第2話
生まれたばかりの妹は、ふにゃふにゃしてやわらかくて、まるで別の生き物みたいだった。
みんなが妹に世話を焼いた。かわるがわる抱っこをしては、かわいいねえかわいいねえと、あたしが絶対にもらえない言葉を吐いた。妹が主役になった家の中で、あたしは透明になる。愛されるってこういうことなんだということを、あたしは始めて目の当たりにした。あったかくて、優しくて、何もかもから守ってもらえる。これが愛ってことだ。きっと。
妹は何もできない。できるのは、泣くことと、ミルクを飲むことだけ。トイレだって一人じゃできないし、立つことも、座ることも、寝返りを打つことすらできない。だけど妹は愛される。
代わりにあたしが、「お前は何もできないグズだ」と言われる。
年長さんになった頃には、お茶碗を洗うことを任されていた。すべて洗い終わっても、シンクに少しでも水が残っていると、人格否定を伴う言葉で叱られた。
「なんであんたはこんなこともできないの」
「本当にバカだね、何もできないんだから」
「おい障碍者、いつまでぼーっとしてんだ。早く拭けよ」
一度、汚れが少し残ってしまったときは、全部最初からやり直せと言われた。全てのお茶碗を泣きながら洗いなおした。その間に妹が泣き始めると「あらあ、どうしたのお」と母さんは声色を変えた。
なんであたしだけ。
なんであたしは愛されないの。
なんで妹は愛されるの。
妹なんて、大嫌い。
妹をどうしてもかわいいと思えなかった。あたしは袖の短いぼろぼろの服を着ているのに、妹には山のようにかわいい服が買い与えられた。あたしの見たことのないようなたくさんの玩具も。
小学校に上がる直前には、叩かれながらひらがなとカタカナの練習をした。
「おいバカ、なんでこんなこともできないんだよ」
少しでも間違えると、母さんは持っていた物差しであたしを叩いた。
ランドセルは親戚のお古。くたびれた赤色。それでもあたしには大事な宝物だった。一度妹によだれでべたべたにされた時は、泣いて怒って、自分を抑えられなくて、思わず妹を叩いた。
母さんも父さんも、妹の泣きじゃくる声にすぐ飛んできて、倍以上の力であたしを叩いた。その日は、ご飯抜き。頭を冷やせと玄関の外に出された。そのせいで風邪をひいても、看病どころか、洗い物を放免されることすらなかった。ふらふらになりながら、お茶碗を落としてしまって、またひどく怒られた。
きっとあの子には、ピカピカの、好きな色のランドセルが与えられるんだろう。卒園式や入学式のためだけに、幼稚園の周りの子みたいに、ふわふわのワンピースも買ってもらえる。
憎しみという感情を始めて理解した。
小学校に入って、あたしは勉強があまり得意ではないと気づいた。テストを持って帰るたびに母さんは「バカ」とあたしをなじった。苦手な算数で六十点を取った時は、「なんであんたみたいな子を産んだんだろう」「外れくじを引いた」とさめざめと泣かれた。いっそ叩いて、怒鳴って、怒りをぶつけられた方がマシだった。
あたしのやり場のない感情は、全部妹に向いた。親がいない隙に、追いかけたり殴ったりつねったりして、妹をいじめた。だけど妹は、屈託のない顔で笑う。「ねえね」とあたしの後を追いかけてくる。
「うるさい!」
あたしは妹を突き飛ばした。おしりから転んだ妹は、しばらくきょとんとした後、わあああと大きく口を開けて泣き始めた。
あたしの方が泣きたいよ。
あたしだって、あたしだって、あんたより何倍もつらいのに。
そんな感情の外で、親が帰ってきたらどうしようと思って、あたしは妹を抱きしめた。「ごめんね、ごめんね」と言いながら頭を撫でる。どうか早く泣き止みますように、と祈りながら。愛しているみたいなふりをする。妹の鼻水が服になすりつけられる。
大きな声をあげて泣ける妹が羨ましかった。
泣くと余計に怒られたから、あたしはいつの間にか、涙を封じる術を覚えていた。悲しくて涙が止まらないよりも、泣きたいときに泣けない方がつらかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます