第589話 乾坤一擲!
3回戦の相手はインディアナという名の女性だった。華奢な体つきと長い黒髪が印象的だ。
左手に長杖を持っていたが、その杖は魔術発動体にふさわしい天然木を磨いたものだった。
(魔術主体のタイプかな? 一発撃ってから接近戦を挑んでみるか)
ステファノは、相手が使いそうもない武術での接近戦を仕掛けるつもりだった。対するインディアナの無表情からは、その意図をうかがい知ることができなかった。
「始め!」
轟っ!
インディアナの足元から2メートルもある炎が燃え上がった。ステファノが放った遠距離火魔法は派手な見た目だったが、その威力は肌を焦がす程度でさほどでもない。
敵がイドの鎧をまとっていることを見定めた上で、牽制として放ったものだった。
「あっ、消えたぞ!」
観客の間から驚きの叫びが上がった。炎に包まれる直前、インディアナがその姿を消したのだ。
(むっ! 炎隠れ、いや、おぼろ影の術か?)
おぼろ影は「原始魔術」らしきものとして伝承に残る術を、ステファノが再現したものだ。インディアナはステファノの研究報告を読んで、隠形五遁の術をトレースしたのだろう。
(師匠があれだけ親身になって訓練につき合ってくれたんだ。術式の制御ではステファノにだって引けは取らない!)
道場の期待を背負ってインディアナはこの大会に出ていた。「どうやって勝利を収めたか?」という勝ちっぷりも、名声を上げるためには重要な要素だった。敵の得意技で勝つ。それが彼女の狙いだった。
一方、ステファノは――。
(姿を隠しても存在が消えるわけじゃない。彼女はどこに行ったか?)
おぼろ影を使ったのであれば、インディアナはイドで熱した空気を挟み込んだ「屈折板」の陰に身を隠しているはずだ。
ステファノは飛び出そうとした足を止め、探知魔法を放った。
(明鏡止水――)
朝もやに隠れた古池に一滴の朝露を落としたごとく――ID波がステファノを中心に目に見えぬ波紋を広げる。
ステファノから見て開始線から右手に10歩それた位置に、人の反応があった。
魔視脳がそれを「人の存在」として認識し、第3の眼が黒い影として視野に映し出した。
インディアナのイドを捉えたと同時に、ステファノは地を蹴った。
イドの
だが、インディアナにはステファノが見えていない。おぼろ影のために自分で作った屈折板が邪魔をして見通せないのだった。
インディアナがステファノのようにイドを検知する力を持っていれば、ステファノの接近に気づき、離脱を図れたかもしれない。現実には、隠形が成立しているものと信じてインディアナは機をうかがっていた。
(
無言の気合と共に、ステファノはヘルメスの杖を振り下ろした。
内気は身心に満ち、身体能力のすべてを稲妻の速さで絞り出す。
外気は杖を覆い、岩をも砕く威力をもたらす。
内勁は腰を中心に、地を踏みしめた下肢からの力を余すところなく杖の打点に伝える。
そして、外勁はイドの奔流となってステファノの全身からインディアナに向かって爆発した。
さらにステファノは「終焉の紫」を脳裏に描き、陰気の塊をインディアナに浴びせかける。彼女が用意したいかなる魔術をも無効化する炎の如き意思を載せて。
「あっ!」
イドと陰気の奔流を浴び、おぼろ影の実体であるイドの壁はもろくも押し流された。奔流の勢いはいささかも衰えず、インディアナの全身に襲い掛かった。
彼女が身にまとうイドは、暴風の前の燈明のはかなさで吹き飛ばされた。あまつさえ生命力の発露たる内気さえ、絶え絶えとなるほどに引き裂かれてしまった。
結果、インディアナは雷に打たれたに等しい衝撃を受け、立ったまま失神した。
(いけないっ!)
放射したイドが抵抗もなく吹き抜ける虚しさに、ステファノはインディアナの意識が飛んだことを悟った。
当然、彼女を守るイドの鎧も存在しない。
(このままでは相手を殺してしまう!)
ステファノはイドの鎧越しに敵を昏倒させる勢いで杖を振っている。このまま生身の体を打てば、杖は脳天を断ち割り、みぞおちまで切り裂くだろう。
そして、杖に載せたイドは心臓を始めとする内臓をことごとく破壊し尽くすに違いない。
「はっ!」
ステファノはその日初めての気合を発した。
すべての動きが止まった時、ヘルメスの杖はインディアナの額からわずか1センチの空間にぴたりと静止していた。
どさり。
気を失ったインディアナが地面に崩れ落ちた。
「勝者、ステファノ!」
ステファノは4回戦の準々決勝に進出した。
◆◆◆
「よくぞ杖を止めた――」
観客席にムソウ流「一心館」道場師範、ゲンドー師の姿があった。
短い間とはいえ、杖術の手解きをしたステファノが出場すると聞き、観戦に訪れたのだ。
あの時、ステファノは巨岩を打ち砕く勢いで踏み込み、打ち込んでいた。渾身の一撃を途中で止めるなど、
ジョバンニ卿を真似て、体幹と動きの精度を鍛える訓練を繰り返したことが、ここに生きていた。
「それにしても凄まじい踏み込みだった。この距離にいても姿が霞んで見えた」
向かい合った相手にとって、ステファノの踏み込みは瞬間移動かと見間違える速さであろう。筋力の解放と神経伝達速度の向上が爆発的な運動能力を生み出していた。
「わずかひと月でこれだけ変わるとは……。どこで極意を得たものか?」
ゲンドー師範の言う極意とは体技ではなく、気功の奥義である。動きよりも先に気を極めるという道があるとは、さしものゲンドーにも想像がつかぬ境地だった。
◆◆◆
別の観客席に、マランツの弟子ヨハンセンの姿もあった。同門のジロー・コリントと因縁を持つ魔術師として、ステファノの戦いぶりを直接見にきたのだ。
「最後の攻めは純然たる武術のものだった。魔術師でありながら、魔術によらず魔術を破るとは」
魔術を生かすために武術を学ぶのはわかる。戦い方の幅は広いに越したことがないのだ。
しかし、魔術師が武術で魔術師を仕留めるという発想がヨハンセンにはなかった。
「そこまで武術にこだわる意味がわからない。あれだけの気を飛ばせるならば、止めは魔術の一撃で十分なはずだった」
インディアナからイドの鎧を引きはがし、火球を撃ち込めば勝負はついた。それならあそこまで接近しなくてもよかったはずだ。
「インディアナから反撃を受ける可能性を考えれば、そうする方が安全だったろう」
それがわからぬステファノではないと、ヨハンセンは思った。それでもなお、ステファノは杖での一撃を選んだ。
「あの一撃に絶対の自信があったのだな。受けもかわしも許さぬという」
技そのものよりも、そこにある信念こそが真の強さだと、ヨハンセンは深く頷いた。
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