依頼
「それは無理だ」
大学寮の管理人室。
切羽詰まった表情で訪れた娘に、私はきっぱりとそう答えた。
「でも……燈子さんは『見える』人だって」
「……誰から聞いた、そんな話」
訊ねるまでもなく、そんな中途半端で無責任なことを言う輩は一人しかいない。
今日に限って姿を見せない――危機管理能力は備わっているらしい――その男の顔を思い出して、私は苦虫を噛み潰す。
私には、人の「記憶」が見える。
公園で頭を抱える男性や、廊下の隅で誰かと喧嘩をしている少女。その人にとって強く印象に残った「記憶」は、その場所に焼き付いてしまう。私の目はそれを映像として認識してしまうらしい。
もしかしたら、それを地縛霊と呼ぶ人もいるかもしれない。だが、生きている人間の過去の行動も見える事があるのだから、霊ではなくて「記憶」なのだろうと漠然と思っている。
街の中や家の中、あらゆる所に人の「記憶」は落ちている。新しい記憶は鮮明に。古い記憶はだんだんと薄れて。「記憶」と現実を見分ける方法はただひとつ。音声の有無だけだ。
口が動いているのに、声は聞こえない。それが私にとっての「記憶」である。
この寮で働き出して2年になるが、寮生は誰も、私の力のことを知らないはずだ。
だから彼女にそんな情報を植え付けられるのは、一人しかいない。
「私は別に、霊感があるわけでも幽霊が見えるわけでもない。だからその依頼には応えられない」
彼女の依頼は、死んだ祖母を口寄せすることだった。言うまでもなく、そんな力は私にはない。けれど、こういう依頼を持ってくる方は大抵切羽詰まっているから、できないと突っぱねても食い下がってきたり、断れば逆恨みを受けることもある。
実を言えば、過去にもそんなことがあったのだ。自分に見える「記憶」を頼りに、クラスメイトのなくし物を見つけたり、どうしてもと頼まれて他人の行動をあててみせたりしたことが。けれど、そんなことが積み重なった結果、いつのまにか「篠蕪燈子は占いができる」だの「霊感がある」だのという無責任な噂が立つようになった。後は推して知るべしだ。
だからいつの頃からか、私は自分の力を口外しなくなった。なのにあの男ときたら――次に会ったらギッタギタのメッタメタにしてやると、私は内心で堅く拳を握る。
「大体、何でそんなことがしたいんだ」
私の問いに、彼女は俯いた。
彼女の話はこうだった。
事の発端は、数日前に亡くなった祖母の棺に、祖母が大事にしていた指輪を入れてやろうと考えたことだった。だが、祖母の部屋をいくら探しても、それは出てこない。そうこうするうちに、通夜の当日がきてしまった。
「明日のお葬式が終わったら、もう入れてあげることができなくなってしまうから、だから今夜中に……」
「なるほどな」
と、私は頷く。口寄せはできないが、それならば。
「それなら……、もしかしたら役に立ってやれるかもしれん」
家の中には、まだ故人の「記憶」が沢山残っているだろう。それを見れば、判ることもあるかもしれない。
「ただし、このことは絶対に口外しないと約束してほしい」
私の声に、彼女はぱっと顔を輝かせた。
結局、指輪が祖母の棺に入れられることはなかった。
彼女が探し回ったそれは、
――そこには穏やかな表情を浮かべ、大切そうにそれをしまう祖母の「記憶」が微笑んでいた。
「へえ、そうなんだ」
事の次第を聞いて、にこにこと笑う男を私は睨み付けた。
「大体、お前が余計なことを言わなければ」
「でもそのおかげで、喜ばれたんでしょ?」
「…………」
確かに、故人にとっても遺族にとっても、憂いなく葬儀をあげられる以上のことはないだろう。だからといって、こいつを許したわけではないけれど。
微笑む相手から視線を外し、私は溜息を吐いた。
かくて今日も、滞りなく陽は沈む。
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