第595話 逃げろっ! 雷っ!

 白光は炎ではなかった。高温で燃え上がる炎を因とした「熱」のイデア。

 サレルモ師はそれを体の前面に発生させてステファノに放射した。


(太陰放射!)


 ステファノは大量の陰気を浴びせて敵の術を無効化する防御を、反射的に繰り出した。

 陰気はサレルモの術式を押し流し、破壊した。


 (熱いっ!)


 しかし、発生した「熱」は既に魔力ではない。現象となった「熱」は空気を伝わり、電磁波を放射してステファノを飲み込もうとした。

 イドの鎧では熱を防げない。


「蛇の巣」の術理は空気の振動を抑えて急冷却を試みた。「高温」に対する「低温」のカウンターであり、理にはかなっている。


 しかし、足りない。


 大気そのものが燃え上がりそうな高温を冷却するには、それなりの時間がかかる。


 そして、風魔法では放射熱を抑えることができない。電磁波は容赦なくステファノを責め立てた。


「水剋火! 霧隠れっ!」


 皮膚を焼かれつつ、ステファノは大量の霧を呼んだ。冷却のためではない。高温の空気に大量の水滴を送り込めば――。


 ドガッ!


 水蒸気爆発が起こり、サレルモ師とステファノを反対方向に吹き飛ばした。


 双方ともイドの鎧が爆発の衝撃を吸収したため、ダメージはない。間に10メートルの距離が生じたところで静止した。


 ステファノは真っ赤になって火ぶくれを始めそうな顔面に冷風を当てて、急速に冷やす。体の他の部分は厚手の道着が守ってくれた。額に巻いた鉢巻がなければ、頭髪が燃え上がっていたかもしれない。


雷丸いかずちまる、頼むっ!」


「ピイーッ!」


 空中にいた雷丸が、ステファノをかばうようにサレルモ師の前方に着地した。


 ドン、ドンッ!


 雷丸は前方の敷石を爆発させてサレルモ師へと飛ばした。

 土遁、山嵐の術。


 サレルモ師は両手をすっともたげ、飛来する礫弾を撫でるようにそらした。


 氷弾、火球、風刃。雷丸は立て続けに術を飛ばして攻め立てた。それは攻撃というよりも手数で時間を稼ぐ作戦に見えた。


「――無駄だ。シヴァの業火」


 サレルモの前に彼女のアバター「破壊神シヴァ」が出現し、右手を一振りした。


 風刃はサレルモの体に届く前に消失した。そして再びサレルモの全身が白光に包まれた。


「逃げろっ! いかずちっ!」

「ピィイイイッ!」


 燃える大気を浴びせられる前に、雷丸は高跳びの術で上空に逃れた。そのまま円を描くように滑空する。


 白光が収まり、サレルモ師が姿を現した。


「ほう? まだ戦うつもりか?」


 ステファノは雷丸が稼いでくれた貴重な時間に、懐から取り出した手拭いを顔面に巻きつけていた。

 目だけを残した覆面のようであり、火傷治療の包帯にも見える。


「次は火ぶくれでは済まんぞ?」


 殺してはいけないルールとはいっても、重度の火傷を負えば皮膚がただれ、消えない跡が残るだろう。

 試合後に感染症を起こす危険も大きかった。


「火を怖がっていては料理ができません。ここで引き下がるわけにはいかないでしょう」

「何を言っている?」


 ステファノが元料理人だと、サレルモは知らない。

 当惑が眉間のしわに表れた。


 すると、ステファノが手にした長杖を地面に横たえた。


「メシヤ流鉄壁の型にてお相手します」

「無手の術で挑んでくるか。良かろう。鉄の壁ごと溶かしてやろう」


 サレルモ師は右足を前に出して、軽く腰を落とした。

 同時にステファノが地を蹴って前進する。


森羅万象諸行無常色は匂えど散りぬるを――」


 海の魔獣レヴィアタンが巨体をくねらせて地を走った。強大な敵に挑みかからんと、7つの鎌首をもたげて隙を狙う。

 破壊神シヴァは第3の眼を開いてこれを観た。両手を上げて魔獣を迎え撃つ。


「シヴァの業火」

「メシヤ流影分身――」


 さっきとは比較にならないまぶしさで白光があふれた。衝突する2人の周りで大気が渦を巻き、チリチリと埃を燃やして火の粉が舞う。


「な! 何だこの威力は?」

「レシピをまねてみました」

「貴様っ!」


 猛烈な温度上昇が上昇気流を巻き起こす。暴風が竜巻に変わる兆しを見せたところで、2人は互いに後ろに跳んだ。


「2回見せてもらいましたからね。シヴァの業火を」

「馬鹿なっ!」


 サレルモに合わせて、ステファノはまったく同じ術を返したのだ。「白熱」という二つ名の元となった上級魔術――。


「何と! サレルモの秘術を写し取ったと言うのか?」


 観客席でハンニバル師が目をむいていた。


 2回目の術は雷丸が引き出した。雷ネズミは時間を稼いだだけではなかった。

 サレルモ師にシヴァの業火を使わせ、ステファノに観察させることこそが目的だったのだ。


 しかし、サレルモには理解できない。シヴァの業火とは見ただけでまねできるような術ではないのだ。


 まず、炎ではなく純粋な「熱」を呼ばねばならない。伝統派魔術師にはこれが難しい。

 彼らは現象を原理に分解して理解することができないからだ。


 だが、最も難しいのは生み出した「熱」から己を守ることだ。熱伝導と熱放射を両方とも遮らなければならない。


 そのためにサレルモは差し伸べた手の先に、「真空の盾」を創り出す。空気の中に生じた断層は伝導熱を遮断する。

 しかし、放射熱は真空中をも移動する。その本質が電磁波だからだ。


 サレルモは真空の盾の表面を雷気の幕で覆うことで、電磁波を反射する鏡を作った。


 これこそがシヴァの業火から術者を守る秘技「八咫鏡やたのかがみ」だ。

 秘中の秘であるこの盾を隠すために、サレルモはあえてまばゆい白光を発して敵の目を欺くようにしたのだった。


 工夫に工夫を重ね、試行を繰り返して会得したサレルモだけの秘術であった。

 二度目にしただけで術理のすべてを丸裸にするとは――。


「馬鹿な、馬鹿なっ! まねできるものかぁっ!」


 サレルモは怒りのあまり我を忘れ、全力でシヴァの業火を放った。

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