第2話 妹、料理する。


「……おはよう、アニキ」


 巨大な肉まんに押しつぶされる悪夢から目覚めると、例によって妹が俺の上に乗っかっていた。


「妹のモーニングプレス。目が覚めた?」


「最高の目覚めだな。程よい重さだ」


「えー、重い? これでもダイエットしてるんだけど」


「昨日、ヤシ牛でつゆだく大盛に豚汁までつけてたのは、どこのどいつだ?」


「……あたし、過去は振り返らない女なの」


 うれいを帯びた声で言う。


 いやいや振り返れよ。カロリーと栄養バランスは気にしろよ。年頃の女の子なんだから。


 心の中でツッコミを入れていると、妹が退いてくれたのか布団が軽くなった。


「つーか、今日は『アニキ』なんだな」


「そーです。今日はアニキの日なのです。というわけで今日一日、これで通すから」


 体を前後に揺らしながら、にへら、と笑う。美羽がその日の気分で俺の呼び方を変えるのはよくあることだ。


 本人も楽しんでいるし、俺も特に気にしない。中学の時には時代劇の影響か、半日くらい無駄に低い声で『兄者』と呼ばれたこともあるし。


「ところでお兄ちゃん、お腹空いたんだけど」


 呼び方、速攻で戻ってやがった。一日『アニキ』で通すんじゃなかったのかよ。


「昨日は俺が飯作ったろ。今日はお前が朝食当番だ」


「えー、お兄ちゃんのごはん、食べたいー。作るの、めんどいー!」


 セリフの後半に本音が出てる!


 つーか、体を左右に動かすんじゃない! パジャマ姿だし、色々揺れてる!


「あれ? 妹の胸が気になるお年頃?」


 とっさに向けてしまった視線に気づいたのか、妹が胸を押さえて頬を赤らめた。


「ち、ちがっ……食材は冷蔵庫に入ってるから、早く着替えて飯作れ! 花嫁修業だと思って!」


「わかった。お兄ちゃんの花嫁になれるよう、修行頑張るね」


 思わず顔を背けながら言うと、そんな声が飛んできた。


 俺はそれを全力で無視して、妹を部屋の外へと追いやった。


「はあ、朝から疲れる」


 大きなため息をついてから着替えを手にする。今日も密度の濃い一日になりそうだ。


「そうだ、お兄ちゃんって裸エプロンって好き?」


「朝から変なこと言ってないで飯を作れ!」


 その時、扉の向こうから意味不明な台詞が飛んできた。まったく、何やらかす気だ。


    ◇


「おっまたせー! 妹の手料理、めしあがれ!」


 それから20分後、妹がキラッキラの笑顔で朝食を運んできた。


 その食卓に並んだ料理を見て、俺は再びため息をつく。


「よくまあ、この料理を自信満々に出せたもんだな」


「カリカリの目玉焼き、おいしいよねー。いただきまーす」


「ちょいまち」


 笑顔のままに挨拶をし、箸を手にする妹を制止する。これは一言物申したい。


「美羽、これはカリカリってレベルじゃない。半分炭になってる。そして一緒に焼かれたはずのベーコンは何故か生焼けだ」


「不思議なこともあるもんだねぇ」


「不思議で済ますなっ。作ったのはお前だろ? どんなフライパンの使い方をすればこんな状況になる」


「細かいこと気にしてたら、器の大きな人間になれないよ?」


「そーいう問題じゃねぇ。あーもう、ベーコンよこせ。焼き直す」


 俺は妹の皿から生焼けのベーコンをひったくると、キッチンへ向かった。


 まったく、そのまま食おうとするんじゃねぇよ。あいつが腹壊したらどうすんだ。


    ◇


 てんやわんやの朝食を済ませたあとは、いつものように二人で学校へ向かう。


 午前中の授業を耐えきると、ようやく昼休みだ。


「アニキ、ご飯いこー?」


 朝の設定を思い出したのか、また『アニキ』呼びに戻った妹が視聴覚室の前で待っていた。


「四限目の移動教室は三限目の途中で急遽決まったんだが? 妹よ、どうしてお前は当然のようにここにいる?」


「ふっふっふ。妹には妹のツテがあるのだよ」


 尋ねてみると、したり顔でそう言った。こえぇ。妹のネットワークこえぇ。


「いいからほら、早く行かないといい席なくなるよー? ここ、学食から遠いんだからさー」


 驚愕する俺の手を取って、妹は走り出した。


 やがてたどり着いた学食で、妹は月見うどんを注文。そのお値段、350円。


 一方、俺の昼飯は購買で買った焼きそばパン。そのお値段、120円。


 約三倍の開きがあるが、その理由は先に話した通りだ。


「アニキ、男の子なのにそれっぽっちで足りる? 取り皿もらってきて、少し分けてあげよっか?」


「妹の飯を分けてもらうなんて恥ずかしすぎるっての。気にせず食え」


「取り皿が恥ずかしいのなら、ふーふーして直接……」


 なんか怪しい言葉が聞こえたので、俺は無言で隣の席へと移ったのだった。


 ……いつか一線を越えてしまいそうな自分が怖い。

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