第609話 一般有意性理論を覚えているかね?

 波といえば、まず水面を走る波紋を思い浮かべる。この時の媒質ミディアムはもちろん「水」だ。

 よく見るとわかるが、水は上下に動いているだけで波紋と共に水平に広がっているわけではない。


 それでいて「波」は水の動きによって水平方向に移動するのだ。


「ID波についてもこれと同じだ。物質界とイデア界に共通した媒質ミディアムが存在する」

「それがアバターだということですか?」


 結論を急ぐマルチェルを睨みつけて、ドイルは唇を曲げた。


「説明には順序というものがある。話を聞き給え」


 ID波を伝える媒質ミディアム、それは「因力いんりょく場」である。

「原因(因)」と「結果(果)」の間に存在する引き合う力、それが因力だ。


「イデア界について語った際、因力については説明していたね?」

「確か因力とは魔力と同義だと聞いた気がします」

「一般有意性理論を覚えているかね?」

意子イドンは物質界とイデア界に同時存在し、物質界では疑似物質として振舞いイデア界では非物質として振舞う、と」


 まるで教室で教師の質問に答える生徒のように、マルチェルはドイルの質問に答えた。


「合格だ。よく覚えているじゃないか。ならば、ID波の媒質ミディアムが因力場だと聞いて不思議に思わないかい?」


 クイズを出す教師の顔で、ドイルはマルチェルに問いかけた。


「待ってください。イドンとはイドを構成する微粒子でしたね? イドは存在の本質であり、『無意識の自我』でした。魔術や魔法とは意志によってイデア界に干渉し、因果関係を改変するもの。因果関係の本質は因力……」


 マルチェルは額に手を当てて考え込んだ。

 答えに近い所にいるのに手が届かないもどかしさ。何かが足りない。


「ID波が因力に干渉する……そのID波の大本は意志だ……。うん? そもそも意志をどうやって伝える? 伝える――伝える――伝える――」


 マルチェルは額から手を離し、勢いよく顔を上げた。


「意志だ! 意志を伝える媒質ミディアムが足りない!」

「よーし! よくできた。その通り! ID波には因力場と共に、意志を伝えるもう1つの媒質ミディアムが存在する」


 ドイルは勝ち誇ったように胸を張った。


「ID波のもう1つの媒質ミディアム、それは『意力場』だ」


 ID波とは意力と因力の波が複合されたものだとドイルは言った。

 意力は因力に影響を及ぼし、因力は意力に作用する。


「2つの要素が振動しながら2つの媒質ミディアムに乗って進む。それがID波のあり方だ」


 ドイルの説明を黙って聞いていたドリーが深く頷いた。


「なるほど。それならば魔法の発動にとってイメージが重要だという事実が納得できる。強いイメージは強い意力となって、等しく強い因力を伴うのだな」

「正しい。ID波はイデア間の因力結合に『意因誘導』作用を及ぼし、因果の組み合わせを変える。それが魔法の発動原理だ」


 この5年間でドイルが発展させた「一般有意性理論」の補完理論だった。


「ここまで来て初めてアバターについて語るベースが揃うんだ。もう一度問いに立ち返ろう。アバターとは何か?」


 ドイルは虹の王ナーガについて観測された特徴を列挙した。


「アバターは意志があるように振舞う。アバターには物質的な実体がない。アバターは魔法の発動を術者に代わって制御できる。アバターを術者と従魔は共有できる。アバターは術者を守る」


 改めて言葉にされるとアバターという存在の不思議に、ドリーは圧倒される。意志があって実体がなく、人間を守る存在。


「それではまるで精霊か、守護霊のようだな」

「ふむ。それも1つの解釈だね。何の説明にもならないが、わかりやすくはある」

「おや? ドイルなら迷信だと言って怒り出すかと思いましたが……」


 ドリーがふと漏らした感想をドイルは頭ごなしに否定しなかった。科学的とは言えない内容だったはずだが。


「まあな。そのまま受け入れるわけにはいかないが、『観察』としては一理ある。精霊や守護霊と呼ばれるものが実はアバターと同じものを指しているかもしれないからね」

「アバターは昔から存在していた可能性があるということか」


 迷信や言い伝えの中身までも科学的考察の材料にしようとするドイルだった。マルチェルはドイルの姿勢に、以前よりも柔軟になったものだと感心した。


「さて、実在としてのアバターの成立について大雑把に2つの仮説がある。1つは元々存在していたと考える立場だ。術者はそれを見つけて手懐けたという見方だね」

「イデア界に思念体が存在できないというなら、アバターは物質界の存在というわけか」

「その問いに答える前に2番めの仮説に触れておこう。2つめは、何らかの形で術者がアバターの誕生を促したという考え方だ」


 精霊という呼び名に引っ張られたわけではないが、ドリーはアバターは人間が生み出せるものではないと感じていた。人為的なものにしては存在感が濃すぎた。


「実際にアバターを目撃した身としては、あれが人の手になるものとは思えないな」


 あくまでも自分の感想だがとドリーは断りを入れた。


「直接観測した人間の感想は軽々しく否定できない。もう1つ虹の王ナーガの成立時期から考えて、僕も2つめの仮説は根拠が薄いと思う」

「そうなると、考えるべき問題は『ステファノが、いつ、どこで虹の王ナーガに出会ったか』ですね」


 マルチェルはゆっくり嚙みしめるように、課題をまとめ直した。


「それなんだがね。僕は相当に早い時期だったと考えている」

「アカデミー入学前後ですか?」


 マルチェルはドリーと出会った頃のステファノを思い浮かべていた。


「いや、僕の考えではもっと早い。マルチェルが瞑想法を手ほどきした日さ」

「何ですと?」


 ドイルの答えは、マルチェルを驚かせた。

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