第6話

 明日また迎えに来るよ。そんな台詞を最後に白鷺さんとその秘書さんは去って行った。今僕が居る場所は例の中華料理店からそれほど離れていないお高そうなホテルの一室。街の夜景が綺麗に見下ろせる。……これは凄く高いお部屋に違いない。

 マリさん救出後、秘書さんが簡単にメディカルチェックをしてくれたけど別段そこまで変なドラッグを使われてないみたいで(多少は残ってるみたいだけど)、病院等へ行くこともなくここへ連れてこられた。流石に今晩マリさんを一人で家に返すのも良くないだろうということで、白鷺さんからは一晩ここでゆっくりしなさいと計らいを受けたのである。契約とはいえ、何から何までありがたいことだ。

 取り敢えずマリさんはお風呂へ。色々あったし、まずは洗い流してさっぱりすることが大切だろう。僕はと言うと何となく着替えそびれて未だアオザイのまま。マリさんが上がったら次入ってメイクも落とそう。今日はカゲちゃんによるしっかりメイク。流石に落とさず寝落ちるのはヤバイ。

 手持ちぶさたなので周囲を見回すと、テーブル上にワインクーラが。高そうなワインが氷に浸かった状態で用意されている。ルームサービスも好きにして良いと言われているのでこれも頂いちゃっていいのだろう。すんごく高そうだけど。さっき散々人のこと動画撮って爆笑していた変態紳士への細やかな嫌がらせだ。

 ソムリエナイフでコルクを抜いて、並べられたグラスに注ぎ一口。あ、これは美味しい。……よく見たらさっき叩き割ったワインと同じヤツでは? もったいないことをしたものだ。

 散々運動した後に急にワインなんて飲んだせいか酔いが回ってくる。目の前には大きな寝心地良さそうなベッド。マリさんはまだお風呂入ったばっかり。なら少し誘惑に負けてもいいだろう。

 ぼすっと、仰向けに倒れ寝転がる。……ホント、疲れた。怒濤の一日だ。ピンチヒッターバイトをして、ストーカみたいなのとやり合って、変態紳士とご飯食べて、そして殴り込んで。ただ、明日からも更に濃厚な日々になる予感がある。白鷺さんと交わした契約。これによって僕の生活はめまぐるしく変わっていくだろう。ま、正直あとはなる様になれだ。何はともあれ、マリさんに大事が無くて良かった。それに尽きる。

 ぐっと伸びをする。全身の筋肉が硬直している。ウェイトレスのアルバイトに立て続けの立ち回り。筋肉の限界を超えた挙動は過度のストレスを身体に与えたに違いない。せっかくのリッチなベッドだ。しっかり眠って、朝食もこの際超豪華に食べて、それから……それから……



 ふと、急に息苦しくなり、藻掻く様に目を覚ます。いつの間にかウトウトと寝落ちてしまっていたらしい。目を開くと、これは夢の続きかと我を疑う。

 目の前、というかベッドに寝転ぶ僕の上。覆い被さる様にしてマリさんの顔。身体はバスローブ姿。……はい?

「ちょ、何して」

「何って、お礼? 本当に……ありがと」

「いいよ別に。でもお礼だったら焼き肉奢ってくれればそれで」

「それじゃ足りないわ」

 そう言ってじっと僕の顔を見下ろしてくる。目鼻立ちのハッキリした、綺麗な顔立ち。でもそんな彼女の顔も、今日は目元が腫れぼったく、瞳は充血してる。首には赤く痣の様な痕。あの状況からの救出劇だ。確かに、彼女が過剰に感謝してくれるのも分からないでは無い。でも、それは―――

「マリさんは僕にとって魅力的な女の子だけどね、それでも、否、だからこそ、こういう形は嬉しくないよ」

 そんな一時の感情で迫られても嬉しくないと、拒絶する。そんなことをしてしまっては、今後彼女と対等な関係じゃいられなくなってしまいかねない。そんなの、僕は嫌だ。

「今更、随分純情なことを口にするのね」

「バイト内容が内容なだけに、プライベートくらい純情に生きたいんだよ」

「なら、問題ないわね」

 強引に、もう一度唇を重ねられる。数秒後、どうにか逃れて声を上げる。

「だから! こういうのは」

 完全なマウントポジション。両手、両足共に上に乗りかかられて押さえつけられている。こういうときは体格差がものを言う。僕は彼女より十五センチ以上小さいのだ。実は手の大きささえも僕の方が小さい。本気で抵抗すれば抜け出すことは出来るだろうけど……熱っぽい眼差しで僕を見る彼女にそれは出来ない。否、やりたくない。本気でなんて抵抗できるわけが無いのだ。

「元々気になっていた私好みの可愛い子が、私の為に危険顧みずに一生懸命格好良く、ヒーローやってくれたんだもの。これって、完全に恋に落ちない方がおかしくない?」

 だって、最初に見かけた去年春から。

「嘘じゃ無いわ。心臓、ドキドキしてるの分かる?」

 僕はずっと彼女のことを。

「それとも、こんなハリウッドロマンスみたいな始まりは……嫌?」

 そんなの答えは決まっている。

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