第439話 この国は、岐路に立っている。
スールーは考えていた。
冬休み、実家に戻ってきたものの、商会の日常に自分が入り込む余地はない。サントスやトーマとは違って、自分が取り組むべき宿題を抱えてもいなかった。
(卒業したら自分はどんな道に進むべきか?)
今更ながらそんなことを考えるようになった。
以前は悩まなかった。当然商会を継ぐものだと考えていた。
自分には事業の才能がある。商会をより大きく、重要な存在に伸ばして行ける。そう信じていた。
その自信に変化はない。しかし、商会を継ぐことが本当に自分にとって最良の道かどうか、自信が持てなくなった。
(この国は、岐路に立っている)
情報革命研究会というグループをサントスと立ち上げた。たった2人で世の中を変えようという無謀な試みに打ち込んできた。
うまく行かないことばかりだったが、充実感はあった。やっていること、進もうとしている方向は間違っていない。その確信は深まるばかりだった。
そんな時にステファノと出会った。トーマが輪に加わった。
(すべてが変わってしまった)
ステファノがもたらした魔道具の可能性が、情革研の発明品に大きく貢献したことは間違いない。しかし、それ以上にステファノの発想と行動力が自分たちの意識を変えた。
意識改革こそが情革研の原動力になったと、スールーは今考えていた。
(ステファノの常識は世間の非常識、か)
変わり者の少年を揶揄して、そう評したこともあった。
(それこそが彼の揺るがない本質なのだろうね)
今はそう思える。
他人と自分が異なることを恐れず、自分が信じた道を探求する。ステファノが軽々としてのけているように見える
(ボクにその信念があるだろうか?)
1人になると心は揺れる。スールーは、メンバーが集まる研究室が心底懐かしいと感じるのだった。
(結局のところ、商売ならばボクでなくともできるということだな)
自分の心に嘘はつけない。心の悩みに名前をつけるなら、それは「自己実現」であった。
(ボクができることではなく、ボクでなければできないこと。ボクはそれを求めているのか)
それは贅沢な悩みであった。しかし――。
「贅沢であってはいけないということもないだろう」
贅沢で、わがままで、気まぐれ。それが自分だ。
スールーはそれで良いと思っていた。自分に嘘をついても始まらない。
(ボクでなければできないこと。それは何か?)
サントスやトーマのような技術はない。ステファノのようなギフトや魔力にも恵まれていない。
(自分だけの長所などボクにあるのか?)
そこが彼女の悩みであった。
スールーの長所。それは恐らく能力ではない。知識でも技能でもない。
(ボクの長所なんて……社交性と行動力と可愛らしさと運の良さくらいしかないじゃないか)
スールーの悩みは底が浅かった。
(まあ良いか。「人がやらないことをやれ」だ)
人のできないことは外から見てもわからない。一方、人がやらないことはわかる。なぜなら、誰もやっていないから。
「誰もやらないこと……戦後処理かな?」
スールーは知っている。ステファノとギルモア家を中心とした「メシヤ派」がルネッサンスを引き起こそうとしていることを。
既に彼らは軍部にいくつかの技術を提供し始めている。
「戦争は終わる。我が国は勝利を確定するだろう」
というよりも、王国に立ち向かおうとする国がいなくなるだろう。
それほどの技術格差が早晩現実化する。
「戦うことすら必要ない。圧倒的な戦力差を見せつけるだけで戦争など終わるんだ」
そこまでは良い。平和はありがたく、結構なことだ。
問題はその後であった。
「戦後の生活はどうなる? 誰かそれを考えている奴はいるのか?」
戦争に勝つこと。戦争を終わらせることを考えている人間はいくらでもいるだろう。だが、そいつらは戦争が終わった後のことまで考えているのか?
「兵士の大多数が非戦闘員になるぞ? わかっているのか? 恋人が、夫婦が再会し、こどもを作るぞ?」
耐えて来たものが弾ければ、反動が起きる。それは歴史の必然だ。
人口の爆発的増加が起きれば、大量消費経済が幕を開ける。
「足りなくなるぞ、何もかも。住宅が、衣類が、食物が。耐久消費財の需要が爆発するぞ!」
一時的に供給不足となれば、物価はうなぎ上りに上昇するだろう。
「生産力は追いつくのか? こどもの増加に社会は対応できるのか? 医療は? 学校は? 警察力は?」
スールーは、思いつく限りの可能性を頭の中に並べ立てた。その一方で、「メシヤ派」がもたらすであろう「産業革命」のインパクトを反対側の天秤に載せる。
「ステファノの魔法具がある! 生産性は追いついて余りあるはず。元兵士を適正に配分すれば、警察力は賄える。医療は……ネルソン商会の専門だ。あそこが何とかすると仮定しよう。学校は? 学校はどうする?」
ネルソンは「ウニベルシタス」なるものを立ち上げると言う。ステファノの言葉を聞く限り、それは「大人」を対象としたものだ。基礎教育を修了した人間を対象に、高水準の研究と教育を行う機関であるはずだ。
それは王立アカデミーを発展させたものになるだろう。
「だが、基礎教育は誰がする? どこにこども相手の教育機関があるというのだ?」
この時代、子女教育は家庭で為されていた。両親や雇人が自家の子女を教育するのだ。
「家庭教師」そのものである。
「両親に学問がなく、雇人がいない家庭はどうする? 大多数の家庭に教師などいないぞ!」
学のない平民の間に生まれたこどもは、学のないまま野ネズミのように数を増やしていく。
このままでは衆愚の時代が来てしまう。
「冗談ではないぞ。そんな社会は、このボクが許さない!」
スールーは拳を机に叩きつけた。
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