初夏の攻防戦

 ひよりんに手を引かれデパートの中に入ると、心地よく冷やされた空気が身体の熱気をさっと流していく。初夏と言っていいのか梅雨の終わりと言っていいのか微妙なこの季節の太陽は既に殺人的な熱光線を地表に照射していて、ただでさえオーバーヒート寸前だった俺の頭は完全に機能を停止していた。


「あぁ……涼しいわねえ。生き返るわあ」

「そうですね…………」


 電車に乗り数駅移動したはずだが、道中の記憶が全くと言っていい程ない。推しと手を繋いで外を歩くと人は記憶が飛ぶんだな。本当に物凄い体験をしてしまった。


 休日の昼ということもあってデパートは人が多く、そんな訳もないのにその全員が俺たちに注目しているという錯覚に陥ってしまう。この中の誰かがひよりんに気が付いているんじゃないか。そう思うと手を繋いでいることが急に怖くなった。


 怖いし、全身がむず痒いし、心臓は壊れそうだし。


 ひよりんとこれ以上手を繋いでいると、どうやら俺の身体が保ちそうにない。『推し』とは用法用量を守って正しい付き合い方をしなければ人体に影響を及ぼす劇薬だった。


「お、俺……ちょっとお手洗い行ってきますね!」


 俺はすっと手を解いて、逃げるようにお手洗いに駆け込んだ。鏡の前で自分の顔を確認すると、そこには明らかに疲労が溜まっている俺がいた。顔には疲れが見えているのに、口元だけが不自然なくらいつり上がっている。まるで不恰好なピエロだ。俺、こんなににやけ面してたのか?


「ふぅ…………」


 ひよりんと…………デートか…………。


 いや、デートじゃないのかもしれないけど。男女が二人で出かけることは必ずしもデートじゃないのかもしれないけど。でも、手を繋いでたらそれは確実にデートだろう。流石に。


 ひよりんとデート…………なんだよな…………。


「あー……緊張するな…………」


 ひよりんとは色々あったし、全然緊張しないんじゃないかと思ってた。


 抱っこしたこともある。胸や太腿を押し付けられたこともある。寝顔を見たことだってある。


 それなのに────一緒に出かけるだけでこんなに緊張するなんて。


 思えば、酔ったひよりんとは毎日のように話すけど、素面のひよりんとはそこまで交流がない。どんだけ飲んでるんだあの人、という話ではあるが、とにかく俺がここ数年追いかけていたキラキラしたひよりんとはまだ全然仲を深められてないと言って良かった。


「頭おかしくなって変なことだけは言わないようにしないとな…………」


 大きく深呼吸をして、俺はひよりんの元へ戻った。





「蒸し蒸ししすぎて蒸しパンになっちゃうよ〜!」


 電車から降りると、絶望的な熱波が私を襲った。暑さで頭がおかしくなって、つい変なことを叫んでしまう。


 アホなことを言ったものの、実際はそこまで暑くはなかった。隣におわす氷の女王がズバズバと言葉のナイフを私に突き刺してくるから、いつでも心はヒンヤリ氷点下なのだ。夏場は一家に一人水瀬真冬だね。


「静の場合は虫になるのではなくて?」

「ちょっと、どういう意味よそれ! どうして私が夏場の道路脇で暑さにやられてひっくり返ってなきゃいけないのよ!?」

「試しにそこでひっくり返ってみたら? お似合いだと思うけれど」


 ほらほらこれよ。何かもう真冬の隣にいるだけで体感気温が10℃は下がってるんじゃないかって気がしてくるよね。実際何か出てるんじゃないの、見た目氷タイプっぽいし。


「ぬぎぎ………いつかギャフンと言わせてやるからな……」


 キッ、と真冬を睨むも真冬は全然私のことなんか見ていなくって、私の視線の刃はしゅーんと真冬を貫通して空に消えていく。お返しと言わんばかりに太陽が目に入って視界がフラッシュした。


「んぎゃ!」

「何してるの静、早く行かないとお兄ちゃん見失っちゃう」

「ちょ、ちょっと目が眩しくて……」


 ゴシゴシと目をこすると、紫色のぐにょーんとした光が暗闇の中でぼんやりと光る。これは完全に目がやられましたなあ…………。


「もう……何してるのよ」

「ぬおっ」


 突如、私の手が誘拐される。手のひらを包むひんやりとした感触は、私を引っ張ってぐいぐいと前に進んでいく。目を開けると、真冬が私の手を取ってすいすいと人混みの間を抜けていた。私は目が回復したことを告げず、繋がれた真冬の細い指をじっと見つめていた。


「…………」


 …………実は私って、真冬に嫌われてない気がするんだよね。何だかんだこういうのに付き合ってくれるしさ。今だって私が誰かとぶつからないようにルートを選んでくれてるし。言葉はキツイけど、本気でダメージ受けるようなことは言ってこないし。私にならこれくらい言っても大丈夫だろーって信頼されてる気がしなくもないような。


 もしかして真冬って…………ツンデレ?


「まったくもう…………可愛い奴め」

「気でも狂った?」

「そうかもね〜?」

「ちょっと、治ったなら自分で歩いて」


 視線を上げると、遠くに蒼馬くんとひよりんの背中が見えてきた。付かず離れずの完璧な距離関係。


 …………あの二人、いつまで手繋いでるの?

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