第463話 貴族の家とはそういうものだ。

 図書館のハンニバル司書に会ったステファノは、上級魔術師「土竜もぐらハンニバル」卿に会ったことを告げた。


「そうか。兄に会ったか。それは災難・・だったな」


 開口一番、ハンニバル女史が口にしたのはステファノへの慰めであった。つまり、それ程いろいろとトラブルを招いて来たのであろう。


「ええと、何て言うか……。なかなか強烈なお兄さんですね」

「うむ。迷惑を掛けたのだろうな。いや、言わなくともわかる。そういう人間だ」

「はあ。『試し』だと言って、いきなり土魔術を掛けられましたが……」


 魔術禁止のアカデミー構内で、である。上級魔術師という特権と、お貴族様という特権が重なり合った結果だと思っていたが、どうやらハンニバル師個人の性格が原因であるらしい。


「そういう人なのだ。兄に代わって詫びさせてくれ。すまなかった」


 ハンニバル女史は心底申し訳なさそうな顔で、ステファノに頭を下げた。


兄妹きょうだいと伺いましたが、随分年が離れていそうですね」

「兄が39、わたしが26だから、13歳の年の差がある」


 親子ほどとは言わないが、一緒に遊ぶような年回りではない。ハンニバル女史が物心ついてすぐに、兄はアカデミーに進学している。


「兄妹とは名ばかりで、ほとんど話したこともないのだ。おかしな話だが、兄と話した時間よりお前と話をした時間の方が長いかもしれん」

「ええ? まさかそんな!」

「貴族の家とはそういうものだ」


 それぞれ侍女がついて、家族の代わりに身の回りの世話をしてくれる。大きな年の差もあって、兄と接する機会は滅多になかったのだ。


「ところで、お二人の名前は何と言うんですか? 両方ハンニバルさんでは、話がしにくいのですが」

「う、うむ。兄の名はユリウスと言う」

「ユリウス・ハンニバル様ですか」

「そ、そうだ」


 ハンニバル女史はきょときょとと目線を動かして、落ち着かない雰囲気になった。


「ハンニバルさんのお名前は、何と言うんですか?」

「わ、わたしか? 私の名は……」

「はい」


「わたしの名は、『チッ……ーナ』だ」

「え? 何と言いました?」


 名前が聞き取れず、ステファノは耳に手をかざして聞き返した。


「ち、チッチョリーナだ!」

「ああ、チッチョリーナさんですか。可愛らしい名前ですね」

「や、やめろ! その名前で呼ばれるのが嫌で、家名を通り名にしているのだ」


 ハンニバル女史は慌てて顔を赤くした。


 女性にしては大柄なハンニバル女史は、少女のような自分の名前を恥じていた。10代後半には名前でからかわれたことが多かったらしい。


「そうなんですか? 普通の名前だと思いますけど。第一、共通の知り合いとしては、兄妹が同じ名前だと呼びにくいですよ」


 ステアファノに人情の機微を理解しろと求めるのは、無理な話であった。ましてや女心など忖度できるはずもない。


「お兄さんの方は『ユリウス卿』とお呼びすればよいですか? ハンニバルさんの方はどうしましょうか?」

「今まで通りで良い」

「ええ? でも、お兄さんがいるのにハンニバルさんとは呼びにくいですよ」

「本人が良いと言っているのだ。頼むから、『チッチョリーナ』はやめてくれ」


 ステファノは何とも思っていないが、ハンニバル女史としてはその呼び方だけは我慢ならないのだった。


「そうですか。……じゃあ、『チッチ』さんでどうでしょう?」

「ち、ち、チッチだと? 絶対だめだ!」


 ハンニバル女史はぶんぶんと首を振って、拒絶の意思を示した。


「うーん、困りましたね。じゃあ、名前の後ろを取って『リーナ』さんならどうでしょう?」

「何? リーナだと? ふ、普通だな」

「普通過ぎて嫌ですか? だったら、やはりチッチョリーナで――」


「いや、良い! リーナだな? うん、そうしよう! わたしの名はリーナだ!」


 ハンニバルことリーナは、ステファノの両肩をがっちりと両手で押さえて宣言した。


「そ、それで、今日はどうした? わたしに会いに来たわけではないのだろう?」

「あ、はい! 今日は精神操作系の攻撃能力について調べようかと」

「……お前はいつも変わったテーマを持って来るな」


 あまり気持ちの良いテーマではないのだがと、リーナは首を振った。


「どういうことでしょう?」

「考えてもみろ。他人の精神を操れるのだぞ? そんな力があれば、ろくなことには使われん」


 詐欺師などは可愛い方で、性犯罪、連続殺人、誘拐魔などたちの悪い犯罪に用いられることが多かった。


「お前も知っての通り、通常ギフトの内容は人に知らせるものではない。それが文献に残るということは、事件として記録されたからだ」

「ははあ。それはちょっとヤバそうですね」

「ちょっとどころか、大分ヤバい事件も含まれるぞ? そんなものを調べてどうする気だ」


 リーナは、朴訥ぼくとつなステファノが、闇の世界に足を踏み入れることを懸念した。事によっては、精神に深い傷を負うことがあるかもしれない。


「今度、研究報告会魔術試技の部に出場するんです」

「おお、そうらしいな。聞いているぞ。お前の魔術は大したものらしいから、優勝が狙えるのではないか」


 リーナの耳にもステファノの評判は届いていた。それ程年末以来の彼の活躍は目覚ましい。


「正直、対魔術や対武術の備えは十分だと思っています。しかし、精神攻撃系ギフトに対しては知識がなさ過ぎて、対策が打てません」

「それで、前もって『敵を知ろう』ということか」


 リーナは暫し腕を組んで考えた。考え込みながら、じろりとステファノを上から下までめ回す。

 ステファノの両手を覆う皮手袋がリーナの視界に入った。その下には、醜い傷跡が残っているはずだ。


「お前もただのガキではなかったな。良いだろう。但し、自己責任だ」


 それだけの覚悟をして資料と向き合え。リーナはそう言って、ステファノを書架の一角へ案内した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る