第607話 それはそれで興味深い現象だね。

 ドイルたちウニベルシタス一行は、魔動車マジモービルで王都までやってきた。


「僕としては滑空術という奴を体験してみたかったんだがね」


 宿に落ち着いたドイルは若干残念そうに言った。

 ドイルの部屋に、マルチェルとドリーが合流して翌日のために打ち合わせをしようとしていた。


「あれはそれなりに難しい。飛ぶだけなら我々にも何とかなりますが、お前を運んでとなると長時間は無理です」


 イドで翼を創り出し、土魔法と風魔法を併用して推進力と揚力を得る。マルチェルでも真っ直ぐ飛ぶことは可能だが、空中機動にはセンスと経験が必要だった。


「わたしの方がマルチェルさんよりはましだと思うが、自在に飛べるとは言えないな」


 若さを生かして「飛行時間」をそれなりに積み重ねたドリーでも、人を抱えて飛ぶのは無理だ。

 もちろんドイル自身はまったく飛べない。土魔法を使って跳び上がることはできるだろうが、飛躍の頂点に達したら後は落ちるしかない。まったく訓練を積んでいないのだから当然の状態だった。


「ステファノはアバターを介して従魔の経験を共有できるからな。あれはいかさまに近い」

「ですが、その前に魔視脳まじのう覚醒からアバター解放にまで至る必要があります」


 マルチェルがドリーに釘を刺した。


「アバターか。あれも太陰鏡ルナスコープを使ってから5年たってもアバターを覚醒させた人間が1人もいないからね」


 ドイルの言う通りだった。あのヨシズミでさえギフトの進化は得たものの、アバターの解放には至っていなかった。


「ステファノだけの特殊な才能なのだろうか?」

「彼の言葉ではハンニバル師やサレルモ師にもアバターの存在を感じたようですよ?」


 ドリーの疑問はマルチェルの補足によって修正された。「上級魔術師だけの特殊な才能が存在するのかどうか」という命題に。


「ヨシズミが元いた世界にアバターという概念はなかったそうだ。この世界特有の現象ということになるね」


 獲物を見つけた猫のように、ドイルの瞳がぎらぎら輝く。


「ギフトそのものが存在しなかったそうだからね。随分こっちとは状況が違う」

「そうか。アバター以前にギフト自体がこの世界固有の特殊能力というわけだな」


 舌なめずりしそうなドイルの様子に当てられながらも、ドリーは状況の特殊さを飲み込んだ。


「ギフトが鍵になるかもしれないのだな? すると、貴族がその鍵を握っていることになるか」

「まあね。今のところはという限定がつくが」


 現時点ではギフト保持者の大多数は貴族階級に偏っている。その原因は「血統因子」だ。

 ならば、同じように太陰鏡ルナスコープを用いたとしても、アバターは貴族の中から発現する可能性が高かった。


「彼はどうなったでしょうか? マランツ師の弟子の……」

「ああ、ジロー・コリントか」


 マルチェルの疑問に応えたのはドリーだった。彼女はウニベルシタスで剣術を指導する教官役を務めているが、魔法指導についても補佐を手伝っている。魔法科の事情に詳しかった。


「あれは随分実力をつけたはずだ。魔術の無駄を捨てて、魔法の合理性を受け入れるのに苦労していたがな」


 一年間の在学で卒業し、王立アカデミーに復学したのだった。確か、その後首席で卒業したのではなかったか。


「だが、アバターを発現させたという話は聞かないな。やはり余程に難しいことのようだ」

「あいつはギフト持ちではなかったからね。サンプルとしては条件が足りない」


 条件――貴族に生まれたギフト持ち――を言うなら、ネルソンやドイルの方が事例にふさわしい。その彼らにしてこれまでアバターの発現を見ることはなかった。


 ステファノのケースが特殊なのか? ドイルは、かなり早い時期からステファノにアバターの発現が見られたことに注目していた。


「君の話では、アカデミー入学直後から彼にはアバターがついていたのだろう?」

「そうだ。ステファノ自身、『虹の王ナーガ』という特殊な呼び方で蛇のイメージを呼び出していた」


 元々は七色に魔力属性を当てはめたところから「虹」のイメージを利用したと、ステファノは語っていた。

 しかし、その後瞑想法の練習中に魔物のように巨大な蛇と対話している。


「そうなると、魔視脳まじのうの解放がアバターを創り出したという仮説は成り立ちにくいんだ」


 ドイルは2つの仮説を持っていた。


 1つは、「ステファノのイメージ力が虹の王ナーガというアバターを創り出した」という仮説だ。

 2つめは、「ステファノは瞑想を通じて虹の王ナーガという思念体と『何らかのリンク』を結んだ」という仮説だった。


「1つめの仮説は『思い込み』と言っているのと同じじゃありませんか?」

「強力な自己暗示と言ってもいいがね」


 マルチェルにはどうにも信じられない仮説だった。


「アレの存在感は自己暗示などという生易しいものではない。わたしには何らかの『実在』であると感じられます」

「わたしもマルチェルさんに賛成だ。あれはこの世のものではない。だが、とてつもない力を持った『何か』だ」


 観察系のギフト「蛇の目」を持つドリーは、虹の王ナーガの生々しい迫力を肌で実感していた。


「実に面白いね。検討を進めるために、虹の王ナーガとは実在する思念体だと仮定しよう。それならステファノはどこでどうやって虹の王ナーガとのリンクを得たのだろう?」


 ドイルはよだれを垂らしそうな顔をしていた。


「やはりイデア界の住人なのでしょうか?」

「それは浅はかだね」


 マルチェルの思いつきを、ドイルはぴしゃりと否定した。

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