第547話 少し食い物を分けてもらえんだろうか?

 馬車は遠くを走っており、こちらの姿が見えるとは思わない。それでもステファノは木から飛び降りるのを止めて、幹を伝って地面に降りた。


 誰かが遠眼鏡で覗いているかもしれない。意味もなく目立つことは避けるべきだろう。


 街道に戻れば馬車に追い越されることになる。あの土埃を浴びせられるのはかなわないので、ステファノは道から離れたまま馬車をやり過ごすことにした。

 隠れる理由はないので、気配も消さぬままステファノは立木の前に座っていた。


 すると騒々しく走って来た馬車がステファノの前でスピードを落とし、ガタピシいいながら停車した。


「おい、あんちゃん! ちょっと来てくれんか!」


 馬車の窓から身を乗り出して、初老の男がステファノに呼びかけてきた。白髪に白いひげ、顔には深いしわが寄っていたが、声は力強かった。50代後半くらいに見える。

 くたびれてはいるがしっかりとした仕立ての上着を着ているようだ。


 ステファノを見る眼光が鋭い。


(目敏い人だな。よく俺を見つけたものだ)


 そう思いながらステファノは立ち上がり、手を上げて馬車に近づいた。

 

「こんにちは」


 馬車のドアから降りて来た白髪男性に、ステファノは自分からあいさつした。相手が何者かわからないが、あいさつ中に襲って来る奴はいない。出会いの緊張を緩和するには早めに挨拶してしまうことだ。


「おお。休憩中にすまんな。ちょっと話がしたくてな」

「はい。何かお困りですか?」


 旅の途中わざわざ馬車を止めて声をかけてきた。無駄話がしたいわけではないだろう。

 何か自分に頼みがあるのだろうと、ステファノは推察した。


「話が早くて助かるが、まあ、その通りだ。少し食い物を分けてもらえんだろうか?」

「食べ物をですか? 馬車には備えがないんですか?」


 白髪男性と御者、他に3人乗っているように見える馬車だった。屋根の上には荷物を満載しており、食料に困るような風情には思えない。


「それなんだがなあ。食料品を積んではいるんだが、食わせるものがなくてなあ」


 初老の男は謎のようなことを言って、頭を掻きむしった。


「連れが1人、腹を壊してな。固いもんが食えんのだ。流動食を作ろうにも、オートミールもパンも持ち合わせがない。干し肉ならしこたま積んどるんだが、スープにしても胃が受けつけないと言うんでなあ」

「それは困るでしょうね」


 前日から白湯以外口にしていないのだと言う。馬車のスピードも上げられず、今晩も野営になる。

 死ぬことはないだろうが、空腹で眠れなくては相当につらい思いが夜通し続くだろう。


「それで、俺が何か柔らかい食べ物を持っていないかと考えたわけですね」

「そういうことだ。どうだろう、あんちゃん?」


 ステファノの荷物はいつも通りの背嚢1つだ。持ち歩く食料は限られていた。だが――。


「それならおかゆでも作りましょうか?」

「かゆだと? オートミールでも持っているのか?」

「米です」

「米だと? お前、東の出身か?」


 スノーデン王国の主食は小麦だ。米も作られてはいるが、一般的な主食ではなかった。東国では米を食べるのが普通なので、男はステファノも東国生まれかと考えたのだ。


「違いますが、知り合いの東国生まれの人から譲ってもらいました」

「そうか。あんちゃん、かゆが作れるのか?」

「家が飯屋なんで、料理人のまねごと程度には」


 病人がかゆを受けつけるかどうかはわからなかった。しかし、初老の男は白髪頭を下げてステファノに頼むと言った。


「すまん、あんちゃん。代金は払わせてもらうので、米を分けてくれんか? できればかゆを作ってほしい」

「もちろんです。病気の人を放っては置けません。代金はいいですから、かゆを作らせてください」


 午後の中途半端な時間であったが、それならここで野営にしようという話になった。


「旅の足を止めちまってすまない。俺はゴダール。芸人一座の座長をしている」

「ステファノです。俺は……飯屋のせがれです」


 ◆◆◆


 御者台で手綱を握っていたのはナチョスという小柄な若者で、客席にはゴダールと共に男2人と女1人が座っていた。


「ナチョスは軽業師だ。俺と組んで曲芸を見せる。うちの花形テレーザは歌と踊りがメインだ。ちょっかいを出すんじゃないぜ? こう見えてナイフ投げの名人でもある。で、そっちのでかい方がポトスだ。やせた方がアーチャー。ポトスは怪力芸人で、アーチャーは奇術師だ」

「ステファノといいます。ゴダールさんの依頼でおかゆを作ることになりました」


 ゴダールの紹介でステファノは芸人一座と挨拶を交わした。どうやら優男のアーチャーが腹を壊している病人らしい。青白い顔にうっすら脂汗を浮かべていた。

 動くのもつらいらしく、馬車を降りる際はポトスが抱えるように支えていた。


「夕食にはまだ時間が早い。あんちゃん……ステファノか? アーチャーの分だけかゆを作ってやってくれるかい?」

「わかりました。アーチャーさん、腹はどんな具合ですか? 痛みは? どの辺が痛みますか? 最後の食事はいつ? 食べた物は?」


 少しでも症状のヒントを得ようと、ステファノは腹を押さえて浅い息を繰り返しているアーチャーに問いかけた。

 一通り答えを得ると、ステファノはかゆを炊く支度に取りかかった。


「あんちゃん……ステファノ、お前料理人だろう? まるで医者みたいなことを聞くもんだな?」

「あんちゃんで構いませんよ、ゴダールさん。その方が呼びやすいんだったら。医者の心得はありませんが、薬屋で働いたことがあるもんで」


 アカデミーで薬師の基礎は学んだが、ステファノはそのことは明かさなかった。ネルソン商会の名を出さずに、薬屋との関わり合いをほのめかすにとどめて置いた。

 他人を疑うのが苦手なステファノだが、初対面の他人にいきなり素性をすべて明かすのは不用心だということをこの1年で学んでいた。


「多分旅の疲れが積み重なったんだと思います。栄養と水分を取ってゆっくり休めばよくなると思いますよ」


 そう言ってステファノは石で組んだかまどに火を起こした。

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