第616話 随分いい加減じゃないか。

「そういう噂がこちらの耳にも入っています」


 マルチェルはシュルツにも聞かせるようにそう言った。


「イドの制御が苦手な人間もいるでしょう。しかし、そうであってもあきらめる必要はありません。泳ぎを覚えるのと一緒で、時間をかけて慣れればいいだけのことなんですが」

「僕としては毛嫌いする対象が『魔法』にまで広がることが、腑に落ちないのだが。嫌いになるほど魔法と触れ合う機会もなかったろうに」


 マルチェルが不思議がれば、ドイルも自分の疑問を述べ立てた。

 2人の言葉を聞き、アランは顔をしかめた。


「どうもネロの奴が裏で煽っているらしい」

「煽るとはどういうことだ?」

「ウニベルシタスの存在は聖教会の信仰と相反するものだと言うんだ」


 苦々し気に告げるアランの姿に、ドリーは居心地の悪さを感じる。

 そもそもウニベルシタスで宗教について教えることはない。聖教会と敵対するような内容のカリキュラムは存在しないはずだった。


「ますます不思議だ。ウニベルシタスのどこが気に入らないのだろう?」

「第一に、聖スノーデンが広めた魔術を否定するところが問題だそうだ」


 600年前、スノーデン以前にも魔術師は存在したが、その数は限られていた。聖スノーデンが神器を創り出したことによって人々に「魔術の種」がまかれたのだ。その偉業をたたえることが聖教会では教義の中心となっている。

 魔術を否定することは聖教会の存在基盤を否定することに等しいと、ネロは論じていた。


「別に聖教会の連中が何を信じていようと興味はないんだが……。スノーデンが使っていた魔術と今広まっている魔術が同じものだと、どうして言い切れるのかね?」

「えっ? だって魔術だろう? 同じに決まっているでしょう」


 ドイルがいかにも彼らしい理屈を唱えて鼻を鳴らすと、アランは意味がわからないという顔をした。


「どちらも因果律に介入し、通常は起こらない現象を意志によって引き起こす術ではある。しかし、同じ『魔術』という呼称を用いたからといって、2つのものが同じと決めつけるのは早計だ」


 ドイルに言わせれば「魔術」とは単なる呼称に過ぎない。同じ呼び方をしたからといって同じものだとは限らないのだ。


「記録に残るスノーデンの魔術は、むしろメシヤ流魔法に近い。引き起こした現象の類似性を見るとね」

「それは……聖教会をもっと怒らせる意見ではないか? 彼らは聖スノーデンが魔術の祖という立場だからな」


 ドイルの意見は毎度のことのように物議をかもす内容だった。しかし、問題の本質はそこではない。


「メシヤ流は魔術の乱用を批判しているだけで、魔術そのものを否定しているわけではない。現に生活魔法の多くは、初級魔術と同じものだ」


 ドリーは魔法師の立場から事実を伝えた。だが、否定そのものを目的とする人間にとっては事実などどうでも良いのだろう。火のないところに煙を立てる。誹謗中傷とはそういうものだ。


「正直、細かいことは俺たち騎士にはわからん。聖教会と対立していると言われても、騎士の大半は平民だからな。そもそも聖教会になじみがない」

「何だね、それは? 随分いい加減じゃないか」


 アランの態度はどこか投げやりに見えた。理屈にうるさいドイルが早速噛みつく。

 だが、マルチェルやドリーにはアランの言うことが何となく理解できる。「何だかごたごたして面倒くさいな」と感じれば、それだけで魔法というものから距離を置きたくなるだろう。

 武術に傾倒した「肉体派」の思考など、その程度のいい加減さなのだった。


「魔法の方は俺たち騎士が苦労して身につける必要もない。専門の魔術師、魔法師というのか? そういう連中に任せておけばよいというのが大方の考えだな」

「『魔法の方は』ということは、イドの制御については学ぼうという風潮があるということか?」


 相変わらずアランの言葉には熱がこもらない。騎士たちの考え方についていこうと、ドリーが重ねてアランに聞いた。


「イドの制御についは否定派と肯定派が半々というところかな。大演習でその威力が知れ渡ったので、肯定派の方に若干勢いがある」

「何とものどかなことだ――。王立騎士団ともあろうものが生ぬるい話だな」

「何だと! 生ぬるいとは聞き捨てならん!」


 アランの言葉をドリーは鼻で笑った。軽んじられたと受け取ったアランは、年頃の近いドリーを睨みつけた。

 ウニベルシタス在籍当時、ドリーとは訓練でよく手合わせしていたが、剣の実力は同レベルだと思っていた。


 達人として知られたマルチェルならいざ知らず、ドリーに騎士団を軽んじられて黙ってはいられない。


「武を志す者が口先の議論で派閥を為すなど生ぬるいと言ったのだ。四の五の言わずに戦ってみればいいだろうに」

「それは……。意見が異なるからといって戦うなどと野蛮なことは……」

「わははは――!」


 過激にけしかけるドリーの勢いに押されて、アランはしどろもどろになった。


「これは失礼した! 王立騎士団とはどうやら武を極める偉丈夫の集まりではなく、花鳥風月をめでる行儀見習いの場だったか。ならばこちらの勘違いだ」

「何を、貴様っ!」


「静まれ、アラン!」


 椅子を蹴って立ち上がったアランをシュルツの一言が抑え込んだ。


「ドリー女史の言葉はもっともだ。訓練方法に異論があるなら実力を持って信じる道を示せばよい。議論だけでは国を守れぬ」

「ぐっ……」


 シュルツは目の動きでアランに席に戻るよう指示した。ぐうの音も出ないアランは顔を赤くして、座り直した。


「だがな、ドリー君。王立騎士団を行儀見習いの場と言ったな。その言葉、軽くないぞ?」

「吐いた唾は飲めぬこと、重々承知しています」


 口調は静かであったが、シュルツの目には王立騎士団長としての気迫が籠められていた。


「よかろう。その言葉、立ち合いを以て証と為す覚悟があるな?」

「もちろん」


 ドリーも一歩も引かぬ気迫でシュルツを見返した。

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