第565話 トゥーリオにはギフト『陽炎』があります。

 ウニベルシタスに着くと、初対面の挨拶もそこそこにドリーはヤンコビッチ兄弟についてネルソンに知っていることを告げた。そこにはマルチェルが控えており、ヨシズミも呼び寄せられていた。


「マルチェル、お前はその兄弟のことを知っているか?」


 ステファノの目撃情報まで聞き取ると、ネルソンはマルチェルに尋ねた。「ギルモアの鴉」の重鎮であるマルチェルは、裏社会の事情に詳しい。


「噂だけは。兄の方は根っからの殺人愛好者だと聞いております」

「ふむ。弟の方は?」

「弟は知恵が足りないとか聞きました。小児並みの知力だとか」


 マルチェルの持つ情報はドリーが集めた情報と一致していた。彼女はクリードのために兄弟について調べていたことがある。


「わたしの持つ情報でも同じです。弟のミケーレは兄のトゥーリオに依存しており、兄の言いなりだと」

「俺が見た様子でも、ポトス、いえミケーレは甲斐甲斐しくトゥーリオの介抱をしていました。兄弟愛が強いのは間違いないと思います」


 ドリーの情報に対し、ステファノは自分の目で見、感じたことをつけ加えた。


「ステファノの観相は一流だッペ。おめェがバケモンだって見たなら、そりゃァバケモンに違いなかッペ」

「ゴダール一座にいるアーチャーとポトスは、トゥーリオとミケーレのヤンコビッチ兄弟と見て間違いないだろう」


 ネルソンの言葉で2人の正体はヤンコビッチ兄弟だという前提で動くことが決まった。


「残る3人が兄弟の正体を知っているかどうかはわからんな。5人全員が一味である可能性を含めて捜索に当たらせよう」


 5人とも犯罪者であった場合、うかつに近づけば命取りになる。ネルソンはその思いをマルチェルに伝えた。


「ごもっともです。所在を掴んでも一座に近づかぬよう、鴉どもには念を押しましょう」


 ステファノが彼らと出会い、別れたのは3日前だと言う。ネルソンはコーヒーテーブルの上に地図を広げ、馬車による行動範囲を推測した。


「途中の分かれ道で方向を変えたとしても、行けるのはこの範囲だろう」


 馬車には病人のトゥーリオが乗っている。無茶なスピードは出さないはずだった。


「この円の外側から始め、内側へと捜索を進めさせよう。幸い相手は目立つ。聞き込みをしながら網を狭めていけば、逃さずに済むはずだ」

「かしこまりました。見つけたら、いかがいたしましょう?」

「うむ。始末するにしても並大抵の武力では足りんだろうな」


 ミケーレだけなら所詮怪力というだけで、腕利きを集めれば討伐できる。問題はトゥーリオだった。


「トゥーリオにはギフト『陽炎かげろう』があります」


 ドリーがトゥーリオの能力について、その場の人間に改めて説明した。トゥーリオと向かい合ったものは、彼の「存在」を見失う。


「ふうむ。幻術や目くらましではないのだな?」

「違います。幻術、催眠の類なら痛みなど強い刺激で術が解けるが、トゥーリオの能力はそれでは破れないそうです」


 ネルソンが探るように投げた問いに、ドリーははっきりと答えた。


「厄介な能力ですね。しかし、多勢で弓などの攻撃を仕掛ければ良いのでは?」


 1人にしか陽炎の効果がないのであれば、人数で圧倒することができそうだ。マルチェルはそう問いかけた。


「誰もがそう考えますね。しかし、『その状況』を作り出すのが至難の技なんです」


 ドリーが答えた。


 多対一の状況を作り出すのは簡単でない。考えられるのは「待ち伏せ」か「不意打ち」だ。


「だが、そもそも奴らは尻尾を掴ませない。犠牲者は皆殺しなので目撃者が残らないのです。クリード卿はもう息がないと思われたので生き延びました」


 更にトゥーリオは病的に注意深く、異常なほど辛抱強い。追手の気配を感じたら、何日でも潜伏していられる。


「そして、どうやら奴はつぶて術の達人らしい。万一囲まれた場合は、追手を1人ずつ狙撃して囲みを破るんです」


 最後にドリーはステファノを見た。

 ステファノから心を抜き取り、獣の心を代わりに押し込んだとしたらトゥーリオのような化け物ができ上がるのではあるまいか。


 ドリーは背筋に寒気を覚えて、そのおぞましい想像を頭から消し去った。


「やはり鴉どもには手出し無用と伝えましょう。最後はわたしが1対1で始末をするか――」


 正面から近づけばマルチェルとて危うい。あくまでも忍び寄って不意を突く。マルチェルはトゥーリオを暗殺するつもりで言った。


「それともあいつのギフトが及ばぬほど遠くから倒すか」


 終始表情を硬くしていたステファノが口を開いた。


「俺なら1キロ離れて、遠当てをぶつけることができます」

「ステファノ。お前に自ら手を下す覚悟がありますか?」


 マルチェルはステファノを包み込むような眼をして、そう言った。


「いいですか? トゥーリオ・ヤンコビッチは、捕らえられてもその能力で周りの人間を殺すでしょう。化け物は息の根を止めぬ限り、犠牲者を生み続けます」

「知っています。アレは人食い熊と同じ存在です。一刻も早く、誰かがアレを殺さなければなりません。これ以上死人を出さないために」

「ステファノ、お前は……」


 マルチェルは痛みをこらえるように目を伏せた。


「俺がこの仕事を一番上手くできます。だから、俺がトゥーリオ・ヤンコビッチを殺しに行きます」


(そうですよね? ネオン師匠、ジェラート師匠?)


 ステファノは迷いを捨てた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る