第523話 その格好を見れば武術の師がいることはわかる。
「よし。次は反対の手だ」
ネオンは左手の動きも確認した後、ステファノの腕を開放した。
「なかなか手先が器用だな。左手も使えそうだ」
「長いこと飯屋の下働きをしてました。そのおかげじゃないかと」
「なるほど料理人か。ならば刃物にも慣れているわけだ」
納得したのか、ネオンは薄っすら微笑んで頷いた。
次は外で動きを試すと言われ、ステファノはネオンに続いて裏庭に出た。
裏庭には簡易的な試射場が設けられていた。四方を縄で囲った長方形のエリアの中に標的を括り付けた立木が立っている。
標的は20メートルのものと、40メートルのものがあった。
的はわら束を重ねただけのもので、印も何もついていない。標的側の試射場の端は、杭と板壁が張り巡らされていた。的を外れた
「台の上に適当な石が転がっているだろう? 1つ、2つ投げてみろ」
試射場のこちら側には横に細長い机が置いてある。台とはそのことだろう。見れば、確かにゴロゴロと様々な石が置いてあった。
石の大きさはバラバラで、形も決まっていなかった。
ステファノは比較的に形の整った小石を手に取り、20メートルの標的に向かった。
(まずはイドも魔力も使わず、素の体力で投げてみよう)
鉄丸やどんぐりに魔力を付与して投げることは、これまでにもあった。礫には土魔法で加速をつけて飛ばしていた。
魔法なしで投げるとなると、どうしても礫は放物線を描いて飛ぶことになる。その分、標的の上を狙って投げねばならない。
(だが、20メートルなら……)
この距離なら誤差も小さい。手にした石は鶏卵ほどの大きさだ。手ごろな重みで、形もまとまっている。
ステファノは左足を前に出した半身の構えから、気合を込めて右手の石を投げ撃った。
「ふっ!」
わずかな息と共に振り切った右手から、糸を引くように小石が飛ぶ。ステファノの手が皮手袋をはめたままであることに、ネオンは目を留めた。
礫は標的の中心から少し右下にずれて着弾した。
「ふうん。自分で修行していたのか? その割に癖は少ないな」
何事も「我流」は悪い癖がつきやすい。注意してくれる師がいないため、どうしても独りよがりになりがちだ。
ステファノには手本とするヨシズミがいた。杖術や鉄壁の型は体幹の維持や正しい体重移動を教えてくれた。
「礫術が専門ではありませんが、武術を師から学びました」
「そのようだな。その恰好を見れば武術の師がいることはわかる」
ステファノの道着は洗いざらしで使い込まれており、ステファノの体と1つになっている。
「体の使い方に無理がない。基本はできているようだ。どれ、左で投げてみろ」
「はい」
ステファノは左手で石を拾い、右足を前に出す半身に構えを変えた。右手で投げた時の動きを、鏡に映すように左手で再現してみせる。
ステファノは礫の稽古も日課にしており、その中には左手での投擲も含まれていた。
しかし、逆手での動きは利き手のそれには及ばず、せいぜい6~7割の威力しかなかった。
左手を離れた礫は先程より山なりに飛び、標的の左下に当たった。
「よし、わかった」
ネオンは頷き、ステファノの横に立った。
「それだけできれば、そのまま修練に入っても良いだろう。しばらくは近的を相手に、基本の型を身につけてもらう」
「はい」
ネオンは小ぶりの小石を右手に4個、左手に4個拾い上げた。
「これは我が流派で『
小石とはいえ片手に4つは多い。握るだけでなく、それを的に当てなければならない。
「『手裡八方』は『
口にしながら、ネオンは右手を動かして右四方の投擲法をステファノに示した。
上天とは腕を真上に伸ばした形であり、中天とは右上45度、下天は水平位置、黄泉路は右下45度の位置だった。
「右四方は
ネオンは型を示す時に言葉を惜しまなかった。ステファノは一言も聞き漏らすまいと、一挙手一投足に意識を集中した。
2人とも顔つきこそ穏やかだったが、裏庭の空気は濃密さを増したようだった。
「参る」
ネオンは一言告げると、すっと左脚を前に出した。そこからは流れるように右四方から4石を投じた。
礫は吸い込まれるように20メートルの標的中央に、飛んで行った。
息も継がず、左右の足を入れ替えて、ネオンは右半身から左四方4投を行って見せた。左手で投げた礫も右手と同じ威力に見える。
角度の関係上、黄泉路2投は長テーブルの下をくぐらせて投じられた。それでも礫は標的の中心を捉えていた。
「これが基本だ。ここからの変化は無数にあるが、礫術の理はすべてここにある」
足を戻し、標的に正対して呼吸を整えたネオンは、ステファノに顔を向けて言った。
「ありがとうございました」
ステファノは深く頭を下げた。
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