第6話 妹、風邪をひく。


 季節は初夏。朝晩の温度差が激しい時期。


「うー、お兄ちゃん、これ見て」


 ……38.6℃。たった今、妹が見せてきた体温計の数値である。


「……風邪ひいたか」


「ひいたでござる……」


 意識が朦朧としているのか、謎の時代劇風なセリフを口にする妹。


「毎朝起こしに来てたお前が、今日は来ないと思ったら……風邪かよ」


 いつも元気いっぱいの妹は、今日は布団の中で顔を赤くし、ぐったりとしていた。


「昨日、腹出して寝てたろ、きっとそのせいだ」


「気づいてたんなら直してよ。お兄ちゃぁん!」


「うわっ、泣きついてくるなっ! うつったらどうしてくれるんだっ」


「兄妹揃って休むだけ! 風邪って、うつしたほうが治りも早いって言うし!」


「それは迷信だ! 離れろ!」


 しつこく食い下がる妹を引きはがして、俺は朝食を作るためにキッチンへ向かう。


 食欲はあるそうなので、胃腸に優しい卵粥を作ってやることにした。


「それ食ったら薬飲んで、今日は大人しく寝てろ。クラス担任には言っといてやるから」


「ぐぬぬ、せっかくの皆勤賞が……!」


「お前、皆勤賞とかに執着するタイプじゃないだろ。それに、そんな赤い顔で学校行っても皆に心配かけるだけだぞ」


「わかった。家で大人しくゲームしとく」


「寝・て・ろ」


「はぁい」


 少し語気を強めて言うと、しおらしく返事をした。熱もあるし、さすがにきついんだろう。


 しかし朝食を済ませ、足早に家を出ようとしたところ、美羽がパジャマ姿のまま玄関先までついてきた。


「あなた、ネクタイが曲がっていまひてよ」


「言えてねーじゃねーか! ろれつが回らないくらいきついなら、マジで大人しく寝てろ!」


 こいつも俺に心配かけまいと、普段通りに振る舞っているのかもしれないが、やればやるほど泥沼だった。


「それじゃ、行ってくるからな。大人しく寝てろよ」


「……早く帰ってきてね」


 最後にそう言い残すと、美羽は部屋へと戻っていく。


 それを確認した俺もようやく安心し、自宅を後にしたのだった。


    ◇


 登校したものの、午前の授業はほとんど頭に入らなかった。


 そして迎えた昼休み。


 いつものように購買で買ったパンを手に、学食へと向かう。


「……って、何やってんだ俺」


 俺は購買のパンで、美羽は学食の定食。このパターンが定着していたからか、いつものようにパンを持って学食へ足を向けてしまっていた。


「慣れってこえぇ……」


 俺は人知れずそう呟いて、踵を返す。向かう先は中庭だ。


 あそこなら人もいるし、一人で飯を食っていても目立たないだろう。


「……そういえばあいつ、ちゃんと飯食ってるのかな」


 中庭で味気ない昼食を終えた直後、そんな疑問が浮かんだ。


「レトルト食品や冷食は常備してるし、大丈夫だとは思うが……一回だけ電話してみるか」


 悩んだ挙げ句、俺は電話をかけてみることにした。


「……出ない」


10回ほどコールを鳴らしてみるも、妹は電話に出なかった。


『昼飯、食ったか? 体調どうだ?』と、メッセージを送ってみるも、既読にはならず。


「あいつ、寝てんのかな」


 まさか、電話にも出られないくらい高熱に浮かされているんじゃ。


 いやいや、市販とはいえ風邪薬は置いてあるし、さすがにそれは考え過ぎだろう。


 でもあいつ、小さい頃から一度風邪ひくと長引いてたしな。兄ちゃん、心配だぞ。


「いっそ早退して……いやいや、それはさすがに……」


「あの、美羽ちゃんのお兄さん……?」


「……はっ」


 ベンチで一人頭を抱えていると、ふいに声をかけられた。


 顔を上げると、そこには妹の友達の村上が立っていた。


「あ、えーっと……村上だっけ。どうしたんだ?」


「これ、美羽ちゃんに渡してもらえますか。朝のHRで配られたプリントなんですけど」


「ありがとう。渡しとくよ」


 必死に取り繕いながらプリントを受け取る。今の姿、見られてないよな?


「……妹さん思いなんですね」


 村上は意味深な笑顔でそう言い、去っていった。しっかりと見られていたようだ。


    ◇


 やがて放課後になり、HRが終わると同時に俺は教室を飛び出した。


 そのままの足で近所のスーパーへと向かう。


「風邪ひいた時は冷たくて喉越しのいい食べ物が鉄板だな。ゼリーやプリンでいいか」


 この際だし……と、ちょっと高めのスイーツを選んでカゴに入れてやる。


 加えて栄養ドリンクも数本買い、大きな袋を抱えて自宅へと戻る。


「あ、お兄ちゃん、おかえりー」


 帰宅してみると、妹はパジャマ姿のままゲームをしていた。


「お前、熱は?」


「朝とお昼に薬飲んだら、すっかり治っちゃった」


「えぇ……じゃあなんで電話に出なかった?」


「電話?」


 妹は首をかしげながら、充電器に繋がったままのスマホを見る。


「あ、電話してくれてたんだ。全然見てなかった。ごめーん」


 ごめーん、じゃねーよ……人の気も知らないで。


 俺は脱力しながら、スーパーの袋を床に置く。


「そうそう。お兄ちゃんのファイナルクエスト、新しく始めたから」


 その時、妹のそんな声が飛んできた。


「ちょっ、俺のレベル99のデータは!?」


「てへへー、消しちゃったー」


「天使のような笑顔で言っても、お前は悪魔だ。俺の努力の結晶が……」


「全員レベル99とか、もうやんないでしょ?」


「そりゃそうだけど、達成感というか……」


 ステータス画面見て、ニヤニヤするんだよ……なんて考えながらゲーム画面を見ると、そこにはパーティーメニューが表示されていた。


「って、主人公の名前! なんで俺になってるんだよ! ヒロインの名前もお前だし!」


「いいじゃんいいじゃん。このゲーム、結婚システムあるしさ」


「よくねぇ! 今すぐ変えろ! 名前変更するアイテムあったろ!」


「あ、プリンだー。食べていい?」


「話を聞けー!」


「んもー、病み上がりの妹の前で騒がないでほしいでござる」


 本当に調子が戻ってきたのか、急に時代劇モードになりやがった。


「まあ、美羽の言うことも一理あるでござろう」


 俺も同じ口調で返し、嬉しそうにプリンを手にした妹の隣に座る。


「袋の中に栄養ドリンクもあるから、念のために飲んどけ。その、お前が元気ないと、俺も調子出ないんだ」


「じゃあ、もっと元気になるために、お願いしたいことがあるんだけど」


「妙に目を輝かせやがって……聞くだけ聞いてやる」


「プリン、食べさせてほしいなー」


「却下だ」


「はうっ……急に熱がぶり返してきた……! これは明日も休まないと……!」


 わざとらしくふらついて、俺の膝の上に倒れ込んできた。なんて都合のいい風邪だ。


「まあ、それだけ元気なら大丈夫か」


 自然と美羽の額に手を当てる。その熱は嘘のように引いていた。


「……お兄ちゃん、心配してくれて、ありがとね」


 そう言って俺を見上げる美羽は安心しきっていて、なんとも言えない艶やかさを醸し出していた。


「そりゃあ兄妹だし、心配するのは当然だろ」


 そう口にしながらも、その色気に内心ドキリとしている自分がいた。


 ……いつか一線を越えてしまいそうな自分が怖い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る