだ。


 わしはその姿を会場の後ろの隅で眺めていた。もう、わしの役目はこれで終わりだ。


 後はひっそりとこの場を立ち去ろう。わしはカナビスがわしの元から去る時に、人知れず立ち去った事を思い出した。わしは今ようやく、カナビスの気持ちが分かった。別れがつらくなると言うのはこういう事を言うのだ。


 わしはティアナがパーティーの準備をする為に別れる時に、ティアナから預かっていたペンダントを返した。最初にティアナと出会った時には報酬と引き換えに返すという約束であったが、わしにはもう報酬など、どうでもよかった。いや、貰いたくはなかった。なぜなら、報酬を貰えば、ティアナとの日々を売り渡すような気持ちになるからだ。


 ティアナとの日々は夢のような時間であった。だが、あの日々はわしだけのものだ。誰にも売り飛ばす事なんてできない。


 あぁ、ティアナ…本当に綺麗だ… そして、さようなら…俺の天女よ…


 そう思いながら、わしは会場を後にした。そして、わしの部屋に戻り、パーティー用に貸し与えられた衣装から自分の衣装に着替え、冒険時代から使っているリックを背負う。


 結局、わしの手元に残ったのはこの荷物だけだった。13歳の時に買いそろえたこの荷物だけ…


 わしはカナビスとアスラーと共に築き上げたものを全て失ったが、また、身体一つで始めればよいと考えた。13歳のあの時は何も知らない子供だったが、今では12年の間に培った経験と知識がある。


 わしは、館を出て、表の庭園を抜けて門へと向かう。


「カイさん!!!どこにいくんですか!!!」


 突然、後ろからわしを呼び止める声が響く。


 わしは驚いて振り返る。するとそこにはドレス姿で髪を振り乱したティアナの姿があった。


 わしは、突然のティアナの存在と、そのティアナの美しさに見惚れて声が出なかった。


「どうして黙って立ち去ろうとするんですか!!! カイさん!!」


 わしはティアナの言葉に、目を伏せる。


「どうして、さよならも言ってくれないんですか!! 私の事が嫌いなんですか!!」


 彼女はぽろぽろと大粒の涙を流しながら叫ぶ。


「嫌いじゃない…」


 わしは小さく呟く。


「もっと、大きな声でいって下さい!! 聞こえないじゃないですか!!」


「嫌いじゃない!!!」


 わしは彼女に気迫に押されて大声を出していた。


「なら、どうして私の前から消えちゃうんですか!!! まだ、お礼もしていないのに!! あの時、私と一緒に暮らしたいって言ったのは嘘だったんですか!!!」


 彼女も負けじと叫ぶ。


「嘘じゃない!! でも! でも…俺は…俺は…君の側にいるには相応しくない人間だから…」


 わしは自分で言っていて悔しくなった、恥ずかしくなった。


「そんなの関係ないです!!」


 ティアナが叫ぶ。


「私、あの森の中で言いましたよ? 私がアドリー家に辿り着いた暁には、一生生活に困らないようなお礼をしたいって…」


「いや…もういいんだよ…お礼は十分に貰っているよ…」


「なら、再びお願いします!!! 私の側に居てください! 私の手を握って下さい! 私を抱きしめて下さい!! その代わり…その代わり、私を全部上げます!! だから、私から離れないでください…カイさん…」


 わしは分かった。漸くわかった。彼女は目的の為に身体を重ねたのではなく、本当にわしの事を愛していてくれているのだと。


「俺もティアナが好きだぁぁ!!! 離れたくないんだぁぁ!!!!」


 わしは叫び声を上げて、ティアナを目掛けて走り出した。


「カイさん!!! 私も!! 私もカイさんが大好きです!!!」


 わしとティアナは星空の下、硬く抱きしめ合った。




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