第433話 そう言えば切り屑はどこに行った?

「先生、できました」

「えっ、何だって? ……完璧じゃないか。一体どうやって?」

「あの、俺は目で見た物をそのまま記憶できるんです」

「ああ、そういう人間がたまにいるな。だからって、その通りに加工できるとは……」


 風魔法の密度と精度が桁外れなのだ。ステファノは虹の王ナーガを呼び出し、脳内の映像記憶フォトグラフィック・メモリーを委ねる。ナーガは素材を加工しながら「見本」と見比べ、寸法が一致したところで加工を止めるのだった。


 ステファノ自身は「見本と同じものを再現する」という意識を持つだけで良かった。


「これは……。表面仕上げまでできているじゃないか」

「着色はできませんでしたが、それ以外は」

「……」


 講師は絶句した。


「うん? そう言えば切り屑はどこに行った?」

「ああ、これです」


 ステファノはコロンとした丸い塊を示した。


「これが木屑?」

「はい。掃除魔法で固めたものです」


 この教室では工芸用に限って魔術使用が許されている。ステファノにとって、アカデミー内で初めての環境であった。


「加工しながら掃除をする余裕まであるのか……。これだけの加工をこの短時間でできるとなると、金属の加工もできそうだな」

「多分」


 ちょっと待てと言いながら、講師は教室の棚から鉄の薄板を取って来た。


「これを……ナイフに加工できるかね? 形はどんなものでも良い」

「ナイフですか? 作ったことがないので難しいと思いますよ? 多少時間がかかっても良ければ」

「構わん。できるところまでで良いからやってみなさい」


 ステファノは机の上に置かれた鉄板を眺めて考えた。


(ナイフの形にするだけなら簡単だ・・・。先生の要求はそういうことじゃないよな。そうなると、ちょっと大変だな)


 ステファノはノートを取り出してスケッチを始めた。講師はその手元を食い入るように見ている。


「よし! やるか」


 ペンを置いたステファノは薄板を取り上げた。でき上がりの形を脳内にイメージし、指先を鉄板に近づける。


 じ、じ、じ……。


 ステファノの指先から放たれた糸のような光が鉄板の表面を熱し、切り裂いていく。

 ドリーの秘術「光龍の息吹パルスレーザー」の焦点を極限まで絞った光線であった。


 それを見つめる講師の口はあんぐりと開けられていた。


「うっ。鉄板が熱くなって来た。うーん、イドで固定するか」


 ステファノは万力代わりにイドで鉄板を卓上に保持した。この方が手振れも防げて加工精度が向上する。


「何っ? 鉄板が浮いている?」


 見ているものが信じられず、思わず講師は声を上げてしまった。

 作業に集中しているステファノは、講師の声を気にせず切断を完了した。


(さて、ナイフの形はできたけど、このままじゃただの板だ。確か刃物の鍛造って、真っ赤に焼いたものをハンマーで叩くんだよね?)


 包丁鍛冶の仕事場にバンスが連れて行ってくれたことがある。あの熱気はすごかった。

 ステファノは子供の頃に見た光景を懐かしく思い出す。


「ステファノの名において命ず。虹の王ナーガよ、この鉄板をナイフに鍛えよ。熱し、叩き、整えよ!」


(色は匂えど、散りぬるを――)


 ステファノの念誦ねんじゅに応えて、熱と圧力が鉄板を覆った。魔視を持つ魔術師であれば、火魔術と土魔術の複合魔術マルチプルだと言うだろう。

 しかし、そこに火は踊らず、重力の歪みも起こらない。


 因果の結果たる純粋な熱と圧力。それを虹の王ナーガがもたらしていた。


 イドに覆われた鉄板からは熱も圧力も逃げ道がない。地中数千メートルの高温高圧化でダイアモンドが形成されるように、溶けた鉄はナイフの形のまま圧縮鍛造された。


 ナイフの形が一回り小さくなったのを見届けて、ステファノは熱と圧力を解放し、赤熱した素材を一気に冷却した。刃物としての仕上げ、「焼き」が入った。


 講師は最早驚きのあまり、反応することさえできなくなっていた。


「さて、仕上げましょうか」


 ステファノは水と風を駆使して、ナイフを磨いた。「研ぎ」の工程である。

 水は飛び散らず、風は小さな渦を巻いて教室の空気を乱さない。みるみるナイフは磨き上げられ、鏡のように光輝いた。


「先生、できました。柄と鞘はありませんが、ナイフ本体のできあがりです」


 はっと講師が我に返った。懐中時計を確認すれば、作業開始から20分しか経っていない。


「そんな馬鹿な……。この短時間で鉄板からナイフを作り上げるなんて」


 ステファノが差し出すナイフに慎重に触れてみると、氷のように冷たかった。


「先ほどまで赤熱していたのに……」


 鉄板をナイフの形に切り出しただけではなく、しっかり刃もついていた。爪先を当てれば、確かな切れ味。

 紙で試してみると、すっと何の抵抗もなく刃が通った。


「こんなことが……。こんな鍛造法など聞いたことがない。君はどこでこれを?」

「上手く行ったみたいですね。どうしようか悩んだんですが、昔鍛冶屋で見た作業を魔法で再現したらこうなりました」

「こうなりましたじゃないだろう! ……いや、取り乱して失礼した」


 講師はかき乱した頭髪を、両手で整えながら汗を拭いた。


「ええと、合格だ。魔術工芸(上級)までの単位を認定する」

「ありがとうございます。いろいろな加工法を知りたいので、これからも授業に出席して良いですか?」

「もちろん構わん。あの、君の鍛造法についてぜひ論文を書いてもらいたい。それと、本講座のチューターを務めてくれないか?」


 チューター役は「調合の基本」で経験済みであった。魔術工芸についてはまったく知見がなかったが、魔法制御である程度のことはできそうな手ごたえがあった。

 教える生徒が3人しかいない点も負担を軽くするだろう。


「わかりました。俺で良ければやらせてください」

「助かるよ。生徒だけでなく、私にも君のやり方を勉強させてもらいたい」


 黒の道着に皮手袋、黒手拭いの鉢巻に白ネズミを乗せたチューターが誕生したのだった。

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