皆で仲良くお出掛け

 可愛いですね。綺麗ですね。似合っていると思います。お洒落ですね。


 玄関先に立つひよりんを見た瞬間、色々な言葉が頭の中を駆け巡る。何か言わなければ──そんな衝動が心の奥底から俺を突き動かす。けれど、口をついで出たのは結局この言葉。ここで何かを言えるようなら俺はリア充というやつになっている。


「ひよりんさん、おはようございます」

「おはよう、蒼馬くん。お出かけ日和ねえ?」


 真っ白なカットソーにエメラルドグリーンのロングスカート。足元は涼し気かつ女性らしさの際立つ黒のサンダルという出で立ちのひよりんは、そう言って俺に微笑んだ。それだけで心臓がドクンと大きく脈打つ。俺は今からこの人と出かけるんだよな…………。


 私服姿のひよりんは毎日見ているのに、今日特別お洒落しているという訳ではないのに、「これから一緒に出かけるんだ」と思うだけで普段着が高級なドレスに見えてしまう。人間の脳の如何に適当なことか。


「そうですね。晴れて良かったです」

「よし、じゃあいこっか」


 ひよりんは頭に乗せていた大きなサングラスを瞳に落とす。それだけで、無機質なマンションのエントランスが真夏のビーチに早変わりしたような錯覚に陥った。写真集にサングラスで浜辺を歩くカットがあったからだろうか。人間の脳の如何に適当なことか。


「ひよりんさん、サングラスするんですね。なんか意外でした」

「あはは…………普段はしないのよ? でも今日は蒼馬くんと歩くから…………一応、ね?」

「────あ」


 言われて、ハッとする。


「えっと…………もしかして、マズいですか?」


 ひよりんは押しも押されぬ人気急上昇中のアイドル声優だ。もし俺と歩いている所を週刊誌なんかに撮られたら…………きっと大変なことになる。ひよりんの活動に支障が出てしまうかもしれない。


 しかし俺の不安を余所に、ひよりんはケロッとした表情で首を傾げた。


「マズい? 何がかしら?」

「俺と一緒に出かけることです。撮られたりしたら大変なことになりますよね……?」

「うーん、そうねえ…………」


 ひよりんはエレベータに向かって歩き出す。俺は慌ててその背中を追った。ひよりんはエレベータのボタンを押すと、ピッとサングラスの縁を両手でつまんで俺に向き直った。


「…………別に構わないんじゃないかしら。ほら、私だって分からないでしょう?」


 分かりますよ、推しですから────そう言いたい所だったが今は俺の気持ちをアピールする時じゃない。フラットな気持ちでひよりんの全身を改めて眺めてみると、確かにこれで声優の八住ひよりだと気が付くのは知り合いくらいじゃないだろうかと思う。ただのお洒落でイケてるお姉さんにしか見えない。


「確かにそうかもしれないですけど…………」


 だが、万が一を考えれば「よっしゃあこれで気兼ねなくひよりんとお出掛けだぜ!」という気持ちにもなれないのだった。週刊誌にすっぱ抜かれる人達は皆「私なんて撮られる訳ない」と思っているだろうから。


「────ッ!?」


 ひんやりとした手の感触に、嫌な想像が吹き飛んでいく。


「細かいことはいいの。そんなこと気にしていたら、私、何にも出来ないもの。今日は楽しみましょう?」


 ひよりんが…………俺の手を握っていた。信じられないくらい急激に、身体が熱くなっていく。待て待て、これは現実なのか?


 今のひよりんは酔っ払っている訳じゃない。いつもの酒乱モードじゃない。『シラフ』のひよりんが、自分の意思で俺の手を握っていた。


「えっ、ちょっ────!?」

「よーし、出発!」


 理解不能な現実を前に思考が全くまとまらない。

 俺はひよりんに引っ張られるように、丁度やってきたエレベータに転がり込んだ。



『…………ザ、ザザー……こちらエージェントアールエス。エージェントエムエム、応答されたし。繰り返す…………こちらエージェントアールエス。エージェントエムエム、応答されたし』

『何よエージェントエムエムって。あとザザーって完全に口で言ってるじゃない』

『トランシーバーはザザーって鳴るものなの。それより準備は出来てるの?』

『とっくに。そっちは?』

『私もだいじょぶ。今チラってドア開けて見てるけど、そろそろ行くみたい────あっ!!』

『静、大きい声出さないで』

『静じゃなくてエージェントアールエス! それより真冬、ひよりんがとんでもない!』

『私はエージェントエムエムなんじゃなかったの? それでひよりさんがどうしたって?』

『あのね、あのね…………ひよりんが蒼馬くんの手を思いっきり握ってた!』

『なッ────!?』

『こんなのアリぃ!? 真冬、追うわよ!』


 ルイン通話を切ってエントランスに出ると、同じタイミングで真冬が現れた。その顔はまさに顔面蒼白、生気が全く感じられない。


「許せない…………お兄ちゃんの手は私専用なのに…………!」

「わ、私も握りたいんだけど…………?」


 おずおずと手を挙げる私に、真冬は刃物のような視線を突き刺してきた。いや実際に何か刺さった気がする。なんか胃が痛いもん。


「何か言った?」

「ヒィ……ナンデモナイデス……」


 この子、年下だよね…………?

 何なのこの迫力は…………。

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