第591話 よーし! 逃げ回るぞ!

「蛇の巣」は護身具タリスマンのベースになった防御魔法だ。できれば衆目にさらしたくなかった。


 ステファノがそういう魔法を使えるという事実が知られれば、その防御をかいくぐる術を考え出す敵が現れるかもしれない。

 防御手段は秘密であることが理想だった。


(だけど、背に腹は代えられない)


 イドの盾は既に存在が知られている。ステファノがイドに守られている前提で、相手は攻撃をしてくる。

 だから、生身で受ければ死に至る攻撃でもダルマンは遠慮なく仕掛けることができた。


 だが、その想定が常に正しいとは限らないのだ。


 相手の放つ攻撃がステファノの防御を貫けば、怪我では済まずに命を奪われるかもしれない。その危険が常にそこにあるのだ。


 戦いの最中、一瞬でも意識を失った事実がステファノに恐怖を与えていた。


(死にたくない!)


 口入屋で殺されかけた恐怖がステファノの全身によみがえっていた。細かい震えで、歯の根が音を立てそうになる。


(やっぱり俺は戦いに向いていない。性根の部分が臆病すぎる)


 ステファノの臆病さは自分だけでなく、敵の命にさえ向けられていた。「光龍の息吹」を放つ際、ステファノは当たっても命に別状をもたらさない個所を選んで標的にした。ダルマンの左太ももと右手首だ。

 ダルマンの鉛玉はステファノの額に命中しているのに、だ。


 こんな戦い方を続けていたら、いずれ自分は大怪我をする。下手をすると命を落とすことになるだろうと、ステファノは身震いした。


(勝てなくてもいい。勝つことよりも、生き残ることだ)

 

 そう思い決めると、不思議なことに心が落ち着いた。


(そうだ。そもそも俺は最強になろうなんて考えたこともない。生き残ることに目標を絞ろう)


「よーし! 逃げ回るぞ!」


 逃げると決めたら、何だか楽しくなってきた。どうやって逃げ切ってやろうかと、ステファノは考えをめぐらせた。


 ◆◆◆


 5回戦は準決勝だ。ダルマン以上の実力者が揃っているだろう。


(精神攻撃にも注意しないとね。不意を突かれるのは、もう勘弁だ)


 念入りにイドの高周波化オーバークロックを確認する。訓練を繰り返し、常時発動できるようになった。「蛇の巣」にも連動しており、万一敵が周波数を同調してきたらランダムに変化させて外からの影響を排除するようにしてある。


 制御はアバターにお任せなので、ステファノが頭を煩わせる必要はなかった。


 名前を呼ばれて開始線に進み出る。反対側に登場したのは中年の男性だった。木こりのような恰好をしており、武器や防具らしきものは装備していなかった。


 (身動きしやすそうな格好だけど、どういうタイプかな? 純粋な魔術師タイプだろうか。それとも武術を混ぜてくるか?)


 逃げ回ると決めたステファノは、この試合で接近戦につき合うつもりはなかった。離れた間合いから遠距離魔法と遠当てを駆使すれば、戦いを有利に進められるはずだ。


 すると、開始線に立った男、ウラルが左手を口に当てて短く指笛を吹いた。


(何のつもりだ?)


 試合はまだ始まっていない。ウラルの行動の意味をステファノがいぶかっていると、試合場にのそりと上がってくる影があった。


(黒ヒョウ? 従魔か? それにしても大きいな)


 肩までの高さが160センチくらいはありそうだ。頭から尻尾の先まで測れば3メートル近くに見える。

 上あごから生えた牙がまがまがしいカーブを描いていた。


 黒ヒョウは体重を感じさせないしなやかな動きでウラルに近づき、足元にすわった。


(魔獣使いか。それなら――)


 ステファノは静かに息を吸い込んだ。


雷丸いかずちまるっ!」


「ピィイイイーっ!」


 ステファノに応える鳴き声は、はるか天空に響いた。


 ステファノは自分の眼として雷丸を上空に飛ばしていた。虹の王ナーガを通じてステファノは雷丸の視界を共有できる。

 目くらましや幻術を相手に使われても、雷丸の眼は欺けないはずだった。


 雷丸は滑空をやめ、岩になったように垂直落下した。墜落寸前に術を再開し、ふわりとステファノの肩に着地する。

 その姿は親指大のハリネズミだった。


「ピ!」

「うん。大きさで勝負は決まらないよ」


 雷丸に笑顔を向けながら、ステファノは魔獣学の知識を思い出していた。


(さて、あの魔獣は確か――「黒鉄くろがねヒョウ」か)


 その名が表す通り体毛を鋼鉄のように硬化させる能力を持っている。魔力属性は「土」。引力を操って跳躍し、岩や樹木を飛ばす。


(ヒョウなのに「山嵐の術」を使えるってことだね)


 魔力を持っていないとしてもあれだけ大きければ強力な猛獣だろう。よくもあんな魔獣をテイムしたものだなとステファノは感心した。


「ヒョウの相手はお前に任せるよ」


 ステファノは雷丸に向けてつぶやいた。


「ピピィー!」


 ◆◆◆


「ふん。あの時のネズミか」


 貴賓席の一角に「土竜もぐら」ハンニバルの姿があった。


「従魔どもの戦いなど興味はないが、ウラルが相手か……。守りの堅い相手に、小僧はどこまで本気を出すつもりかな?」


 戦いへの期待か、ハンニバルの唇が獰猛な笑みを浮かべる。


「精々気の利いた術でも見せてもらおうか? メシヤ流とやら」


 隣に座る貴族が襟元を気にしながら口を開けた。無意識に体内で練り上げたハンニバルのイドが、目に見えない圧迫となって周囲に影響しだしたのだ。

 息苦しさに呼吸を荒くする観客が出始めた。


「む、失敬。いささか力が入っていたか」


 ハンニバルが無詠唱で微風を送ると、貴賓席のあちこちで「ほう」と息をつく声が聞こえてきた。


「焦ることはない。楽しみは後に取っておくものだ。ふふふ……」


 ハンニバルの笑い声は風に乗って消えた。

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