第464話 ならば、後ろを歩いているのは「鬼」なのか?

 夜の路地に足音が響き渡る。1つではなく、2つ。


(誰かがついて来る……?)


 18歳のエリーは家路を急いでいた。


 コツ、コツ、コツ、……。


 細めのヒールが足元で音を立てている。普段よりも間隔が短い。


 カツン、カツン、カツン、……。


 歩幅の大きい足音が、後ろから聞こえてくる。エリーの足音よりも明らかに重みがあった。

 今のところ後ろから聞こえる足音との距離は変わらない。音の間隔も変わっていない――はず。


 カツン、カツン、カツン、……。


 エリーの頭から自分の足音は消え失せ、後ろの足音だけが響いている。周りの物音は意識から消えた。


 近道のつもりで入り込んだ細い路地。両側の塀が家々の明かりを遮り、月がぼんやりと影を落とす。


(同じ方向に進んでいるだけだ。偶然よ。もう少し行けば通りに出るし)


 エリーは焦る気持ちを抑えて歩調を保った。早足になったら、追い掛けられるかもしれない。

 そういうルールの鬼ごっこをしているような。


 ならば、後ろを歩いているのは「鬼」なのか?


 そう思うと、聞こえている足音がいつの間にか湿っぽい音に変わった気がする。


 ひたり、ひたり、ひたり、……。


 靴音が聞こえていたはずではなかったか? いつの間に裸足で歩いている?


 ふう、ふう、ふう、……。


 足音は近づいていない。それなのに、息遣いが聞こえてくる。


 ふう、ふう、ふう、……。


 これは自分の呼吸なのか? わからない。気になって息を止めてみた。


 ……はぁぁ、はぁぁ、はぁぁ、……。


 自分のものではない呼吸音。太い喉を通り抜ける生温かい息だ。


 はぁぁ、はぁぁ、はぁぁ、……。


 届くはずはないのに、首の後ろの産毛を吐息が撫でるような気がする。うなじを手で擦りたいが、そんなことをしたら気づかれる。


 くっ、ふうぅ、はぁ、ふう、ふう、……。


 エリーは息をするのを忘れていた。苦しくなって、喉が音を立てて空気を貪った。


(今の音を気づかれたんじゃないだろうか。気づいていることを気づかれた?)


 ひたり、ひたり、ひたり、……。


 呼吸を戻したら、聞こえてくる音は再び足音だけになった。首の後ろがむず痒い。


(もう少し。あの角を曲がれば大通りが見える。そこまで行ったら、何かあっても大声を出せば……)


 ひたり、ひたり、ひたり、……。


(角を曲がったら、思い切り走り出そうか? 人通りのある所に出てしまえば……)


 コツ、コツ、コツ、……。


(えっ? 足音が聞こえない)


 エリーの耳に聞こえるのは自分の足音だけであった。先ほどまで意識の全てを占領していた、背後の足音が消え去っていた。


(立ち止まったの? こんなところで? 建物の入り口なんかないのに)


 コツ、コツ、コツ、……。


 一本道の路地だった。抜け道はない。

 ならば、後ろの人影は立ち止まったとしか思えない。どこに行くはずもない。


(曲がり角。あと1メートル進めば、右に曲がれる)


 そこまで行けば大通りが見える。現に角の先は、大通りからの明かりを受けて光っているではないか。

 エリーは歩調を変えずに足を進める。もう、曲がり角だ。


(後ろの人は止まって何をしているのだろう?)


 角を曲がりながら、エリーは首を来た道に振り向かせた。


(いない……)


 薄暗い路地に人影はなかった。確かに後ろを歩いていたはずの「鬼」はいずこへともなく、消えていた。


(怖い……)


 意味の分からぬ状況に、エリーは今更恐怖を覚えて体を震わせた。その間も、足は大通りへと向かっている。


 ふわり。


(えっ?)


 頭から柔らかい毛布をかぶせられ、エリーは横抱きにされて、開いている戸口に引き込まれた。


「んー、ん、んっ!」


 驚いて声を出そうとしたが、毛布の上から抑えられてくぐもった唸り声しか出せない。


 ばたん!


 ドアが閉まる音がして、エリーは体を抱きかかえられたまま、床に引き倒された。


「ふ、んー、んぐ、んー!」


 誰かが腹の上に馬乗りになって、毛布の上から首を押さえつけて来る。必死に逃れようとするが、毛布に自由を奪われて身動きができない。


 体の上の「鬼」が前のめりになり、耳元に顔を寄せた気配がする。


「ふ、ん、ん、んー!」

「しー……」


 耳元で「鬼」が囁いた。


「お・か・え・り……。ふふふ」


 首に加わる力が強まり、エリーは闇の中に落ちて行った――。


 ◆◆◆


「マロニー街の『鬼』か。うわぁー……」


 資料に書かれた事件の詳細を読みながら、ステファノは図書館にいることを忘れて声を上げた。

 若い女性ばかりを狙った連続殺人。それは、自分の家に相手を誘い込むという手口であった。


(相手の五感に嘘の情報を与えるって、怖すぎるよ)


 ジャンセンという名の男は、窃盗で捕まるまで連続殺人を繰り返していた。留守中の彼の家から異臭がしてきたため、近隣住民の届け出で死体が発見されたのだった。


 2階の窓から路地を見張り、「獲物が」近寄って来る度にギフト「セイレーンの歌」を発動し、自らの戸口に誘い込んでいたのだ。


 犠牲者は知られているだけで、11人に及んだ。


(書かれている通りだとすると、少なくとも数メートル離れた人の五感を狂わせることができたのか)


 ジャンセンの能力はギフトであって、魔術ではない。しかし、そこに何らかの術理が存在するのではないか?

 ステファノは精神攻撃系ギフトのメカニズムを探し求めた。

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