第456話 ふん、あの豚女、けちけちしおって!

「持って来たぜ。パンとハムだ」

「おう。すまぬ。今、コーヒーを入れる」


 ダニエルが母屋に行っている間に、マランツは湯を沸かしていた。


「ついでだ。コーヒーくらい俺が入れてやる」


 そういうことは店で慣れていた。ダニエルはカップを見つけて自分の分もコーヒーを入れた。


「俺は薬屋だ。薬草を煎じ慣れているからな」

「ああ、そうか。それで体から変わった匂いがしたのだな」


 ダニエルの体にも服にも、仕事で扱う薬種の匂いがしみ込んでいる。本人は慣れてしまって気がつかないが、他人には気になる人間もいるらしい。


「わしは魔術師だ。薬草だの、錬金術素材の匂いは嗅ぎ慣れている。てっきりどこかの魔術師見習いかと思ったぞ」


 話しながら、マランツはパンを切り分け、ハムを挟む。


「うん? バターがない。分けてもらわなかったのか?」

「入ってないのか? 何も言われなかったんで、頼みもしなかったが」

「ふん、あの豚女、けちけちしおって!」

「ちゃっかり金を取りやがったけどな」


 ないものは仕方ないとあきらめ、マランツはスライスしたパンにハムをそのまま挟んだ。


「いささか味気ないが、ハムの塩味で我慢しよう。昼には早いが、お前の分もある」

「いや、俺は……」

「ふん。聞きたいことがあると言ったな。飯のついでで良ければ、聞けば良い」


 そう言われて、ダニエルはマランツと同じテーブルについた。

 皿も出さずに、マランツはハム・サンドもどきを差し出した。


「それじゃあ聞かせてもらうぜ。あんたは二つ名持ちの魔術師で間違いないか?」


 パンを受け取りながら、ダニエルは尋ねた。


「まあな。昔の話だ。随分戦争で人を殺した」


 自分のハム・サンドに食らいつきながら、マランツが答えた。


「今は違うのか?」

「魔術師であることに変わりはないが……、今のわしは抜け殻だ」

「どういうことだ?」


 ダニエルが首を傾げると、マランツはグラスを傾ける真似をした。


「酒のせいさ。酒に溺れて、体が利かなくなった。ついでに脳にも酒が回っている」

「酒か……。けっ!」


 要するにアルコール依存症であった。慢性のアルコール中毒で魔視脳まじのうまで衰えてしまったのだ。


「今では初級魔術しか使えん。長時間の集中も困難でな」


 複雑な術式を構築することができなくなった。脳がその負荷に耐えられないのだ。

 持続もできないので、戦場で戦うことができなくなった。


「それで引退したというわけか」

「しばらくは家庭教師をしておった。今よりはましな状態だったのでな」


 貴族の子女に魔術の手解きをする仕事だった。食うには困らないだけの収入があり、生活には余裕があった。


「余裕があると、つい酒を買ってしまってな。とうとう体を壊してしまった」

「ふん。俺の親父も酒に溺れていたからな。酔っぱらいのだらしなさくらい、聞かなくても知っているぜ」

「そうか。まあ、そういうことだ。今じゃこの家の居候だ。片手間に家事を手伝って、寝泊まりさせてもらっているわけさ」


 マランツの勤め先である貴族家に、この家で育った男が家人けにんとして働いていた。奉公を終えて実家に戻った男を頼って、マランツはこの家に身を寄せたのであった。


「道理であの女が冷てェわけだ。ところであんた、ヨシズミって魔術師を知らねェか?」

「……古い名前だな。わしの名前同様、知る者も少なくなったろう」

「知ってるのか?」


 思いがけず手掛かりを得た。その思いで、ダニエルは勢い込んだ。


「『千変万化』、そう呼ばれていたな。恐るべき魔術師であった」

「おっと。二つ名持ちかい」

「生きていれば上級魔術師の筆頭に数えられていたろう。威力はもちろん、術の豊富さ、臨機応変の変化技が絶妙であった」


 目を細めて、マランツは往時に想いを馳せた。


「上級魔術師の3人より、腕が良いってのか?」

「わしはそう見た。随分前に世間から姿を消したがな。どこかで死んだと噂に聞いた」

「この近くに住んでいたそうだぜ」

「何だと? 本当か?」


 ダニエルはヨシズミが山籠もりしていたらしいことを、聞き込んだ話を交えながらマランツに伝えた。


「ふん。まるで世捨て人だな。わしのように身を持ち崩したわけではなさそうだが」

「俺の知り合いがそいつとここで出会ったらしい。2人でまじタウンに移ったそうだ」

「……まだ、世に出る気力が残っていたか。やはり、わしとは大違いだ」


 尾羽打ち枯らしたという風情で、酒毒に体を侵されたマランツには到底望むべくもないことであった。


「同じ魔術師ってことで、あんたがヨシズミと会っているんじゃないかと思ったんだが……、見当はずれだったか」

「知らんな。昔と変わりないとすれば、異国風の衣装に濃いなまり……見過ごすことはないだろうな」

「ああ。聞いた話ではやっぱり変わった格好で、異国訛りだそうだ」

「そうか。ん? 異国訛り……」


 興味をなくしかけていたマランツが、「異国訛り」という言葉に引っ掛かりを覚えた。


「誰かが、何か言っていたような……。そうか! ジローだ!」


 マランツは大きく目を開いた。

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