一番の問題児

 リビングに戻ると、真冬ちゃんはついさっきまで無理やりお風呂に侵入しようとしていたとは到底思えない澄まし顔でソファに座っていた。俺とバトンタッチするようにお風呂に消えていった真冬ちゃんを放置して寝るわけにもいかず待っていると、一時間ほどで真冬ちゃんは戻ってきた。


「…………なるほど。つまりダイエットが必要か確認してほしかったと」

「うん。こういうのって自分では分からないでしょ? それで…………どうかな?」

「どうかな、と言われても…………」


 くねっ、と視界の端で真冬ちゃんがポーズを取るのが分かった。その大部分は生まれたままの姿で外気に晒されており、到底直視出来たものではない。湯冷めしちゃうから早く服を着て欲しいんだけど、どうやらその気は全くないらしい。


「私的には、この辺りが少し気になるんだけれど…………ほら、ちゃんと見て?」


 真冬ちゃんがおへその辺りを軽くつまみながらずい、とこちらに寄ってくる。


 風呂上がりの真冬ちゃんは、下着の他には「彼シャツだ!」などと騒ぎ立て俺から無理やり接収したワイシャツしか羽織っておらず、そしてそのワイシャツすらたった今脱ぎ捨てられようとしていた。真冬ちゃんの身体より先に俺の肝が氷点下まで冷え切ってしまいそうだ。


 首を人類の限界点まで曲げ、真冬ちゃんを視界から完全に排除する。けれど真冬ちゃんはまるでファッションショーのキャストのように華麗な足取りで俺の視界の中心をキープしてくる。見る人が見れば痴女そのものだし、恐らく誰が見ても痴女だ。


 …………この我慢比べは、俺の完敗だった。


「分かった。見るから。見るからちゃんと服着てね?」

「寧ろ脱ぐことになるんじゃない?」

「ならないからね?」


 真冬ちゃんの爆弾発言を処理しつつ、意を決して顔を上げる。


 頼むぞ俺、心を強く持てよ。


 ────そんな俺の覚悟は、台風の前の灯火のように一瞬で消えてしまうのだった。


「…………ゴクッ」


 目に飛び込んできたのは、まだ誰も踏み入れたことのない一面の新雪。シミひとつない腹部はまるで中世の美術品のような滑らかな曲線美を備えていて、リビングの光に照らされ薄っすらと輝く白磁の肌は、もはや一周回って無機質な工業製品のように現実味がない。無駄が一切省かれた究極の機能美がそこにあった。


 こうしてまじまじと見つめてみると…………人の身体とはこうも美しくなれるのかと舌を巻く。健康的に引き締まった身体はただ痩せているのではなく、途方も無い努力によって作られていることが俺にも分かった。


「ふふ…………どうしちゃったの、お兄ちゃん? そんなに見つめちゃって」

「…………ッ!? ご、ごめん、見過ぎだよな!」


 我に返り、慌てて視界を外す。


 …………俺、絶対今おかしかったよな。言われなかったらいつまでも見つめてしまいそうだった。


「別に…………見るだけじゃなくていいんだよ? お兄ちゃんだったら…………」


 真冬ちゃんがすっと距離を詰めてくる。硬直する俺の手を取ると、流れるようにお腹に密着させた。


 …………声が出なかった。真冬ちゃんのお腹は絹のような滑らかさで、まるでそれ自体が生きているかのように指先に吸い付いてくる。まるで俺の手が取り込まれてしまったかのような感覚に恐怖すら覚え、気がつけば思い切り手を引っ込めていた。


「…………真冬ちゃん。そろそろ本気で怒るよ?」


 ここまで心を乱されておいて、一体何を怒れるというのか。これはもう殆ど逆ギレだった。『綺麗な身体しやがって!』。でも他に言えることも思いつかなかった。真冬ちゃんも俺の心などお見通しとばかりに余裕のある笑みを浮かべている。


「はーい。ごめんなさい、お兄ちゃん」


 真冬ちゃんがゆっくりとワイシャツのボタンを留めていく。下着にワイシャツという姿はもはや何も着ていないのと変わらないくらい扇情的だったけど、それでもさっきよりは幾分かマシに思えた。少なくとも肌色の表面積は減った。


「で、どうだった? 私、ダイエットした方がいいかな」

「いや…………全く必要ないんじゃないかな。正直、めちゃくちゃ綺麗だった」


 かぁっ、と頬が熱くなる。けれど、言わずにはいられないくらいには真冬ちゃんは綺麗だった。完成された美術品を前に、人は嘘をつくことなど出来ないんだと知った。


「ふふ、嬉しいな。でもジョギングには参加するからね」

「うん。予定が固まったら教えるよ」


 真冬ちゃんは俺の感想に満足したようで、嬉しそうに踵を返す。ワイシャツの端がふわっと揺れ、健康的な太ももが置き土産とばかりに俺の目に焼き付く。

 

「それじゃあ……私は帰るね。また明日、お兄ちゃん」

「ああ……おやすみ真冬ちゃん」


 遠ざかっていく背中が完全に見えなくなり、さらに少しの時間が経ったあと、俺は気が抜けたようにソファに倒れ込んだ。


「やっぱり真冬ちゃんが一番問題児だった……」


 このままでは俺の貞操は夏を越せないだろう。そんな確信めいた予感があった。早急に何らかの対処が求められている。けれど具体的なことは何も思いつかないのだった。

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