第9話 ちひろ⋯⋯恐ろしい子

 朝のホームルームが始まる前の時間。

 俺は平和に自分の席に座っていた。


「おはよ~」

「おはよう」


 そんな中、ちひろがホームルーム5分前に登校してきたので、俺は優雅に挨拶を返す。


「あれ? てっきりクラスの男子にボコボコにされていると思ったのに」

「何を言ってるんだ。新クラス早々ケンカ何かするかよ」

「だって昨日、リウトが可愛い姉妹を持っていることがバレて追いかけられていたよね」

「その件はもう和解したんだ。そうだよな悟」

「そう。俺達は親友だから⋯⋯でへへ、琴音さん⋯⋯」


 俺は斜め後ろの席で、上の空で夢見心地な表情をしている悟に問いかける。


「木田くんの様子おかしくない?」

「いや、いつもどうりだろ」


 ちひろは何か変だと感じたのかジーっと悟と俺を交互に見てくる。

 しかし悟はそんなちひろのことを気にもせず、変わらぬ顔でにやけていた。


「わかった! 琴音さんが皆を魅了していったんでしょ」

「魅了って⋯⋯」


 どこかの悪魔であるサキュバスみたいだな。もしコト姉がサキュバスのコスプレでもしたら、男子のみならず、女子も魅了され学園が機能不全になることは間違いないだろう。


「コト姉が俺と仲良くして上げてねって言っただけだぞ」

「やっぱりね。本当琴音さんはリウトに甘いよ」


 そんなことはないと否定したい所だが、それは紛れもない事実だから否定はできない。


「いつかリウトは琴音さんのファンに刺されるんじゃない?」

「怖いことを言うんじゃない」

「もしくはリウトが彼女を作ったら、琴音さんにリウトが刺されたりして」


 ちひろは笑顔で恐ろしいことを言ってくる。

 もし本当に俺に彼女が出来たら⋯⋯「リウトちゃんに彼女? リウトちゃんは私のものだよね? もし他の人に取られるならいっそのこと⋯⋯」想像してみたがあり得そうで怖い。


「いくらコト姉がブラコンでもそんなことをしないだろ⋯⋯ははは」

「それもそうだよね」


 この時俺は、コト姉への恐怖から乾いた笑いを浮かべることしか出来なかった。


「静かにしろ」


 朝のホームルームの時間になり氷室先生が教室に入ってきたので、皆自分の席に戻る。


 時間は間もなく8時半。ん? まだ来てないクラスメートがいるぞ。

 それは俺のことを嫌っている神奈さん。

 品行方正で通っている彼女が遅刻? 珍しいな。それとも体調を崩してしまったのだろうか。

 クラスメート達も神奈さんがいないことにざわつき始めている。


「すみません! 遅れて申し訳ありません!」


 突然教室の後ろのドアが開き、神奈さんが頭を下げながら自分の席へと向かう。


 あれ? 俺はその時神奈さんの姿に⋯⋯いや手に違和感を感じた。


「絆創膏?」


 俺の後ろの席にいるちひろも変だと思ったのか、神奈さんを見て思わず口に出していた。


「ケガか? だが一日であれだけの傷を負う理由はなんだ⋯⋯」


 両指十本のうち六本に絆創膏が張ってあるなんて、ベタだがバレーボールでも始めたのか? だが彼女は帰宅部だったはずだ。それ以外だと料理が下手で包丁で指を切ってしまった? いやあの完璧超人の神奈さんが料理が出来ないなんてあるか? だが今まで神奈さんの料理が上手いという話は聞いたことがない。

 いや、まさかな⋯⋯。


「静かにしろ! 神奈、今日はまだ予鈴のチャイムが鳴っていないから見逃すが、早めの行動を心がけろ」

「はい、すみませんでした」


 そして氷室先生の一喝があり、教室は静寂を取り戻すが、休み時間になると大勢のクラスメートが神奈さんの席に殺到する。


「神奈さんが遅れるなんて珍しいね」

「通学途中で何かあったの?」

「その指はケガをしたのかな?」


 さすがは羽ヶ鷺のヒロイン。人気が半端ないな。クラスメートの1/3は集まっているんじゃないか。

 俺も遅刻しかけた理由が気になるが、もしあの輪の中に入れば、神奈さんから冷たい視線をもらうことは間違いないので、聞き耳を立てるだけにしておく。


「う~ん⋯⋯皆神奈さんのことが気になっているみたいだけど今はやめておいた方がいいんじゃないかな」

「どうしてだ?」


 ちひろが神奈さんの方に視線を向けて眉間にシワを寄せていた。


「たぶん神奈さん疲れているんじゃないかな? 普段は元が凄く良いから化粧なんかしてないけど、目の下のクマを隠すためにコンシーラーを使っているから」


 確かにちひろの言うとおり、神奈さんは目元に化粧しているようだった。

 こいつ⋯⋯良く見ているな。俺が男だということもあるかもしれないけど全然気づかなかった。


「さすがちひろ、よく気づいたな。まるで女子高生みたいだ」

「私は花の女子高生だから! そんなだからリウトはモテないのよ」

「ぐっ!」


 昨日自分がモテないことを再確認したから、今のちひろの言葉は心にグサッと刺さる。


「男女で付き合うことが青春の全てではない。べ、別に女の子にモテなくてもいいさ⋯⋯⋯⋯⋯⋯嘘ですごめんなさい」

「よろしい。そんなことより神奈さん迷惑そうだよ? リウトなんとかしてあげなさい」


 そんなこと⋯⋯だと⋯⋯。

 俺は女の子にモテることをそんなこと扱いしたちひろに怒りが込み上げてきた。だが確かに今は、クラスメート達の質問に対して苦笑いを浮かべている神奈さんを何とかした方が良さそうなため、溜飲を下げることにする。


 10人程いる人達を神奈さんから引き離すにはどうしたものか。下手なことをすると神奈さんはもちろんのこと、クラスメート達からも反感を買いそうだな。


 取り敢えず1つ考えは浮かんだ。まずは男どもを神奈さんから引き離すとするか。


「そういえばコト姉が、休み時間に生徒会の仕事を手伝ってくれる人はいないか探していたな」


 俺は少し声高に宣言すると、忽ちクラスのほとんどの男子が教室を出ていく。


「琴音さん今いきます」

「誰かが俺の助けを待っている」

「ちょっと生徒会室に行ってくるかな」


 自分で言ったことだが、こいつらはどれだけコト姉のことが好きなんだ。ちゃんと授業が始まるまでに戻ってくればいいが。まあ生徒会は常に忙しく人手を求めているし嘘は言ってないからいいか。

 後は女子達だが変なことを言って好感度を下げたくないしなあ。

 俺はどうやって女子達を神奈さんから引き離すか考えていると、ちひろが突然手を叩いた。


「いいこと思いついた」


 ちひろが下衆な笑みを浮かべて俺の耳元に唇を近づけてくる。

 何だか俺に取っては嫌な予感がするような⋯⋯。


「リウト⋯⋯昔取った杵柄であの子達のスカートを捲ってきなさい。そうすればあの子達はこの場からいなくなるわ」

「そんなことすれば俺が警察に捕まって学園からいなくなるわ!」


 俺は即座にちひろの言葉に反応する。それにしてもかつてスカート捲りのプロと呼ばれた俺のことをなぜ知っている? 俺はちひろの情報網の広さに驚きを隠せない。


「冗談よ。ここは私に任せなさい。あんたの手は借りないわ」


 ちひろはたまに笑えない冗談を言うから安心できない。だが今はちひろのやることを信じて俺はその行動を見守ることにする。


「ねえねえさっちん、かおりん、あかね」


 ちひろは神奈さんの周りにいた女子⋯⋯水本 幸子、迫田 かおり、世良 あかねに話しかける。


「何?」


 そして三人を代表してか、水本 幸子がちひろの問いに答える。


「三人共春休みの宿題やった?」


 ちひろの言葉に三人は苦笑いを浮かべる。

 宿題? 確か俺のデータでは三人は勉強があまり得意ではなく、一年の学力はD判定だ。

 しかしちひろは何故今宿題の話をしたのだろう。


「数学の提出って今日だったよね。もし終わってないならリウトが見せてくれるらしいから、一緒に写さない?」

「えっ?」


 俺はちひろの提案に思わずまぬけな声を上げてしまう。


「見る見る~」

「わからないところがあったんだよね」

「ありがとう天城くん」


 そしていつの間にか俺が宿題を見せる流れになっていた。


「ほらリウト、数学の宿題を早く出して。あの子達がここにくれば神奈さんはゆっくり休めるでしょ」

「あ、ああ⋯⋯」


 腑に落ちないこともあるが、確かにちひろの言うとおりあの三人が宿題を写している内は、神奈さんの元に行くことはないだろう。

 俺は仕方ないなと思いつつ、三人に数学のノートを渡す。


「ありがとう」

「この恩は忘れないよ」

「感謝感謝」


 理由は何にせよ、女の子に感謝されるのは悪くない。だが俺は少しだけ良い気になっていたが、この後のちひろの言葉に愕然とする。


「いや~私もわからない所があったから助かったわ」

「お前も終わってないのかよ!」

「けどこれで神奈さんは休める、私の宿題も終わる、一石二鳥じゃない?」

「まさかちひろ⋯⋯最初からこれが目的で⋯⋯」

「ふふ⋯⋯どうかな」


 何となくちひろが神奈さんを助けると言い出して違和感を感じたが、まさか自分が宿題を写すためだったとは。

 俺は嵌められたと思いつつも、周囲に誰もいなくなってホッとため息をついている神奈さんを見て、これで良かったんだと納得することにした。

 だが俺の視線に気がついたのか、神奈さんと目が合ってしまったので、俺は手を振ってみる。

 しかし神奈さんから俺に手を振り返すことはなく、顔をプイっと背けられてしまうのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る