第5話

 白鷺さんに同伴する形で入店したのは個室も完備された高級中華料理店、らしい。らしいというのはよく知らないから。貧乏大学生のお財布事情を考えればまず間違いなく来ることは無いお店である。故に調べたことも無い。テレビに出る様なお店というより、知る人ぞ知る料亭的なポジションだろうか。一食いくらするんだろ。

 コンパニオンのアルバイトデートで時々外で食事をするが、ここまでのランクのお店に連れてきてくれるお客さんはそう多くない。まぁ時々、その辺が突き抜けてしまっている人もいるのだが、そういうお客さんは危険が大きいので仲介元が上手くいなしてくれているらしい。

 が、この男は例外である。前に一度仲介元に相談したことがある。基本デートだけでそういう行為に及ぶことはほぼ無い割に、やけに高いお店や服を用意してくれるが大丈夫なのかって。そうしたらものすっごい心苦しそうに『どうかお願いします』って逆にお願いされた。もはや意味分からん。……まぁ、色々と助かっているのは事実なので僕も僕で許容してしまっているところがあるのだけど。ヤバイ、麻薬的な中毒を狙われているのだろうか。

「どうだい? 私もここのカニ玉には目が無くてね。カニ玉なんて貧乏人のメニューと馬鹿にする奴もいるが、ここのシェフは私と同じく“世界カニ玉愛好家の集い”のメンバーでね。因みにカニ玉は正しくは芙蓉蟹(フーヨウハイ)と言って実に様々な種類があるんだ。一般的にはこれと同じ広東風が有名だね。この広東風カニ玉をご飯のっけると日本発祥の天津飯だ」

「天津飯って日本発祥なんですか?」

「一説そう言われているね。もしかすると、中国でもズボラ飯的な存在として食されていた可能性までは否定出来ないが……とりあえずご飯にのっけて食べるという行為は、大概が日本人の異常なまでな米リスペクトが原因だろうさ。因みに私は天津飯が好きでは無いよ」

「どうしてです? どっちかと言えばヤムチャ派だったからとか?」

「私はヘタレ童貞より、硬派といいつつランチという都合のいい女と、チャオズという小姓をゲットした天さん派です」

 凄い、のってきた。年齢的には白鷺さんドラゴンボールジャスト世代か。

「白ご飯にカニ玉のあんが合わないと思うんだよ。食べていて何とも微妙な気分になる」

「あ、なら王将のごく一部の店舗で、天津チャーハンってありますよ。言葉通り白ご飯の代わりにチャーハン」

 え、何それ? マジで? うっそ、信じられない嬉しい! みたいな顔してる。知らなかったんですね。そうか、お金持ちになると一人でふらっと王将とか行かないんだろうな。

「いつも行ってる王将にはそんなの無いけど場所によってはあるのか!」

 行きつけあるんかい!

「今度一緒にどうだい?」

「白鷺さんと王将とか、悪目立ちそうで嫌です」

「そんなことは無い。私はちゃんと場をわきまえて服装や立ち振る舞いを考える男だよ。王将に行くときは精々ポロシャツに綿パンのただの中年さ。大将、コーテルイーガー、プーヨウハイイーガー、あと生中ね」

 王将語で注文してくるめんどくさいマニアだ。尚のこと一緒に行きたくない。

「場をわきまえての服装なら、これってどうなんですか?」

「よく似合っているよ。やはりキミにはチャイナよりアオザイだね」

 ウィンクしやがった。なんか腹立つ。

 今の僕の服装は黒をベースに刺繍の入ったノースリーブのアオザイ。アオザイ自体は良い。嫌いじゃ無い。どっちかっていうと好きなくらい。スリットは深いけど、下に白い細身のパンツをはいているから何の不安も無いし、胸が無くてもこれはこれでスレンダーとしてありなスタイルになる。が、ベトナムだろアオザイは。

「何だい? その単純なドレスコードならスーツか、適当な洋服でも良かったのに。それにアオザイはベトナムだろ? と言いたげな顔は」

 げ、何で分かったの?

「キミは感情を表に晒し過ぎるところがあるね。ま、そこが魅力ではあるのだけれど、もう少しポーカフェイスも使いこなせる様になるといいかな。それなら私の秘書も務まるだろう」

「秘書ならもう優秀な人がいるじゃないですか」

 この辺りはいつものやり取りである。白鷺さんは何故か僕に目をかけてくれていて、性的な目的では無く、将来的には秘書的な役割で雇いたいと言う。養子は流石に諦めたのか、最近は口にしなくなった。……逆に怖い。

「前にも言ったと思うが秘書が一人である決まりなんて無いだろ? 今の秘書は実務と裏方担当だ。キミは謂わばハッタリ担当だね。男性にも女性にもなれる。武道も少しは嗜んでいるんだろ? そこも伸ばしてあげれば要人警護のボディガードとしても有用だね。何せ私は運動が苦手だ。さっきの様に暴漢にでも襲われたらひとたまりも無い。そしてなりより」

 クイッと紹興酒を煽って、意味ありげに間を作った後の一言。

「キミといると私が楽しい」

 またウィンクしやがったよ。まぁ、でも今のはちょっとカッコイイと思ってしまいました。ちくしょう、アラフィフイケメンでこの財力とか、前世でどんな善行詰めばこうなれるんだろ。僕なんて低身長の借金まみれ。おまけに大声では口にし辛いアルバイト勤務ですよ。

 そんな紳士が空になったグラスの中の氷をカラカラと振ると直ぐに店員さんが新しいグラスと交換してくれる。こちらはちゃんとチャイナ服。うーん、ナイスバディな給仕さんだこと。

「おや? キミもチャイナが良かったかな?」

「いえ、別に……でもホント、アオザイってベトナムですよね。それだと全然ドレスコードでも何でも無いんじゃ」

「あ、うん。だってそれ、ただの私の趣味だし。いいよね、引き締まった二の腕と、胸からお腹にかけての筋肉が臼布一枚越しに分かる感じ」

 恍惚とした表情で僕を見ながら紹興酒を傾ける変態。ぎゃ、ぞぞってしたぞ今。紳士的に振る舞っているけど要所要所でガチの変態が入るんだよなこの人。

 と、そのとき机に置いていたスマートフォンがぶぶぶっと震えだす。せっかくの豪華メニューを写真に収める為鞄から出して、戻す機会を失っていたのだ。こうやって二人で食事をしているときに流石に電話を取るのはマナー違反だが、白鷺さんがどうぞと言ってくれるのでお言葉に甘える。もしかするとバイトの連絡だろうか? 本体を手に取ると―――相手はマリさんだった。ちょうどパパ活終わって、ピンチヒッターのお礼電話だろうか。

「あ、マリさん?」

『…………―――』

 声は聞こえない。代わりに聞こえるのは環境音のみ。感じ的には室内。それほど騒がしい感じでは無いが……時折カチャカチャと物音がする。

「……? もしもーし!」

 少し大きめの声で呼びかける。すると、急に騒がしくなり、男のモノらしき怒声と、ガチャンと何かが割れる音が聞こえ通話が打ち切られた。明らかにおかしい。直ぐにかけ直すと、三回コールの後、『電源が入っていないか、電波の届かないところに~』というメッセージ。

 これはどう考えてもトラブルに巻き込まれたに違いない。そして何より今―――

「どうかしたかい?」

 おそらく部屋の天井から電話と同じ音がした。何かを落とした様な小さな物音だ。それでもこのタイミングでの一致はあり得ない。安いお店じゃ無いから人の話し声や小さな環境音は届かない。それでも床壁天井、建物伝いに何か大きな振動を与えれば多少は伝わる。

「白鷺さんは……どうしてこのお店を選んだんですか?」

 ククッと可笑しそうに笑う。正解だと言わんばかりに。手には紹興酒のロックグラス。その立ち振る舞いはもう悪役のそれだ。

「ここはね、秘密倶楽部の要素も持っているんだ。私は純粋にここの料理が好きなんだけどね、世の中には食事より性欲を重視する人が多いのさ」

「何を言って……」

「何って、言ったじゃないかパーティに出席したって。そこで私の趣味では無い誘い話があってね。普通は捨て置くのだけど、彼女の特徴がキミから聞いていた話とあまりにもそっくりでね。それで聞いてみたのさ。貴女のお友だちに藤の名前を持った可愛い子はいませんかってね。あぁ、彼女の名誉の為に言っておくが明確な返答は貰えなかったよ。彼女からすれば僕が何者か分からなかっただろうしね。それでも正解だと確信するには十分だった」

 さて、と言葉を切り紹興酒のグラスを机に置く。シニカルな笑いと共に両肘をテーブルにつき、手を組み口元を隠す様に顎を添える。

「では、北上(きたかみ)藤(とう)一(いち)君。ビジネスの話をしようか」

 唐突に名前を呼ばれ、はっとなる。本来彼が知っているのは僕の源氏名だ。本名は伝えたことは無い。調べようと思えば今時分かってしまう物なのかも知れないが、それを今この場面で言う。つまり、私は全部知っているぞと威圧しているのだ。

「私はこの店にはそれなりの貸しがあってね。扉を開けろと言えば開けてくれるだろう。もちろん、その後何があろうともある程度はもみ消してあげよう。アフターフォローも任せて欲しい。決して、キミたちのこれからに不都合が起きない様に取りなして見せよう」

 読めた。この為に僕をここに連れてきたのか。なら、もしやあのフード男は白鷺さんの差し金? それは流石に疑い過ぎ?

「そんな破格の条件に見合う対価、僕に払えるとは思えませんけど」

「おや、散々言ってるじゃないか。私はキミにゾッコンなんだよ?」

 ゾッコンって、また古い表現を。でもそれだと対価は……

「養子、ですか?」

「それはこういう形では望まないな。双方の尊敬と信頼を伴わない契約は、将来的には損失しか生まないよ。例えキミがここを乗り切ったとしても、この選択で何か不利益が出来る様な対価は要求しないさ。私からの要求は―――」

 この状況だ。僕がギリギリに許容出来て、尚且つ確かに不利益は被らないと思える条件を提示されてしまったら飲まない理由は無い。僕の承諾を聞くと、契約成立だと白鷺さんは嬉しそうに握手を求め、僕もそれに答えた。

 あーあ……これはいよいよ深みにはまることになるぞ。おそらくここがPoint of no returnだ。それでも、今はこの選択が正しい。彼女を見捨てて僕一人どこへ行くというのだ? ならいっそ、この変態紳士の吹く怪しい笛の音について行ってやろうじゃないか。なぁに、どうせろくでもない人生を送る予定だったんだ。だったら、自伝の一つでも書いてやれそうな冒険をしてみるのも悪くない。

 白鷺さんとの契約に同意してからは早かった。ものの数分で支配人らしき人(中国の人だった)と話をつけて、マスターキーを受け取るとフロア一つ上がり、僕たちがさっきまで食事していた部屋の丁度真上に位置する部屋へ到着する。豪奢な扉の前にはちょっとガラの悪そうなお仕事をしていそうな大男が二人。唐突に表れた僕らに睨みを利かせてくるが、白鷺さんが「私も五島さんに招待されてるんだ。彼女は追加ゲスト。分かるよね?」なんて軽口を叩くと、男たちは下卑た目で僕を見回した後ごゆっくりと扉を開けてくれた。

 扉を開けると短い廊下を挟んで内扉。さて、と白鷺さんが一呼吸。

「基本は私が交渉する。まずは我慢だ、いいね?」

 そう促され、分かりましたと肯く。大丈夫、そんな純情無垢な子どもじゃない。交渉だけで片が付くならそれに越したことはないんだ。

 ガチャリと、防音扉さながらのやけに大きい音を立てて内扉を開ける。ちょっとしたパーティルーム。並べられた豪華な料理とお酒の数々。そして、人が、一人、二人、三人、四人、と、犬の様に首輪を鎖に繋がれ、床に這いつくばっている見慣れた彼女。目が合う、何かを藻掻き叫ぶが、口を拘束されているので声にはならない。

 心が、冷える。視界が狭まり、意識がぼわっと宙に浮いた様になる。拳を握る。焦点が定まる。足を、踏み出そうとして、後ろ手を捕まれる。白鷺さんの秘書さんだ。無言で訴えられる。抑えて下さいと。

「やぁ、五島さん。ある程度聞いていた通りではあるけどなかなか刺激的な遊びに手を出しているね」

 そう大きな声で呼びかけると、床の彼女を眺める様に座っていた太った男が慌てた様に立ち上がる。アレが主犯?

「白鷺君!? どうして」

「どうしてって、そんなの決まってるじゃないですか。私は忠告しましたよ。そういう遊びは程々にしないと、どこかで大きな恨みを買いますよって」

 皮肉をふんだんに込めた言葉に太った男が唸り俯く。馬鹿では無いらしい。こんなことをしている以上ある意味馬鹿なのだろうが、こんな軽口で言われているうりに引き下がらないと酷いことになると、その脅しを読み取るだけの知能はある様だ。

「分かった、手を引こう。後は君の要求に従う」

「あぁ? そりゃ無いっスよ旦那。何の為にこんな準備して、ドラッグも用意させて、後はハッピーになるだけって状態までお膳立てしたと思ってんスか?」

 四人の中で一番若そうで、一番目つきが悪く、一番横柄な態度を見せていた男が突如吠え出す。最悪だ、あり得ねえ、クソか、誰だよこのスカしたオッサン、こっからが楽しいのに、今更びびってんじゃねえよ童貞か、等と、もっと汚い言葉も含めてぎゃあぎゃあと喚き散らしながら威嚇してくる。

「キミは見ない顔だね。五島さんのお友だちかな?」

「だったらどうしたんだよオッサン」

「なら、その手の鎖を放したまえ。私は、彼女たちに投資しているんだ。それ以上こちらの不利益になることをされては私の損失になる」

 男が鼻で笑い、当て付けの様に彼女が繋がれた鎖を強く弾く。突然首を引っ張られ咽せる彼女。秘書さんの手はまだ僕を放さない。

「お前の損失なんざ知ったことか! あー! 気分悪りぃ!」

 足を振り回し、机を蹴り上げ、上に乗っていた料理共々盛大な音と主にひっくり返す。料理の一部が飛びはね、彼女にかかる様を眺めて下品な声を上げて笑う。

「オッサンよく見たら可愛い子連れてるじゃないか。どうしてもって言うんならそれなりに誠意見せて貰わないと。それがビジネスってヤツだろ? その女と交換するってんなら、まぁいいぜ? 正直俺、こんなデカイ女より、そっちみたいな小さい女犯った方が燃えんだよ。ま、こいつも悪くは無いんだけどよ」

 手が、彼女に触れる。呻き声が高まる。うるせえよと男が怒鳴り、鎖をまた強く弾く。そして、また触れて、嗚咽が聞こえて、水音が。

「……契約、何が起きても無かったことにしてくれるんですよね」

 小声で、今までこんな声出したことあったかなと思えるくらいに低い声でそう呟く。

「言ったね。これ以上は交渉の価値が無い。好きにするといいよ」

 その声が終わると同時、秘書さんの手が放される。

 真っ直ぐ、前を見る。一歩、震える足を踏み出す。

「お、コスプレ美少女とチェンジか?」

 視界を定める。

 もう一歩。歩く。歩く。歩く。駆ける。走る。椅子を蹴り上がる。

 対空、反転、回転の踵落とし。

 奇襲に近い形で、男に対して最大限の速度と重力を加算した一撃を叩込む。後先なんて一切考慮しない。

 が、頭部を狙ったはずの一撃は、男の太い腕に阻まれ体勢を崩す程度の威力とされる。口先だけじゃ無い、それなりに荒事になれているのか。

 しかし、それだけだ。体勢は後ろに崩れ、直ぐのリカバリが出来ていない。体幹が弱い。鍛錬も積んでいない。その程度だ。ならこのまま押し切れる。

 防がれたと判断するや否やするりと足を引き、手から着地。そのまま回転する様に男のアキレス腱を水平に蹴り飛ばす。ただでさえ後ろに崩れていた上半身だ。足を前に払われてはもう立っていられない。無様に後ろ向きに倒れる男。そこへ更に追い打ち、両手を組み、飛び上がる様に振りかぶって、左肘を男の喉を狙い振り下ろす。グボッと、人が出してはいけない音を口から漏らしながら悶絶し、色々な物を口から撒き散らし白目を向いて伸びる男。

 ……やり過ぎた。無我夢中で火事場の馬鹿力よろしく身体をぶん回したら絵に描いた様に上手くいってしまった。

 白鷺さんの方を見ると、軽快な口笛を鳴らしつつサムズアップ。逆の手にはスマホ。あの持ち方、絶対動画撮影だ。あ、これ後で逆に脅されかねないぞ。

 そんなことを思っていたら入り口の扉が開かれ、表に立っていた男たちが入ってくる。

「失礼します、何かすげぇ音したんすけど……」

 男の視線は自分たちの雇い主なのか、今僕の足下であわか何か良く分からない物を吐き出しながら白目を剥いて倒れる男へ。その直ぐ横で息を乱して立ち上がろうとする僕。視線が合う。空白三秒程。

「こんのクソアマッ!!」

 凄い、一瞬で正解に辿り着いたらしい。優秀じゃん。

 なら、僕も負けられない。僕も駆け出す。ショートサーキット二本目。途中グラスを手に取り流れる様に走りながら男に投げつける。僕より先に飛来するグラス。とっさに腕を払い身体への直撃を避ける男。うん、正しい。でも、それが命取り。

 その隙に走りながら椅子を掴み、その重さを利用して回転する様に振り回し、最後には飛びかかって男の頭部めがけて力の限り振り下ろす。本来ならリーチは男の方が長いし、体重だって比べものにならない。が、椅子によって補強された僕のリーチは更に長く、遠心力によって勢いを増した椅子は馬鹿みたいに重い。為す術も無く椅子の殴打を受け、椅子が壊れる音と共に男は意識を失った。

 よし、と振り返ってもう一人はと確認しようとしたところで視界が遮られる。眼前に迫る拳。もう一人は既に僕の直ぐ横で、屈んだ状態から起き上がろうとしていた僕の顔面めがけてその大きな拳を振り下ろさんとしていた。

 あ、これは当たる。

 ここまで上手くやれ過ぎていたのだ。自衛の為にと小さい頃、少し武道というか拳法の真似事の様な物を教えて貰ったことがあった。体形維持と健康の為に今も基礎練習は続けているが、そもそもこんな大立ち回りさして経験があるわけじゃ無い。それが例のフードパーカあたりからアドレナリンどばどばでやることなすこと上手く動けるものだから、すっかり調子の乗ってしまっていた。調子に乗った馬鹿の行く末なんて決まってる。手痛いしっぺ返し。僕はこの体格だし、この男の重そうな拳を一発でも顔に受けてしまったらもう動けないだろう。チェックメイト。あーあ、せめて彼女の安全を確保したかったが……後は白鷺さんだよりか。まぁ、本当に契約を守ってくれるならどうにかなるのかな。

 そんな思考が走馬燈の様に一瞬で駆け巡り。衝撃に備える為堅く口を結んだところで、スッと、凄く自然な手つきで綺麗な手が僕と男の拳の間に割り込んだと思ったら、男の拳を絡め取り、流れる様な動作で腕を捻りあげ、男の悲鳴の後にあっさり投げ飛ばし、更に首を締め上げて一瞬で意識を刈り取った。

 綺麗な手の主は白鷺さんの秘書さん。いつも通りのクールな表情、息も乱さず、服も乱さずお見事なものです。

「あ、ありがとうございます」

「どう致しまして。良い動きをされていますが随所に無駄が溢れています。こうした制圧は単純な打撃よりも投げと関節を効果的に使うのがおすすめです」

 とまぁ、アドバイスまでして下さって。

「特に私たちの様に体重が少ない場合は……まぁ、こういうのはこれからしっかりと指導してあげます。楽しみですね」

 秘書さんがにっこりと笑う。こんな顔しているのを見るのは初めてだ。いつも感情あるんだろうかってくらいクールに白鷺さんとやりとりしてるのに……え、どうして今舌舐めずりしたの? ちょっと怖いんですけど。

「全員動くなぁ!!」

 そんな心温まる(?)やりとりをしていると、いつの間にか起き上がっていたアワゲロ男がナイフ片手に半分裏返った声でそんな叫び声を上げてきた。油断した。まさかあの状態からこんなに早く起き上がるなんて。秘書さんからも舌打ちの声。完全に予想外だった様だ。想像の斜め上の打たれ強さ。こいつもそれなりの修羅場くぐってきたのだろうか。

 右手にナイフ。左手には彼女の髪を持って。恨み辛み、もはや言葉になっていない言葉を撒き散らす。あぁ、これは正常じゃ無い。もしかしたら何かやっているかもしれない。

「この女の顔に消えない後を残されたくないなら大人しく従え! ったく舐め腐りやがって……特にお前だ! このコスプレ女!!」

 ぶふっと白鷺さんが吹き出す。多分女って単語にだろう。この男、まだ気が付いていないらしい。

「薬漬けにしてどこかの風俗にでも沈めてやる」

 また吹き出した。あ、あの顔はきっと相当マニアックな風俗だなって顔だ。

「おい! 何が可笑しい!!」

「や、何も。失礼。持病のしゃっくりだ。続けてくれ」

「ったく……オッサン、アンタあのコスプレ女がお気に入りなのか?」

「ん? あぁそうだね。大のお気に入りだ。だからあまり怪我をさせないでくれよ。ましてや服を脱げとか、エッチな踊りをしろとか、そういうのは絶対に止めてくれ」

 どうしてそういう煽る様なことを言うかなぁこの人は。その言葉を聞いた男は大爆笑した後、じゃあ望み通りそうしてやるとよと、僕にストリップを要求してきた。くっそ、覚えてろよ変態紳士め。

「早くしろ!!」

 また彼女の髪を引っ張る。これ以上刺激するのは得策じゃ無い。大人しくアオザイのスナップボタンを外し始める。ちらりと見るとこんな状況なのに凄い嬉しそうな顔をする人が一人。マジ覚えてろよ。

 取り敢えずアオザイの上着部分を脱ぎ捨てる。下に着ているのはこの店に来たときに用意されていた女性物の薄手のキャミソール。ちょっとだけパット入ってるから知らない人が見たら本当にささやかな胸の女の子みたいに見えるかも知れない。

「……下もですか?」

 当たり前だと怒鳴る男。ヤレヤレ仕方が無い。秘書さんに軽く目配せ。心得ていると言わんばかり。それでは、参りましょうか。

 よいしょ、とアオザイの下に履いていた白い薄手のパンツと、サポーター入りのボクサーショーツを一緒に下ろす。色気も何もあったもんじゃない脱ぎ方だけど。まぁ、そうすると当然ご開帳してしまうわけで。

「……は?」

 男が僕を見て間の抜けた声を上げる。うん、そうなるよね。

 その瞬間、彼女が首を動かし、捕まれていた髪を男が持つナイフで切り落とし拘束から逃れた。

 間髪入れず、秘書さんがワイン瓶を掴み僕の前方へ投擲。

 僕も直ぐにショーツとパンツを履き直し、走り出す。

 ワイン瓶をキャッチ。更に加速。

 男が慌てて体勢を整えようとするがとき既に遅し。

 僕が振りかぶったワイン瓶は既に男の人中を捉えていた。

 歯にぶつかったのか、ガチャンという激しい音と共に割れるワイン瓶。辺りにぶちまけられる真っ赤なワイン。あれ? それともこれは男の鼻血?

 直ぐさまワイン瓶から手を放し、今度は男の髪を両手で力一杯つかみ、真っ直ぐ床へ鼻から叩き付ける。更に飛び散る赤いナニか。そのまま床へこすりつける様に引きずり走り、部屋の隅に飾られている僕の身長より大きな花瓶へ除夜の鐘を打ち鳴らす様に力一杯、全力で、持てる腕力の限界値で、ゴーンと打ち付けてやった。今度は完全に意識を失っている様で。というか、流石にこれでまた起き上がってきたら怖いよね。

「お見事、まるでカンフー映画さながらだね」

 賞賛の口笛を鳴らす僕のパトロン。お喜び頂けた様でなによりだ。

「白鷺さん」

「なんだい?」

「古いです。せめてタランティーノって言って下さいよ」

「……それも結構古いですね」

 秘書さんの突っ込みがツボったのか、白鷺さんが盛大に吹き出した。

 そんな爆笑している白鷺さんは放っておいて、僕と秘書さんは彼女の元へ。何はともあれ、無事お姫様救出成功……かな?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る