第445話 サポリという海辺の町だ。
「お帰り、
ステファノは用意しておいたチーズを与えながら、雷丸の労をねぎらった。
手紙の入った胴着は既に脱がしてある。
「ちょっとした風魔法で滑空できるとは思わなかったよ。体が軽いと便利だね」
土魔法で引力を弱めながら風を使えば、軽々と宙を舞うことができた。胴着に翼代わりの膜をつけてやれば、更に風に乗りやすくなるだろう。
ネルソンからの返信には手短に今後の対応が書いてあった。
「
その代わりに、アカデミーの外で世間の注意を引きつける手当を行う。手紙にはそう書いてあった。
「旦那様たちが何か動きを起こしてくれるということだね。師匠もマルチェルさんもいる。対外的なことは安心して任せておこう」
自分はアカデミー内で身を守っていれば良い。滅多なことで襲われるようなことはないはずだが、油断は禁物であった。
(今回、雷丸がハンニバル師に反撃してくれたのはラッキーだったかもしれない。俺が魔獣を連れていることは、外部の人間にも知れ渡るだろう)
その状況を利用しようと、ステファノは考えた。
(雷丸を表に立てれば、
ステファノは雷丸の頭を指で撫でてやった。
「ピー」
「案外、本当に
「ピー!」
雷丸はドヤ顔で鼻先を持ち上げたように見えた。
◆◆◆
(「メシヤ流」、警戒が必要です)
(ただの看板ではないのだな?)
(実力が伴っております)
(後ろ盾はギルモアか)
(直接の主はネルソン。その後ろに侯爵家が控えているようです)
(どれだけの集団なのか……)
(メシヤ流の人数ですか?)
(ステファノという小僧の他に上級魔術に達する術者がいるのか、いないのか)
(あ奴に集団を率いる力はないでしょう。ならばあれ以上の術者が他にいるはずです)
(師匠について語っていたそうだ。山に籠っていたと)
(探らせますか? その山について?)
(サポリという海辺の町だ)
ハンニバルは見えない相手と、声なき会話を行っていた。
会話もそろそろ切り上げ時、ハンニバルは姿なき相手に別れを告げた。
歩き出す前に、ふと頭上に広がる空を見上げる。
(あ奴も「竜」を飼っていた。7つの頭を持つ者。ならば奴の師匠とやらも……)
思わずハンニバルのまとうイドがぶわりと膨れ上がる。突然濃くなった「気配」に、無意識に振り返り、首を傾げる人影が数人いた。
(あれはまだ餓鬼だった。反撃も生ぬるい。殺すだけなら容易いが、果たしてその師匠はどうかな? ふふふ……)
肩にとまろうとしたてんとう虫が、ハンニバルの気に当てられてぽとりと地面に落ちた。
歩き出すハンニバルの頭上で、鐘楼の鐘が時を告げて鳴り響いた。
◆◆◆
「あら、ステファノのお知合い? だったら、もうちょっとここに顔を出すように言っておいて」
「会うことがありゃ伝えておくよ」
「ねえねえ、ステファノは僕のことを何か言ってなかった?」
「ああ、ローラの弟なら……テオドールだっけか?」
「そうだよ! やっぱり覚えててくれたんだね」
ブロンソン商会の姉弟は若い客の相手をしていた。どこかの商店の雇人らしい格好をしている。
「ああ、聞いてるぜ。……馬車で家出した時に出会ったとか?」
「しっ! それは内緒」
ローラは慌てて唇に指を当てて見せた。
「おお、すまなかったな。サポリって町に行く途中で出会ったって聞いたぜ」
「そうだったのね。わたしたちは隣町に行くところだったんだけど」
「隣町か。あそこに何かあるのかい?」
「お祖母ちゃんのお店。そう言えば、あのお店でもステファノに会ったっけ」
ローラは思い出に浸るように遠くを見た。
「へえ、そいつは奇遇だな。詳しく聞かせてくれねぇか?」
上目遣いにローラを見て笑いかけたのは、ネルソン商会のダニエルであった。
◆◆◆
「旅に出たいだと?」
ネルソン商会の執務室。主人としての仕事を引き継いでいるコッシュは、書類から顔を上げた。
「へえ、若旦那。店を出すなら応援するとおっしゃる方がいまして、一度相談に来いと」
「お前は奉公が明けてもうちで勤めたいと言っていたが」
「自分の力では行商が精一杯。店は出せないと思っていたもんで」
「出資してくれる人を見つけて、気が変わったわけか」
興味を失ったように、コッシュは再び書類に目を落とす。
「へえ。勝手なことを言ってすみません」
「構わんさ。時期がずれただけのことだ。得意先の邪魔にならなければ、うちの品物を卸してやっても良い」
「ありがとうございます」
「どこに店を構えるつもりだ?」
コッシュの気のない問いに、ダニエルが答える。
「サポリというちっぽけな町です」
「ふうん。そんな場所なら得意先もいないな。お前の好きにしたらいい」
話はそれだけかと、コッシュはペンを置いた。
「2週間か1月、下見に行ってまいりやす。それが済んだら一旦戻って来ますんで、きちんとご挨拶させてください」
ダニエルは両手を揃えて、頭を下げた。
「わかった。旅の間給金は出さんが、お前の部屋はそのままにしておこう。気をつけて行って来い」
「助かりやす。お世話になりました、若旦那」
「ふん。礼を言うのはまだ早いぜ。開店話が流れないように、精々しっかりと下調べするんだな」
コッシュにはダニエルの店がどうなろうと関心がない。ネルソン商会の人手も十分に足りていた。
「へい。それはもう、気合を入れて調べますとも」
下げた頭の下で、ダニエルは冷たい笑みを浮かべていた。
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