第4話

 夏が終わった。

 夏というのは大学生にとってはボーナスステージみたいなもので。勉学に、遊びに、アルバイトに。全ていつもの二乗、全力で取り組み楽しむものである。

 多分に漏れず僕もこの夏はしっかりキッチリ予定を詰め込んで過ごした。昨年までは友だちもろくにいなかったので特に夏らしいことはしていなかったが、今年は色々イベントづくしだった。例のバーベキューは楽しかったし、お店の屋上での花火大会観賞にも参加した。こんなに楽しかった夏は初めてかもしれない。昔は、夏が辛かった。学校が無いのだ。暑い、悲しい、辛い、■しい、■い、■■じい。良い思いでは無い。

 お店の常連さんたちとも更に仲良くなり、例の“美の師匠”の弟子入りも果たした。マリさんと一緒に美容とメイクについて定期的にレクチャを受けている。お陰で、アルバイトも盛況で申し分ない。曰く、ますます磨きがかかったとのことで。外見もそうだけど、内面もそうやって自然体で接することが出来る友人が出来たお陰で、より自然に女性の格好が出来る様になった気がする。マリさんは時々僕を見ては、「ヤバイ女子力が負けてる気がする」とか言って頭を抱えている。彼女は方向性違うから比較にならないと思うんだけどね。


 そんなこんなで後期授業が始まってしばらくしたある日の夕方。唐突にマリさんから着信が入った。

『ゴメン! お店のバイトピンチヒッターお願い出来ないかしら? 急にパパ活でちょっとしたパーティ? みたいなのに行くことになって。ちょっと見逃せない相手なの。その分今度奢るから!」

 バイト代も入って、更に奢って貰えるそうなので断る理由も無い。早速お店に行くと用意されていた制服を見てちょっと困った。

「え、僕これ着るんですか?」

「え、というかどうして今日に限って男の子の格好?」

 てな具合に清香さんに驚かれた。確かにここに来るときはほとんど女性の格好だったけどさ。

「だってマリさん急に言うから。大学から直で来たんですよ?」

「あー……まぁ、いっか。多分もうすぐカゲちゃんくるからメイクして貰おう。今ならまだ家出てないかな、それならエクステ持ってきて貰って……」

 そんなことをぶつぶつ呟きながら電話片手に出て行った。多分電話相手はカゲちゃん(美の師匠)だろう。あ、ということはこの後カゲちゃんによる全力メイクが受けられるということか。それはちょっと楽しみ。

 今日のご予約は昔の常連さんの結婚パーティだそうだ。僕もマリさんも面識は無い。数年前までこの町にいて、しばらく海外に行っていたとか。この度帰国することになり、正式に籍を入れたそうだ。おめでたいことです。

 僕の役割は所謂ウェートレス。飲食店アルバイトの経験もあるのでなんとかなるでしょう。ではでは、しばし労働に励みましょうか。



 ドタバタのパーティも無事終わり、帰途に就いたのは十時頃。カゲちゃんによって施されたフルメイクは最強で、割と汗もかいたのに崩れないのだから半端ない。しかもいつもより三割増しに可愛い気がする。恐ろしやメイク術。

 で、せっかくなのでそのままのメイクで帰ることにする。服はもともとユニセックスの物を着ているし、暗い夜だから知り合いにでも会わない限りは大丈夫だろう。

 が、その油断が良くなかった。

 警戒すべきは知り合いとの遭遇じゃ無い。さっきから一定距離。ずっと足音が付いてくる。ミスった。もうそろそろ夜は涼しいし、交通費ケチって家まで歩こうとあまり人気の無い川沿いの道をチョイスしたのも裏目に出た。ちらりと、後ろを振り返る。フードを目深にポッケはパーカに。わぁステレオタイプ。アレは駄目でしょ。

 どうする? 携帯で電話? 誰に? マリさん? や、さっき終わったよってLINE送ったけど反応が無かった。きっとまだパパ活中だ。邪魔すべきじゃない。なら清香さん? 駄目だ、確か3次会に行くって言ってたし、そんな場に水を差すべきじゃ無い。なら警察が妥当か。でもこの格好だ。僕こそ捕まりかねない。そのくらいに、この世界は自分とは異なる人に狭量だ。

 あ、ヤバイ。差が詰まった。迷ってる暇は無い。足下は……よし。今日はスニーカだ。これならやれる。というかやらなきゃ僕がヤられる。

 振り向く。向き合う。流石に相手も驚いたのか立ち止まる。目が合う。あぁ、見たことあるぞこの人。時々お店にいた人だ。今日もいた? 記憶に無い。まずはご挨拶だ。もしかしたら本当に同じ方向に帰るだけの場合もある。それとも僕に真っ当に用事があるということも考えられる。

「あの、何かご用ですか?」

 返答は声にならない声。くぐもって、何か呟いて、呻いて、叫いて、そして、叫びながら飛びかかってきた。はい、アウト。

 相手は僕より遙かに長身。手元には何か黒いモノ。よく見えないけど、どう考えてもヤバイ。接触は危険。なら、意地でも反らすしかない。

 初撃、男が長いリーチで手を伸ばし、手にした黒いモノを僕に押し当てようと付き出してくる。

 左膝を抜く。身体が急激に左へ沈む。その反動を利用して右足を蹴り出し、男の手を下から鋭く蹴り上げる。黒いモノ(たぶんスタンガンだ)は僕の頭上を通過。間一髪回避成功。

 なら次はこちらから……といきたいところだけど、生憎と僕はそこまで万能じゃない。男の手を蹴り上げたことで僕自身の体勢も崩れ、追撃出来ないまま無様に地面へ転がり込む。流石にそのままそこにいては危ないことは明白なのでバタバタバタとみっともなく地面を這い回り距離を取る。

 どうにか車道を挟んだ反対側の歩道まで到着。這々の体でなんとか起き上がると、我に返った男が何か叫びながらこちらへ向かおうと車道へ飛び出し―――絶妙なタイミングで黒い高級車が僕たちの間に割り込んできた。

 甲高いブレーキ音を響かせ、あわや接触というタイミングで急停車。呆然とする男を尻目に後部座席から一人の紳士が降り立つ。折り目の綺麗なスラックスに、腕まくりをしたドレスシャツ。あぁ、まさかのこのタイミングで登場ですか。

「やぁ、奇遇だね。この後軽く食事でもと思っていたんだけど、一緒にどうだい?」

 彼が例の変態紳士である。それなりの頻度で僕を指名してくれるが接触は精々ハグや頬にキス程度。その割に随分と良くしてくれる。でもその言動がちょっと極まってる。ゴーイングマイウェイと言えば聞こえは良いが……唯我独尊である。そして今日もそれは変わらず。

「取り込み中かい? もし彼がキミのクライアントで、合意の上でレイプごっこを演じていたのだとしたらそれは申し訳ないことをしたと謝罪しよう。でもね、キミの一ファンとして言わせてもらうならそのプレイはあまり感心しないな」

「今日はフリーです! いいですね行きましょう! ここから連れて行って下さるなら喜んでお供しますよ」

 例え唯我独尊変態紳士でもこの状況では渡りに船、縋り付かない手はない。普段ならまず間違いなく断るし、仲介を介さないやりとりは本来はルール違反だ。ばれたら色々とややこしいが、今は緊急事態。言い訳なんていくらでも出来る。

 僕のその返答に満足したのか、うんうんと大きく頷きながら僕を車にエスコート。そして去り際、そのやりとりを呆然と見ていたフード男へ向かって一言。

「キミはアレだね。気になる相手をデートに誘いたいのならもう少し身なりと声のかけ方を検討すべきだったね。そうした暴力的なアウトローに惹かれるのは精々中高生までだよ。良い機会だ、大人になりなさい。それでは、失礼」

 バタンと、彼も後部座席へ座り車が走り出すなり運転席の秘書さんへ一言。

「写真は撮っているね」

「はい。特定は問題ございません」

「では、後は任せるよ。僕の推しに乱暴をはたらこうとしたんだ。多少の酬いは覚悟してもらわないとね」

 そう言って僕に向かってウィンク。あ、はい。気持ち悪いです。

「ありがとうございました。おかげで助かりました」

 黒塗り高級セダン車は静かで快適な足取りで現場を離れていく。ホントに危なかった。これからはもうちょっと気をつけないといけないのかもしれない。いくら僕が男だからといっても、そういう趣味の人たちからすれば格好の表的なわけだし。

「二つ向こうの区画でちょっとしたパーティに出席していてね。遠目にだけどキミの姿らしき人物が慌てて走っている様に見えたものだから、思わず追いかけてしまったよ。これで私もストーカの仲間入りだね」

 さすがに同意はしないけど強く否定も出来ない。

 変態紳士は白(しら)鷺(さぎ)さんという名前で、いくつかの会社に出資、経営に参加している実業家らしい。メインは輸入関係の会社の社長だとか。詳しいことは世界が違い過ぎてよく分からない。パーティって単語がさらっと出てくる辺りがもうあり得ない。あ、でもマリさんも今日はそういうパーティに行ってるんだっけか。

「それで、お腹はどのくらい空いているんだい?」

「え、食事ってあの場限りのでまかせじゃなかったんですか?」

「当たり前じゃ無いか。私はブラフは使うが、嘘はつかない男だよ」

「……一緒じゃないですか?」

「ブラフははったりだよ。嘘じゃ無い。根拠となる事象があって、それに対する多少都合の良い未来予想が加味された上で表現される言葉のアヤさ。嘘は根も葉もない架空の話。例えば……某国との商談の際、ブラフだとこう言うんだ。『既に他国からもアプローチを受けています』ってね。実際にどのレベルのアプローチかは言葉にしない。後は相手の想像力次第だね。これを、『既に他国と商談がまとまりつつあります』というと嘘になる。嘘はいけない。例えバレなくともどこかで必ずほころびが生まれ、やがて信用を失う」

 はぁ、と気のない返事をする。白鷺さんの欠点は変態なところと、こうやって気持ちよく長々と語り出すところである。役に立つ豆知識的な話ならまだ良いのだが、この前なんて彼が趣味にしている地形(気になる人はブラタモリという番組を見ると良い)について食事中ずっと熱く語っていた。あはは、さっぱり興味ないです。

「お腹、割と空いてます。今日は仲介無しっていうのもありますから、そういうの無しにしておきたいんですけど……それでもいいですか?」

「おいおい、私が今までキミにキス意外に接触を要求することは無かっただろう? 今日も同じさ。あえて言うなら、この後行く予定のお店は少々ドレスコードに近い趣があるから私の用意する服に着替えて貰うことになるが……そのくらいはサービスしてくれるかい?」

 あ、これアレだ。まず間違いなくこの男の好みの服に着替えさせられるヤツだ。

「まぁ、そのくらいは。因みに、接触だけで言えば手を繋いだりハグだったり色々あったと思うんですけど」

「ん? あぁ、語弊があったね。嘘はいけない、私は嘘はつかない男なのだから。キス以外に粘膜の接触を要求することは無かっただろう?」

 や、まぁ、そうなんですけどね……そんなドヤ顔で言う必要ないよね。

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