第601話 スノーデンには記憶がない。
「神の光」――スノーデンが受けた啓示はそう受け取れるものだった。服も鎧も貫き、体の内部にまで届く天上の光。それをこの地上に再現するのだ。
そのためには
完成すれば神器はドーナツ状の回廊「神の輪」を土属性魔術で創り出す。
やがて頭頂部に冠として授けられた「神の輪」から、人間の体内に
「俺も神の意志を引き継いだ者の1人なのか?」
スノーデンには記憶がない。だが、自分とジェーン以外の人々に魔術が使えないことは知っている。自分は
証拠はないが、それが一番あり得そうな状況だとスノーデンは推測していた。
全国各地の分教会で「神の光」を人々に与えるには、神器を数多く作った方が良いのか? スノーデンは頭を悩ませた。
「神器を独占したいという欲はないが……数を増やせば混乱が生じるだろう」
神器がスノーデンの手の中にあるうちはいい。一軍に勝る武勇のスノーデンから神器を奪い取ろうとする愚か者はいないだろう。しかし、全国の分教会に神器をばらまいたとしたらどうだ?
それを奪い取ろうと考える者が必ずや出てくるだろう。
「効率が悪いが、やはり俺が国中を回った方がいいだろうな」
スノーデンの独り言をジェーンは黙って聞いていた。
統治委員会から派遣された付き人。それがスノーデンの前に現れた時のジェーンの肩書だった。
記憶を持たない自分のことを支える世話係だと、スノーデンは初め理解していた。それは間違いではなく、いまもジェーンに身の回りの世話を任せている。
しかし、ジェーンは単なる家政婦や秘書ではなかった。
彼女は魔術師であり、遠距離攻撃を得意としていた。同時にジェーンは隠形に長けていた。
スノーデンの影に寄り添って戦場を走り、岩や草木と一体化して景色に溶け込んだ。そして、身を隠したまま遠距離狙撃で敵を倒す。
威力の高い範囲攻撃で大軍をせん滅するスノーデンに対して、ジェーンは指揮系統をピンポイントに破壊した。ジェーンの暗躍がなければスノーデンの戦功はこれ程際立ったものになっていなかっただろう。
統治委員会は初めからこれを狙ってジェーンを送り込んできたのか? スノーデンにはわからなかった。
そもそもジェーンはどうやって魔術を身につけたのか? スノーデンは彼女に聞いてみたことがある。
「生まれつきです。わたしはそういうものとして生まれましたから」
「誰かに習ったとか、指導を受けたことはないのか?」
「ありません。自分よりも愚かな者から学ぶことなど1つもありませんから」
美しい顔の表情を動かすこともなく、ジェーンは平然として言った。
本心でそう言っているのか、それともポーズなのか。スノーデンには判断がつかなかった。
記憶を持たないスノーデンが判断できることなど、元より数少ないのだが。
軍に所属せず、誰にも指揮されずに動く2人。
ジェーンの場合はそこに「誰にも知られずに」という言葉が上乗せになっていた。
初めのうちは戦功を独り占めにすることに、スノーデンは負い目を感じていた。しかし、表に出たくないというジェーンの意志が本物だと知り、彼女の希望を受け入れることにした。
英雄になるということは、大量殺人者であることを世間に向かって叫ぶようなものだ。それを嫌う人間がいても不思議ではない。スノーデンはそう思った。
自分はどうか? 正直に言えば、関心がなかった。
勝利を喜び、スノーデンを英雄と称える民衆は守るべき同胞であり、家族だ。それは間違いない。しかし、「個人」としての他人には興味がなかった。
興味がない以上、自分のことをどう思われようと気にならない。痛くも痒くもないのだから。
「すべての人間に魔力を」
大切なのはそのミッションだけだ。後のことはどうでも良かった。
「すべての人間に魔力を」
英雄であることはミッションの遂行を妨げない。むしろ助けになると、スノーデンは考えていた。
王となることも聖人と呼ばれることも同じだ。
(この神器がすべてに答えを与える)
スノーデンが思う「答え」とは、平和と繁栄であった。それこそが家族である人々に幸福をもたらす鍵だと信じた。
スノーデンは神を信仰していない。神の実在を確信していたが、神が救いを与えてくれるとは期待していなかった。
スノーデンは祈らない。神の叡智を実感していたが、神が祈りに答えるものとは考えていなかった。
スノーデンはただひたすら「ミッション」が「答え」に至る道であると信じていた。それだけが、神が与えた真実であると。
(神器が完成すれば、階級に関わらずすべての人は
そうなれば王国を脅かす敵はいなくなる。国は豊かになり、繁栄が続くだろう。
それを信じ、スノーデンは作りかけの神器を磨く手に力を込めた。
「神器が仕上がる場には、ぜひわたくしも立ち会わせてください」
立ち去る前にジェーンは控えめな態度でそう言った。
「ああ、もちろんだとも。一緒にその時を迎えよう」
スノーデンは手元に神経を集中したまま、そう返事をした。
小さく頭を下げたジェーンの目に、一切の感情は浮かんでいなかった。
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