第14話 4月25日 12:30
14
「いやはや、大変な事になりましたね」
本来なら四限目が行われている十二時半。
仕事は男女で分かれ、男子は運搬で女子はアリーナで数の確認と各所に対する振り分け。常にマナセの傍から離れないホグラは彼が何とか言い含め、級友の古清水ミナミに対応を任せていた。
「でも、こういうのってアニメみたいで少しワクワクしません?」
ブラム・R・ゴールド。長身で爽やかな、金髪碧眼の外国人。出身は合衆国連邦。日本の所謂オタク文化に詳しく、彼の持ち物にはキャラクターグッズが正にスレイベルの如く連なり付いている。
コスプレも嗜むブラムは、高等部入学当初からマナセに何度も女装を迫り――今では、強引に迫れる程度には友人関係を築いていた。
「そうだね。ちょっとワクワクするかも」
「ですよね」
「でも、僕は変わらない日常も結構好きかな」
「ほう。マナセは日常系が好きなんですね」
ブラムの瞳がキラリと光り、
「学園生活系ですか? それとも社会人系? いや、もしかして最近流行の趣味系ですか? 今度、僕のオススメアニメを持ってきますよ。昼休みにでも一緒に見ましょう」
オタク特有の早口が始まった。
「うん。ブラムが選んでくれるアニメなら、期待できる」
しかしマナセは特に気に掛ける風も無く、ゆっくり穏やかな口調で頷いた。
「ええ、任せて下さい」
「――あ、いたいたっ。マナセ君、ちょっといいかな?」
「うん?」
二階に上がる階段を上り切った所で、額に汗の滲む火乃宮
「いいよ。どうしたの? 火乃花」
「えっと、火乃花と一緒に来て欲しいの。あ、場所はね――第二水泳競技場、なんだけど」
「……うん、分かった。この毛布を運んだ後でも良い?」
「あ、火乃花も手伝うよっ」
「うん。ありがとう」
「
「う、うん……」
火乃花と仲良く手を繋いで御影石の石畳を歩く少女は、
「風優子ちゃんは、スキル的にも身体的にも色々と……ね。
「ご、ごめんね……。火乃花ちゃん……」
俯いてしまった風優子に対し、火乃花は前を向いて歩き続ける。
「ううん。謝る事じゃないよ。寧ろ、猪鹿月会長に火乃花の親友を自慢できるんだからっ」
――親友の手を引いて。
「え、え……?」
風優子は頬を赤らめて戸惑い、
「ふふ。でも、本当に緊張しなくて大丈夫。猪鹿月会長は優しいから。――それに、私がずっと一緒に居るから。……ね?」
「……うん」
再び、顎を上げて歩き始めた。二人が繋ぐ手は、先程より少し力が籠っていた。
「……」
対して一人で歩くマナセは寂寥感を醸す風も無く、彼女達の歩幅に合わせて静かに微笑を浮かべていた。
未種学園の敷地内には、東西二ヶ所に屋内プール施設が建設されている。オリンピックサイズのプールを一階と二階の両階に完備し、その他の設備も充実。更衣室やシャワー室は勿論、共同浴場からサウナまで幅広く生徒のニーズに応えていた。
西に位置する第二水泳競技場――その玄関ロビーには休憩スペースが設けられ、黒革のソファが並べられている。自動販売機や観葉植物も置かれ――その一角に、五人の生徒達が座っていた。
「――ごめんね。生徒会長から急に呼び出しなんて、ビックリさせちゃったよね」
対面するソファの手前には、左手から順に火乃花・風優子・マナセが座る。そして奧、二人並んだ左手側――
「い、いえ……。そんな……」
「確かに驚きましたけど、火乃花や
風優子は俯き、制服のスカートを両の拳で握る。しかし隣の火乃花が右手を重ねた所で漸く力が抜け、マナセの言に小さく頷いた。
「へぇ。どんな話か、ちょっと気になるなぁ」
「猪鹿月さん。態々世間話の為に二人を此処に呼んだんですの?」
楽しそうな水無月の隣で、マナセ達と級友の
「ふふ。そうだね。その話は、また今度かな。――じゃあ、本題に入りましょうか。まず、風優子ちゃんの事ね」
「あ……、はい……」
「ふふ。私の声には、もう慣れた? マイクを通さなければ、私の声もちょっとは可愛いでしょ? ――って今まで思ってたんだけど、やっぱり風優子ちゃんには負けちゃうわね。毎日生徒会室で火乃花ちゃんが自慢する理由、漸く分かったわ」
「ふぇ……っ?」
「猪鹿月会長、毎日は言ってません。二日に一回位ですよ」
「あら、そうだったかしら。火乃花ちゃんが熱心に語るものだから、勘違いしてたみたい」
耳の先まで朱く染める風優子の隣で火乃花が笑顔で訂正すれば、対する水無月も言葉に笑顔を添えた。二人の声を聴けば、皆が春と妖精の茶会を感じられる雰囲気の中で――話は続けられた。
「話と言っても、何も難しい事じゃないわ。風優子ちゃんの生活の事ね。私達と一緒に、第三体育館で過ごして貰うわ」
第三体育館。現在は臨時保健室として開放され、養護教諭や保健委員会に所属する生徒等が今後生活する場所。
「風優子ちゃんのサポートに、火乃花ちゃんと空満子ちゃんが志願してるけど――他に、信頼できる子は居る?」
「えっと……」
風優子の顔が、一瞬だけ右を向いた。
「ごめんなさい、流石に男の子は――まぁ、違和感は無いわね。……違う意味で、マナセ君は考える事が多そうね」
マナセが微妙な苦笑を浮かべる。水無月も苦笑を返し、風優子の言葉を待った。
「……えっと、あの……ミナミちゃん……」
「ミナミちゃん、ね」
水無月が目線を向ければ、火乃花と空満子は頷いた。
「分かったわ。ミナミちゃんには、私達の方からお願いするわね」
「で、でも……」
「大丈夫よ。私達生徒会もサポートするわ」
「……」
「頼りなさい、ミナミちゃんを。勿論、隣の火乃花ちゃんも。そして空満子ちゃんも、ね。そうすれば、彼女達も風優子ちゃんを頼ってくれるわ」
「……風優子に、できる事なんて……」
「そうかしら?」
風優子が再び俯く。か細く零れ落ちる声を、水無月は優しく掬い上げた。
「ねぇ、風優子ちゃん。無条件に優しくしてくれる人なんて、この世に存在するかしら。いたとしても、自ら施す相手の事を毎日笑顔で自慢するかしら。この学園の生徒を誰より知ってる私も、そんな聖人は見た事が無いわ。……もし、風優子ちゃんに優しくしてくれる人がいるなら――それは、貴女に優しくする理由が有るからよ。きっと、ね」
「……理由……」
風優子の顎が、僅かに上がる。その閉じた瞼から目を逸らさず、水無月は彼女に笑顔を向けた。
「ええ。その理由を知る事が、一番の恩返し……かもね。だから、頑張ってね。私なら、いつでも相談に乗るわよ」
「……えっと……、はい……。……お願い、します……」
「ふふ。いっぱい頼ってね。私も、いっぱい頼らせて貰うわ!」
「……――あ……。スキル、ですか……?」
「ええ。ごめんなさいね、計算高い女で」
「い、いえ……っ。……そんな……」
水無月の自虐を、風優子は緊張感の溶けた柔らかい調子で否定した。
「空満子ちゃんから話は聴いたわ。――命が、見えるのよね?」
「……はい」
暗闇が広がる瞼の裏に炎が映る。二年一組のメンバーでスキルを調査した際に、風優子は説明した。同級生や教員が青く、ドラゴンと呼ばれていた存在――そしてホグラが赤い炎。しかし現在、ドラゴンの炎は消えている。集中すれば視界は学園の敷地外まで広がり、現在でも千を優に超える青い炎達が彼女には見えている。
「――という話だけど、間違いないのね?」
「はい……」
「常時発動型のスキル、か。本当に、スキルは色々あるのね。頭が痛いわ」
溜息を――吐く直前で口元に両手を当て、水無月は悪戯が発覚した子供が如く誤魔化す為の笑顔を浮かべた。
「――こほん……。風優子ちゃん、二つ目の本題は正にスキルの事よ。――私達に、協力して欲しいの」
「協力、ですか……?」
「ええ。でも、難しく考える必要は無いわ。また赤い炎が見えたら教えて欲しいの。でも、無理して力を使おうとしちゃダメよ? もし風優子ちゃんが倒れたら、火乃花ちゃん達が泣いちゃうもの。……それで、どうかしら? 私達が生き残る為に、協力してくれる?」
「……えっと……、はい……。風優子が、皆の為に……できる事なら……」
「ありがとう。凄く助かるわ」
「……はい。……えへへ」
風優子が笑う。その時、ソファに座る他の四人が同時に頬を綻ばせた。
「じゃあ、次はマナセ君ね」
「はい」
「……」
「……?」
口を開き、その直後には閉ざした水無月。マナセは首を傾げ、肩口から濡羽色の長髪がサラサラと流れ落ちた。
「……マナセ君。一年生の時、水泳の授業は受けてた?」
「え? えっと、その……中学に上がった頃から水泳は……。先生に見学してなさいって言われて……。だから、泳ぐのは苦手で……」
「……火乃花ちゃん、空満子ちゃん。クラスでは、どんな感じなのかしら?」
「えっとぉ……」
「大体、猪鹿月さんの想像通りですわ。幸い、一組生は出自が出自なので比較的早く耐性が付きましたが。――今でも、同級生の男子に告白を受ける事は有りますわね」
「……マナセ君も、第三体育館に来て貰うわ。いいかしら?」
「え? はい……」
マナセは曖昧に頷いた。
「ごめんなさいね、急に。――で、本題ね。風優子ちゃん同様、スキルの事よ」
「……はい」
今度は、マナセは確かな調子で頷いた。
「正直に言うわね。――めっちゃ頼るわ」
「あ、はい」
ぶっちゃけた発言。マナセの声から警戒感が抜け落ちた。
「でも、私の任期中はトップの座を譲らない。私が王よ!」
「……えっと……」
立ち上がり、腰に手を当て胸を張る。威厳が微塵も感じられず、寧ろ水無月の内側から生じる愛嬌でコミカルな雰囲気が感じられる。マナセの声も、若干戸惑っていた。
「だから、私は生徒一人一人の働きに報いる責任が有るわ。勿論、マナセ君にも」
「――……」
「マナセ君、私に尽くしなさい。その分だけ、同じ分だけ私も貴方に尽くすわ。――どう? 私の事、信頼してくれる?」
水無月は右手を差し出した。
「……クラスメートに言われました。僕は、この世界では特別だって」
「まぁ、例の娘の事を考えても――確かに、そうでしょうね」
「でも、同じ娘に言われたんです。それより前から、僕は彼女の特別だったって」
「……そう。泣かれちゃった?」
「……少し。無理するな、って言われました」
マナセは、顎を僅かに上げて水無月の双眸――その更に奧を見た。
「猪鹿月会長は、火乃花にも空満子にも学園の皆にも――笑顔で信頼されています。凄い事だと思います。僕には、できなかった……」
だから――と、マナセは水無月の華奢な手を両手で握り返した。
「信頼させて下さい。僕は、猪鹿月会長を心から信頼します。だから、猪鹿月会長も僕を心から信頼して下さい。そして、その時は僕に笑顔で教えて下さい。その時――漸く、僕は自分を信頼できます。大切なヒトの笑顔を守れる自分に成れた、って」
「……ええ、分かったわ」
水無月は左手を持ち上げ、マナセの両手の上に添えた。
「頑張れ、男の子」
「はい、頑張ります」
「ふふ。――……夢中になっちゃう理由、私も分かっちゃったなぁ」
「……え?」
「ふふふ。何でもないわ」
マナセの手を離し、水無月は改めてソファに座る。膝に添えられた手は、暫く何か感触を確かめる素振を見せていた。
「――……猪鹿月さん、何か忘れていませんこと?」
「ほぇ? ……――あっ」
ただ笑顔で座っていた水無月は、空満子の言葉を受けて――漸く生徒会長らしい表情を取り戻した。
「こほん……。えっと、マナセ……君……」
「はい」
水無月が声を掛け、マナセが答える。二人の目が合った所で、彼女の顔がボンッと爆発が如く紅潮した。
「……あ、あれ……? 私、どうしちゃったんだろう……。何か、急に身体が熱くなった……?」
「えっと……」
水無月は首筋まで赤らめ、マナセは曖昧な微笑を浮かべた。風優子が小首を傾げる隣で火乃花は諦めた様子で苦笑し、空満子は盛大に溜息を吐いた。
「少し、休憩の時間を挟みますわ……」
結局、水無月の再起動まで十分以上の時間を要した。
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