第599話 ふん。つまりは動力か。

「魔法的現象を科学で再現するにはどうしたらよいか?」


 教育者である前に研究者だと自認しているドイルは、自身にそう問いかけずにはいられない。科学は万能であると、この男は信じていた。

 科学の振興こそが貴族制度というバカげた社会システムを破壊する鉄槌なのだと。


「ステファノとヨシズミのおかげで魔法現象のメカニズムを随分知ることができた」


『風魔法は風を起こす魔法ではない』

『水魔法は大気から水を取り出している』

『火魔法とは燃気水素清気酸素を水から取り出すことから始まる』


 実際に魔法を行使する人間たちの言葉である。時に実演を伴って、ドイルは属性魔術の発動プロセスを取材することができた。


「ステファノは正しい。この世に属性魔術などというものはない。結果たる現象に属性という分類を与えたにすぎない」


 風、水、火、雷の4属性は大なり小なり「熱」の操作が術の根幹にあった。

 大気を熱し、あるいは冷やす。それは物質の振動を操ることである。


「振動という現象は物質の根本に近い所にある。振動は『波』を伴う。光も引力も『波』という性質に分類できる」


 ドイルの並列思考は魔法現象の科学化が実現した世界を仮想する。科学は何を変えるべきか?


「熱の制御……ステファノは魔冷蔵庫、魔暖房、魔冷房を魔法具化した。煮炊きも魔かまどで可能になった」


 魔法に頼らず熱を加えることは難しくない。燃料を燃やせばよい。今でも薪を燃やし、炭を燃やしている。

 しかし、不便だし、効率が悪い。


 燃料の入手、運搬に労力がかかり過ぎている。


「どこにでも燃料を運ぶ仕組みがあればいい。運びやすいのは液体か? ならば油をパイプに通して運んだら? 経路が長くなると圧力をかけるのが大変か? 気体ならどうだ? 燃焼性のガス――」


 ドイルの脳は夜空に閃く雷光のように、発想の数々を生み出し、爆発的に増殖させていった。


「――何をするにしても結局運搬の必要性から逃れられないか」


 一見無関係に見えるアイデアの数々。しかし、その実現を考えるとどこかで「大量高速輸送」という課題に突き当たる。

 科学の進歩には人と物資を大量かつ高速に輸送する手段が絶対的に必要だった。


「ふん。つまりは動力か。物を動かす力が何事にも先んじる」


 燃料と動力機関。問題は相互に絡まり合っていた。

 動力機関を動かすために燃料が必要であり、燃料を運ぶために動力機関が必要なのだった。


「利用しやすい燃料とは何だ? 採掘のしやすさと熱量の大きさを兼ね合わせるのは――石炭か」


 石炭は比較的地表に近い部分にも存在し、露天掘りで実際に採掘されていた。


「石炭を燃やした熱をどうやって動力に変換するか……」


 ドイルは王立アカデミーの力を利用して過去の研究データを掘り起こした。膨大な資料の中からドイルは蒸気を発生させて動力を取り出す発明の数々を見つけ出した。

 いずれも世の中に出ることがなかった発明品だった。中には300年前にさかのぼる文献も存在した。


「これだけの発明が……研究者の努力が、闇に消えていったとは――」


 どれだけむなしい思いで死んでいった研究者がいたことだろうか。「真実」を知りながら世に受け入れられない苦しさを、ドイルは誰よりも知っていた。

 論文を握り締めた拳が小刻みに震えていた。


「だが、夜は終わりだ! 僕がお前たちを日の当たる場所に連れて行ってみせる! 答えはここにある!」


 ドイルはギフト「天上天下唯我独尊」を駆使して先人の業績を一つにまとめ上げていった。それは正に「いいとこどり」の仕業であった。

 さらにドイルは得られた最適解に自身の考案も加えて、300年の飛躍を成し遂げてみせた。


「ネルソン、ルネッサンスを動かす力がこれだ!」


 何日寝ていないのかわからない、ぼさぼさの頭にげっそりとこけた頬をしたドイルは、「メシヤ式蒸気機関」の原理図案一式をデスクにたたきつけた。

 青ざめた顔は今にも気を失いそうに見えたが、落ちくぼんだ眼の奥には鉄をも溶かす炎が燃えていた。


「わかった。確かに受け取ろう。ここからはわたしの仕事だ」


 ネルソンは手あかのついた原理図の表紙に手を載せて、それだけをドイルに告げた。

 目配せをするまでもなく、マルチェルがドイルを支えるように寄り添った。


「さあ、行くぞ。体を清め、食事をとって休め」

「飯か、飯なら食べたはずだ――いつだったか忘れたが……」


 歩き出しながらドイルの体が揺れる。目が虚ろになり、頭が後ろに倒れそうになった。


「……馬鹿というものは、いくつ年をとっても治らないもののようだな」


 崩れ落ちそうなドイルを優しく支えながら、マルチェルがぽつりと呟いた。


「馬鹿だと! それはこっちのせりふだ。大体市場の原理も知らない癖に、薬が高いなどと文句を垂れているのが馬鹿だと言うんだ――」


 半分眠っているのだろう。もう目も開けていられないドイルがもつれる舌で悪態をついた。


「そうか、そうか……」


 目で笑いながらマルチェルはドイルを廊下に導いた。

 静かにドアが閉じると、室内に静寂が戻ってきた。


「やれやれ。一体いつの話を思い出しているのやら。――案外、あの頃のままなのかもしれんな」


 ネルソンは「メシヤ式蒸気機関原理図」を手元に引き寄せ、丁寧に表紙のしわを伸ばした。

 何度も、何度も。


 ◆◆◆


「メシヤ式蒸気機関」の仕組みと動力伝達機構の展開例は、無料で一般に公開された。同時にキムラーヤ商会の取りまとめで実機が製作され、鉱山や製糸工場、紡績・紡織工場などに設置された。


 発明当初こそ導入コストの高さのために魔術師を雇う従来のやり方に負けていたが、ほぼ休みなしに稼働し続けるメリットが理解されると蒸気機関は加速度的に普及していった。

 量産化が進めば製造コストが下がる。そうなると安価になった製品がさらに売れやすくなるというサイクルが回った。


 蒸気機関が人々の耳目を集めるようになると、ウニベルシタスは教育機関であると同時に研究機関として広く認知されるようになった。王国各地から発明家や技術者が働き場を求めてサポリの町に集まってきた。

 サポリは「研究学園都市」として大いに発展した。


 ウニベルシタス開校3周年には、魔耳話器まじわき魔示板マジボードが公開された。その頃には既に中継器ルーターが王国全土の主要都市と主要街道をカバーしていた。

 これに先立つ開校1周年には、抗菌剤を始めとする「新薬」の製法が公開され、平民でも利用できるようになった。


 ウニベルシタス開校5周年を迎えた年、王国軍は近隣諸国首脳を招いて軍事演習を公開した。前代未聞のその行事では、魔耳話器まじわきと照準器つき兵器による高精度遠距離射撃と高速部隊運用の実演が行われ、観覧者の度肝を抜いた。

 同時に騎士団同士による模擬戦が行われ、魔術や弩弓の矢さえも跳ね返すイドの盾を駆使した白兵戦に、各国関係者は顔面蒼白となった。


 演習後行われた晩さん会でスノーデン国王自らがスピーチを行い、参加諸国に全面講和を呼び掛けた。スノーデン王国軍の威力を目の当たりにした諸国首脳は本国に帰り、10日を経ずして和平案を受け入れることになった。


 ここに600年の戦は終わりをつげ、「スノーデンの平安」と後世に伝わる平和が世界に訪れた。


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