第8話
次の日。指定された部屋で目が覚める。時間を見ると、午後5時。12時間も眠っていたことに驚く。
辺りはまだ人の気配がしない。そのまま布団でもう一寝入りしようとしたけれど、目が妙に冴えてしまって、なかなか寝られなかった。
布団でもぞもぞしている間に、色々なことを考えた。これまでのこと。これからのこと。置いてきてしまった妹のこと。部屋に置いたままの、大切にしてきたものたちのこと。
考えれば考えるほど憂鬱に沈み込んでいくのに、考えるのをやめられなかった。
6時を過ぎた頃、控えめなノックが2回、響いた。入ってきた職員さんは、心配そうにこちらを伺い、「朝ごはん、食べられそう?」と静かに尋ねた。こんなに優しい言い方をされたのは初めてな気がした。病気の時ですら、タイミングが悪いとか、仮病とか、気持ちが弱い体と言われて、まともに休ませてもらえないのが常だったから。
案内された場所には、広いテーブルとたくさんの椅子があった。台所からお味噌汁のいい匂いがしていた。何か手伝わなくてはと席を立とうとすると、「いいよ、座ってて」と言われた。何もかも至れり尽くせりなのが、逆に据わりが悪い感じがした。
朝ごはんは、ごはん、納豆、味噌汁、三種類の漬物。「ごめんね、質素だけど」と職員さんは言ったが、十分すぎるくらい豪華な食事だった。久しぶりの温かい飲み物が、じんわりとお腹にしみる。気を抜くと泣いてしまいそうで、夢中で食べた。
食べている途中、子どもたちがばらばらと起きてきて、まわりで動き始めた。3歳くらいの子から、同い年くらいの子まで、年齢はさまざまだった。「この人だれ? この人だれ?」と小さい女の子があたしの周りを飛び回った。
あたしがごはんのお皿を片付けるのとすれ違いで、テーブルの上にたくさんの食器が並べられ始めた。「じゃあ、行こうか」と職員さんに連れられて歩く背後で、「いただきます」と揃った声がした。
次に向かったのは、面談室と書かれた、ソファとテーブルの並んだ部屋。壁紙や家具はやわらかな色合いだったが、雰囲気は警察署の取り調べ室とどこか似ていた。窓が嵌め殺しだからだろうか。どこか閉塞感がある。ドアを閉めると、外の音はほとんど聞こえなくなった。
そこでしばらく一人で待たされた。10分が過ぎたころ、案内してくれた人とは違う職員さんが2人、来た。父さんより少し若いくらいの、ぽっちゃりとした眼鏡の男性が、あたしの正面に座った。
「今日から君の担当になりました。椎名と言います!」
椎名と名乗ったその人は、元気よくそう言って、にこりと笑った。話し方と雰囲気が、小学校の頃の先生に似ている気がした。
「まず、ここの話をしようか」
椎名さんはそう言って、ふくふくとした手を組んだ。
「ここは児童養護施設です。本当なら一時保護所に行くところなんだけど、部屋が空いていなかったから、ここに来てもらいました。しばらく君は、ここで生活することになります。生活の面倒は見るし、必要なものはここで揃えるから、心配はしないでいいよ。何か質問は?」
「ありません……」
答える声に、我ながら覇気がなかった。不安で頭と胸がいっぱいだった。
椎名さんはそれを察したのか、「大丈夫だよ」と優しい声で微笑みかけた。それでも緊張がほぐれないのがなんだか申し訳なかった。
「君に何があったのか、しばらく話してくれる?」
「昨日のことですか?」
「昨日のことも、今までのことも、全部」
それから、長い長い面談が始まった。途中で泣いてしまうことも、言葉が詰まってしまうこともあったけれど、椎名さんは少しも急かさず話を聞いてくれた。うん、うん、と相槌を打つ穏やかな声だけで、涙腺がじんわり痛くなった。
今までのことから昨日のことまで、話し終わったのは2時間ほど経った後だった。
「話してくれてありがとう。つらかったね。がんばったね」
そっと頭を撫でられて、またわっと泣き崩れてしまった。
ここ何日か、ずっと泣いてばかりで、涙が枯れてもおかしくないのに、どこから涙がこんなに出てくるのだろう。
ひとしきり宥めて慰めてくれた後、椎名さんは温かいお茶をもらってきてくれた。ほんのりと甘く感じる、おいしいお茶だった。しゃくりあげながら、少しずつ飲んだ。全てを飲み終わるころには、少し涙の余韻は残っていたけれど、だいぶ落ち着いた。
椎名さんは、両親に虐待のことや自分のことを話すと言い、帰っていった。
落ち着くまでここに居ていいよと言われ、その日は夕方まで面談室にいた。
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