児童養護施設

第7話

 家を出て、しばらくは、自分を何かが追ってくるような気がして、足が止められなかった。気づくと昨晩の公園にいた。あたしは震える指でスマホを操作し、児童相談所の番号にかけた。

 18歳未満だから、法的にはまだ児童。保護してもらえる。けれど、あたしはもう高校生だ。高校生でも頼っていいものなのだろうか。門前払いされないか、不安は喉までせりあがってきた。発信ボタンを押し、コール音が鳴っている間、ずっと生きた心地がしなかった。

 ――あなたが悪いんでしょって、怒られたら、どうしよう。

 怖い。

 父さんから暴力を受けている時より、心臓がどきどきして止まらない。冷たい汗が額に薄く浮かんだ。こんな日に限って薄曇りで、風が妙に湿っぽく、冷たかった。

 何度目のコールが過ぎた後だったか。はい、と穏やかそうな声がした。

 肩がこわばる。あたしは恐る恐る声を出す。

 それからあたしは、つっかえつっかえ、児童相談所の人に話をした。相手の人は静かに、「うん」「うん」「そうなんですね」「つらかったね」と相槌を打ってくれた。あたしは緊張がゆるんで、途中から泣きながら話していた。初めて自分の感情を人から認めてもらえた気がした。

 児童相談所の人は、あたしに交番に行くよう勧めた。暴力があるなら、まず警察に相談した方がいいからと。しゃくりあげながら、はい、と頷き、電話を切る。そのままの足で交番に行った。突然泣きながらやってきた女の子に、交番にいたお巡りさんは驚いた顔をした。

 事情と住所、名前、通っている高校を説明し、その後はパトカーで警察署に行った。パトカーに乗るなんて初めてで、自分が何か悪いことをしたようで落ち着かなかった。

 警察署。張り紙だけやたらの多い素っ気ない部屋で、あたしは再び事情を説明した。さっきよりも詳しく。ところどころ泣いて、しゃべられなくなって、途切れがちになりながら。スチールデスクに何度も雫が落ちた。児童相談所の人よりも事務的な受け答えが、それだけですごく怖かった。

「今、お父さんとお母さんにも事情を聴いているから」

 調書を一通り作り終わった後、お巡りさんが言った。

 同じ空間にいる、と思うだけで、心臓がぎゅっと縮まって、胸が痛かった。過呼吸になりそうだった。

 お巡りさんが、心配そうにあたしを覗き込んだ。眉を八の字に寄せた表情が、どこか悲しそうだった。

「お母さんは、泣いているそうだよ」

 あたしは耳を疑った。

 知らない。

 そんなの、知らない。

 なんであの人が泣くの? ただあたしを嘲笑っていただけのあの人が。

「君は家に帰りたい?」

「嫌だ!!」

 叫びは意識するより早く喉から出ていた。喉に焼け付くような怒りが残っていた。

 呼吸が荒かった。それを自覚した時、怒りは消え去り、あたしはまたわっと泣き崩れてしまった。

「分かった。君を保護しよう」

 お巡りさんはそれだけ言って、児童相談所の人を呼んだ。


 しばらくして、児童相談所の人が来た。「これからあなたを安全な所へ避難させるからね」と言って、目的地も分からないまま車に乗せられた。時刻、7時半。

 それから2時間ほど、後部座席でひたすら揺られていた。虚脱してしまって、あの家から逃れられたという安心と、これからどうなるのか全くわからない不安がごちゃまぜになって、頭が動かなかった。流れる景色をただぼんやり見ていた。疲れ切っているはずなのに、寝ることすらできなかった。

 どこかの施設についたのは9時半ごろ。優しい雰囲気の部屋で、ソファに座らされ、おにぎりをふたつ食べさせてもらった。こんなにおにぎりがおいしいと思ったことは後にも先にもなかった。食べながらまたぼろぼろ泣き出しそうになった。塩の味が口の中に満ちた。

 その後はシャワーを浴び、指定された部屋で横になった。

 頭は興奮して覚醒していたはずなのに、枕に頭をつけた途端、暴力的な睡魔で意識が途絶えた。

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