第16話 4月25日 17:10

   16


 十七時前には、夕食の配給が始まった。


「ライスかヌードルか、ミートかフィッシュか。一人二品。決めた者から受け取り、各自食事を摂って下さい」


「水は一人一本よ。余った場合は此方で管理を引き受けるから、油性ペンでペットボトルに名前と学年を記入しなさい」


「ゴミは所定の位置に捨てて下さい。ゴミ袋が用意されています。それから皆さん、分別にも御協力願います」




「――漸く、一日目が終了ね」


 未種学園の北西――第三校舎最上階の六階に、高等部生徒会室は在る。

 フローリングに、白い壁。各学年の教室と殆ど同じ内装の生徒会室は、しかし左右の壁には日常と大きく掛け離れた重厚感漂う本棚の列。最奥の大きな窓は開け放たれ、空が既に白み始めていた。

 部屋の中央には、机が三つ。少し奥手側で、窓を背に一つ。視線を手前に戻し、Ⅱの字で向かい合う机が二つ。その奥手側のチークの厳かな机の上には、『生徒会長』の黒文字が金地に明記された卓上ネームプレート。


「ふふ。皆、流石に疲れたかしら?」


 未種学園高等部生徒会会長――三年二組、猪鹿月いかづき水無月。小学生と並ぶ矮躯で弟妹の面倒を焼き続けた彼女は、外見以上の体力を有している。


「フッ。この程度、疲労の内にも入らんな」


 未種学園高等部生徒会副会長――三年一組、阿津地あづちミチル。左手側の椅子に座る彼の身体は頑丈で、風邪一つ経験した事も無い。


「火乃花は、少し疲れました。えへへ……」


 未種学園高等部生徒会書記――二年一組、火乃宮火乃花ほのか。右手の椅子に座る彼女は、その胸に成長期のエネルギーを殆ど吸われている。小さな身体に釣り合わない胸というハンディキャップを抱え、見た目通り運動は苦手。


「身体的な疲労より、寧ろ精神的な疲労の方が大きいですわ」


 未種学園高等部生徒会会計――二年一組、内空閑うちくが空満子くみこ。右の椅子に座る彼女は、その背筋に一本の芯が通っている――が、その表情には数本の影が差している。


「あら? 仕事、頼み過ぎちゃった?」


「ふむ。貴様が忙殺されるとはな。俺様にも回せば良かったではないか」


「あはは……」


「原因の半分以上は猪鹿月さんですし、寧ろ阿津地さんには頼れませんわ」


 絶対に煽りますもの――と、空満子は小声を漏らした。水無月とミチルは両者共に怪訝な表情を浮かべ、しかし追及は無し。隣の席で彼女の言葉を聞いた火乃花は、曖昧に苦笑を浮かべていた。


「私、何かしちゃった? ごめんね、空満子ちゃん。明日は、ちゃんと配慮するから」


「……叩けば面白そうだが、まあいい。今は見逃してやる」


「……えっと。と、とりあえず今日の総括をしましょう! ね、空満子ちゃん」


「……まぁ、そうですわね。色々と、記録は大事ですわ」


 後輩に促され、会長席に座る先輩が笑顔で頷く。


「ええ。じゃあ、食べながら纏めましょうか」


 四人の机には、非常食のパックが二種類と水入りペットボトルが置かれている。非常食のパッケージに映る写真は、五目御飯と鯖の味噌煮。それぞれ紙皿に出し、割箸で食べる。一連の美しい所作の中で箸を割り損なう三人を見、左右対称の割箸を片手に水無月は苦笑を浮かべた。


「では、地震直後から。――ミチル君」


「八時半過ぎ、大きな地震が発生。この時、生徒教員の全員が気を失っていたようだ。で、気付けば学園が森の中。続けて、名状し難い咆哮と共にドラゴンらしき生物が襲来。後に、攻撃を受けて死亡・墜落。この時のドラゴンスレイヤーは、複数の目撃証言から例の娘と判断できる――が、実際どうだったんだ?」


「はい。えっと、実際に例の――ホグラって名乗る女の子でした。彼女はスキルを使ってドラゴンを倒し、後に講堂で火乃花達にも力を使い……使わせました」


「本人は身体に害は無い、と仰っていました。現在に至って、わたくし達にも異変は見られません。――その後は、生徒全員の生存を図る為に行動を開始。スキルの調査に関する報告は、先に提出した通りですわ」


「一人一丁の銃程度では済まない内容よね。結局、一定の原理原則は何も判明しなかった。ヒトの数だけ可能性は無限大、ね。……でも、流石に無限大が過ぎるわね。僅か二十人程度の調査でテレパシーにテレポート、透明人間から嘘発見器まで。挙句、マナセ……君……の……――」


「ん? どうした?」


 言葉尻が窄み、見る見る内に頬を赤らめる水無月を見――ミチルの鯖を切り分ける手が止まり、その頭上に疑問符が浮かんだ。


「そ、その阿津地副会長っ! 木佐貫先輩と話は付いたんですか……っ!」


「そうですわね。聴かせて下さいな」


「……」


「ん? ――ああ、そうだな」


 大袈裟に声を上げる火乃花の隣で、空満子は静かに同意する。水無月は、未だ朱い顔で妙に夢見心地な様子。一瞬だけ視線を巡らせ、ミチルは後輩の意を汲んで流した。


「真木人には了承を得た。――空満子、明日は貴様にも森へ入って貰うぞ」


「……空満子ちゃん」


「大丈夫ですわ、火乃宮さん。最悪、私一人なら生還は可能です」


「貴様のスキルは何方どちらも優秀だ。これから先も学園存続の為に貢献して貰うぞ」


「火乃花も、できる事なら協力したかったんだけど……」


「火乃宮さんは……ええ、まぁ……。正直、愛が重過ぎますわね……。御十神さんには、絶対に全容を教えられませんわ」


「完全に、愛人に嫉妬する正妻だからな。世が世なら、歴史に残る悪女の素質だ。やはり、血は争えんな」


 空満子が飽きれる一方で、ミチルは火乃花を絶賛する。渦中の恋する少女が肩を窄め、耳まで顔を朱に染め始めた頃――逆に紅葉の見頃を終えた水無月が、その小首を傾げた。


「……――あれ? 火乃花ちゃん、熱いの? 顔が赤いわよ?」


「貴様が言える立場か? まあ、今は構わん。見逃してやる。――それより、真木人の許可は取れたぞ。四人まで同行を認めるそうだ」


「本当? 良かった」


 ミチルの報告を聴き、水無月は常より少し明るい笑顔を咲かせた。


「四人なら、空満子ちゃんを入れて残り三人ね」


「当ては?」


「保志先生に、話は通してあるわ。残り二人なら、多分大丈夫よ」


「ああ、野球部か。……まあ、大丈夫だろう。――話を続けるぞ」


「ええ、そうね」


 咳払い一つ――水無月が、改めて場の空気を整える。


「講堂で色々遭った訳だけど、中等部の様子はどうだった?」


「想像より遥かに落ち着いていたな。幼い分、理解が追い付いていないだけ――とも言えるがな。何せ一年生は、先月までランドセルを背負ってた訳だしな」


「……えっと……、結構危ない状態ですよね……?」


「ええ。保って二日か三日か。寝床も食事も貧相な分、ホームシックは加速するでしょう。――現実だとすれば帰還が絶望的な分、色々と根気の勝負ですわね」


 帰還が絶望的。騒動から未だ一夜も明けぬ状況で零された言葉を、しかし生徒会の面々は誰も否定しなかった。


「それこそ地震と同じ自然災害なら、帰還の目も残ってるんだけどね……」


「人災――いや、これ程の規模なら神災か? 兎に角首謀者が存在する場合は、厳しいな。俺様達にスキルという力を与え、そして使者まで派遣した」


「……『この世界を楽しんで下さい』って、あの娘は言ってました……」


「つまり、私達は孫悟空と同じ。如何に強大な力を手に入れた所で、掌の上。――天竺が存在する事を、祈るばかりですわ」


 西遊記に於いて、三蔵法師は御仏より命を受けて天竺を目指した。長い旅路を経て漸く辿り着いた三蔵法師一行は、新たな仏として極楽へ招かれる。

 西遊記は苦難の旅路が描かれる。そして、最後は三蔵法師一行の努力が報われる。天竺の存在とは即ち、神の善性を表す。


「……そうね。祈りましょう」


 例え苦難の旅路でも、その先に天竺が存在する事を――。空が茜色に染まる頃、水無月と共に三人は静かに目を閉じた。

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