うちの妹、ブラコンにつき。

川上 とむ

第1話 妹、日常の風景。


「お兄ちゃん、おはよー!」


「ぐえぇ」


 夢の世界にいたところ、妹のダイブ攻撃で現実に戻された。思わず、カエルのような声が出る。


「……美羽みう、毎朝、布団にダイブして俺を起こすのやめろ」


「でも、目は覚めるじゃん?」


「覚めるが、目覚めは最悪だ。本当、勘弁してくれ」


「やーだ」


 掛け布団を挟んで、そんな会話をする。春先の薄い布団だから、嫌が応にも妹の体温を感じてしまう。


 ……こいつ、まだパジャマだな。


「お前も早く起きて支度しろ。遅刻するぞ」


「もう少し妹の体温、感じてたいくせに」


「アホか」


 俺が起き上がる素振りを見せると、身軽な妹は颯爽とフローリングの床に降り立つ。


 その拍子に、肩ほどまでの黒髪がふわりと揺れた。


「ほれほれ、俺は着替えるから、お前も着替えてこい」


「着替えるの、見てていい?」


「いいわけあるかっ! はよいけ!」


「ちぇー」


 俺がドアを指し示すと、妹は苦笑いを浮かべながら部屋を出ていった。


    ◇


 高校二年の俺、新見歩にいみ あゆむは、一つ年下の妹、美羽と同じアパートで暮らしている。


 別に両親がいないわけじゃないが、同じ高校へ入学が決まった妹が、入学式の前日にカバンひとつ持って俺の部屋に押しかけてきたんだ。


 親父がこの部屋を用意してくれた時は、学生の一人暮らしにしてはやけに広いと喜んだものだが、今になってみれば、最初から妹との同居を前提にしていたのかもしれない。


 うちの親父、美羽にはとことん甘いからな。


「お兄ちゃん、あたしのブラがないんだけど……もしかして」


「何だその目はっ! 俺は知らんっ!」


 その時、美羽がドアをわずかに開けて、蔑むような視線を俺に向けてきた。


 昨日の洗濯は妹の担当だし、俺が知るはずもない。


「そっかー。なら、間違って入れちゃったかな」


 躊躇なく部屋に入ってきた未羽はタンスの引き出しを漁る。そのパジャマは前がはだけていた。


「おい、せめて前のボタンは止めろ!」


 とっさにそう叫ぶと、俺の反応を見た美羽がこっちを見て、悪戯っぽい笑みを浮かべた。


 こいつ、わかってやってるな。


    ◇


 身支度を整えたら食事の準備にとりかかる。朝食は当番制で、今日は俺の日だ。


「できたぞ。ごはんとみそ汁、アジの開き、それにほうれん草のおひたしと、味付け海苔だ」


「いつも思うけど、お兄ちゃん、朝からよくこれだけ手の込んだもの作れるね」


「本当にそう思ってるんなら、味見もせずにおひたしに醤油ぶっかけるのやめてくれないか? 一応、味はつけてあるんだぞ?」


「細かいこと言いっこなし! はい、お兄ちゃん、あーん」


 思わず出た愚痴を聞き流し、妹は箸でつまんだおひたしを俺の口へ運ぼうとする。


「しねーから」


 反射的に顔を背けて、俺は味噌汁をすする。


 対面に座る妹はけらけらと笑って、醤油漬けになったおひたしをごはんと一緒に頬張った。


    ◇


 朝食を済ませたら、二人一緒に登校する。


 並んで歩くのは構わないんだが……スキあらば俺と手を繋ごうとするのは勘弁してほしい。同じクラスの生徒が見ていようがお構いなしだ。


「つーか、俺とばっかり一緒にいたら、男子が寄りつかなくなるぞ?」


「あたし人気者だから大丈夫。昨日も一昨日も告白されたし」


「え、マジで?」


「マジマジ。全然知らない人だったから、どっちも断ったけど」


「まあ、お前って人当たりは良いからな」


「まーねー。だから、お兄ちゃんと一緒にいるのは、一種の予防策」


「予防策?」


「そう。変な虫がつかないように」


「それ、自分で言っちまうんだな」


 人差し指を立てながら真剣な顔で言う妹に苦笑していると、やがて校門が見えてきた。


    ◇


 午前の授業が終わり、昼休みになる。


「お兄ちゃん、ごはん行こー」


 すると一分も経たないうちに、教室の入口から妹の声がした。


「相変わらず、来るのはええよ」


「よう。また彼女と一緒か?」


「羨ましいねー!」


 席を立つと同時にクラスメイトたちの茶化す声が聞こえた。


 それを全力でスルーして、廊下で妹と合流する。向かう先は学食だ。


「お兄ちゃん、今日もパンなのー?」


「ああ、購買の三色パンはうまいんだぞ」


 二人で学食へ向かう中、俺の手には購買で買ったパンと牛乳がある。


 どっちも100円。実にリーズナブルだ。


「せっかくだし、お兄ちゃんも学食で食べればいいのに。日替わり麻婆定食、おいしいよ?」


 俺の手にある品を見ながら、妹は屈託のない笑顔を向けてくる。


 うまいのはわかってんの! 俺まで学食で食ったら、月の食費がやばいの! お前が食事で不自由しないように、我慢してんの!


 そう心の中で叫んで、今日も淡々と学食へ向かったのだった。


    ◇


「よう、待ってたぜっ」


「……なんだ、その妙なノリは」


 放課後になると、妹は必ず校門前で待っている。俺なんか気にせず、クラスの友達と帰ればいいのに。


 もしかしてお前、告白されてばっかで友達いないのか? 兄ちゃん心配なんだが。


「晩ごはん、今日はどうするの―?」


「そうだなぁ……何食いたい?」


「ヤシ牛。つゆだく大盛」


「またかよ」


「だっておいしいじゃん」


「それは認めるが……また外食か」


 ちなみにヤシ牛というのは、今やどこにでもある牛丼チェーン店だ。


 個人的には栄養のバランスが気になるが、妹が食いたいと言うのならしょうがない。


「一回家帰って、着替えてからな。よっ、ほっ」


 朝と同じように、スキあらば手を繋ごうとしてくる妹から涼しい顔で逃げつつ、俺は帰路についたのだった。


    ◇


 リクエスト通りの夕食を済ませて帰宅すると、妹はすぐに風呂に入る。


 この妹の入浴時間こそ、俺が唯一心休まるひとときだったりする。


 今までの話で大体お分かりいただけたと思うが、これが俺と妹の日常だ。


 妹は小さい頃から俺にべったりで、俺も兄妹なんてそんなもんだろうと、気にしていなかった時期もある。


 だけど最近、その……美羽はお兄ちゃん愛に溢れすぎていると気づいてしまった。いわゆるブラコンだ。


 しかも隠すことなく、それを俺に向けてくる。


 告白されまくるから予防策……というのも、きっと口実の一つだろう。


 そんな妹と一つ屋根の下。俺も必死に堪えてはいるが、このままだと……。


「お兄ちゃん、お風呂空いたよー」


「お、おお、今日は早いな……」


 その時、まだ髪を濡らしたままの妹が脱衣所から出てきた。


「髪が短いとはいえ、きちんと乾かせ。風邪ひくぞ」


「ほーい」


 やる気のない返事をしつつ、がしがしとタオルで頭を拭く。女の子がそれはいかがなものか。


「入浴剤、使ったか?」


「使ってないよー。はい、妹の残り湯どーぞ」


 ウインクしながらそんなことを言ってくる始末。俺は無言で浴室に向かい、バスタブの栓を抜いた。


「ちょっとお兄ちゃん、何してるの!?」


「湯を張り直す」


「えええ、水道代、もったいないからやめなよ!」


 そっちか。問題そっちなのか。


 まあ、湯を張り直したところで入浴中はたびたび妹に覗かれるから、俺の気は全く休まらないわけだが。


「お兄ちゃーん、背中流してあげよっか?」


 ……ほら来た。


 ……いつか一線を越えてしまいそうな自分が怖い。

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