第514話 ジョバンニは、後も見ずに逃げ出した。

 音無しのジョバンニこと、ジョバンニ・ランスフォード卿。国王ヨハン陛下の護り刀にして、最強の剣客。

 飯綱使いクリードの師でもあった。


「どんな人だったんでしょう?」

「なあに、おとなしそうな少年だったよ。お前さんみたいにな」


 旅装だったが、身につけたものは身分の高さを思わせる上等なものだったそうだ。おつきの侍女を1人連れての旅の途中だった。侍女も若く、見目麗しかったと村人は記憶していた。


「そんなめんこい・・・・娘なんぞ連れてたら、盗賊が見逃すわけがねぇ。村に入ったところで目をつけられちまったんだ」


 6人の盗賊が旅の男女を取り囲み、女を差し出せと迫った。


「そしたら、泣き出しちまってよぉ」

「その娘がですか?」

「うんにゃ、ジョバンニっていう若い衆の方さ」


 ぶるぶる震えて涙を流しながら、頭目の足元にひざまずいた。有り金を渡すから、命ばかりは助けてほしいと。足元に縋りつくようにして、懐から財布を取り出したのだと言う。


「その恰好が随分みっともなくてよぉ。盗賊連中は散々笑ってたよ」


 震える手から財布をむしり取って、頭目は唾を吐きつけた。


『金はもちろんもらっておくが、娘ももらう。たっぷり可愛がってやるぜ』


 頭目はそう言って、なめるように娘を見た。


「若い衆は『はい。はい!』って言いなりでよぉ。これも差し上げますからって、懐にまた手を突っ込んで」


 げらげら笑って頭目がふんぞり返ると、若者はその内股をダガーで切り裂いた。


 太ももには大動脈が通っている。これを切り裂けば、大量に出血して瞬く間に出血死する。何をする、と叫ぶ暇もなく、頭目はよろめき倒れた。


「突然のことに、みんなおったまげた。落ち着いて考えりゃ、若い衆がやったことなんだが、当人は震えて泣いてたから……」


 見ているものの誰もが、どういうことなのか、頭の整理がついていなかった。


『うわあーーっ!』


 とんでもない大音量で悲鳴を上げた者がいた。頭目を倒した若者だった。

 涙でぬれた顔をくしゃくしゃにして、声を限りに絶叫していた。


『助けてくれ――!』


 若者はダガーを放り出し、泣きながら近くに立つ盗賊の足に縋りついた。何だ、何だと盗賊が当惑している間に、ジョバンニは盗賊が腰に下げた剣を抜き取り、そいつの内股を切り裂いた。


『てめぇっ! 剣を捨てろ!』


 ようやくジョバンニが味方を攻撃していることに気がつき、盗賊の1人が鋭く命じた。


『きゃあーーっ!』


 ジョバンニは、後も見ずに逃げ出した。


『ま、待て! 女がどうなってもいいのか!』


 盗賊の1人が侍女に剣を突きつけたが、既にジョバンニは家の角を曲がって走り去っていた。


「それでどうなったんですか? まだ盗賊は4人も残っていたんですよね?」

「連中は呆気に取られていたけんど、娘を引っ立てて根城にしてた小屋に戻ったんだ」


 小屋に入って娘を縛りつけ、この先どうするかを相談し始めた。しかし、いきなり頭目を殺され、動顛した頭では良い知恵も出なかった。


 すると、ぱちぱちと表で音がし始め、煙の匂いが漂ってきた。


『やばい! 火だ! 火をかけられたぞ!』

『何だと?』


 そのままでは小屋ごと焼け死んでしまう。戸口の近くにいた男が、慌てて表に飛び出した。


『ぎゃあっ!』


 小屋の外で待ち構えていたジョバンニは、苦も無く盗賊の喉を斬り裂いた。


『くそぅっ! 若造だ! 家の外で待ち構えていやがった』

『娘を引っ立てろ! やい、若造! こっちには娘がいる。手向かいすれば娘をぶっ殺すぞ!』


 盗賊は残り3人。血走った目で、唾を飛ばしながら叫んでいた。


『わかった。剣を捨てるから、娘を放せ』


 嘘のように落ち着いた声でジョバンニは言い、小屋に近づいた。


『入って来るんじゃねぇ! 剣を捨てろ!』

『わかった。剣を捨てる』


 そう言いながらジョバンニは戸口を潜り、すうっと小屋に入った。


『何だ、てめえ! 剣を――ぎゃっ!』


 ジョバンニに剣を突き出そうとした男は、剣を持った手首をすいっと斬りつけられた。斬り裂かれた動脈からどくどくと血が流れる。盗賊は剣を取り落とし、慌てて左手で傷口を押さえた。


『てめえっ、女がどうなっても――!』


 侍女を捕まえている男が血相を変えて叫んだ。


 ジョバンニは表情も変えず、侍女もろとも盗賊を蹴り倒した。


『あっ!』


 叫んだのは娘の方であった。何しろ手足を縛られているので踏ん張りが利かない。後ろに立つ盗賊を押し倒す格好で、背中から倒れ込んだ。


『ああー……』


 人間というのはおかしなもので、前から倒れて来る人を見ると、思わず支えようとしてしまう。相手が人質であろうと、だ。結局、盗賊は娘を抱えたまま後ろにひっくり返った。


『……ぐっ! ううぅ』


 したたかに背中を打ちつけて苦痛にうめく盗賊。


 ジョバンニは無言で近づき、その腕を上から踏みつけた。すいっと剣先を引いて、手首の血管を斬り裂く。


『ち、畜生! 小僧っ!』


 たった1人になった最後の盗賊は、罵りながら、ようやく腰の剣を引き抜いた。その隙に、侍女の娘は芋虫のように体をよじって戸口に逃げた。


 ジョバンニに斬りつけようと、抜いた剣を盗賊が振りかぶった。その途端、ジョバンニは大きく息を吸い込んだ。


『危ないっ!』


 耳をつんざく、とてつもない大声だ。


 何が危ないのかわからないが、盗賊は一瞬びくんと体を緊張させた。

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