第412話 遠い昔のことでございます。
「邪魔をする」
武骨な声をかけてマリアンヌが試射場に入って行く。魔術学科長として上司と来客を先導する立場であった。
「これは……マリアンヌ学科長。学長もご一緒ですか?」
不意の来訪にドリーが驚いた顔をした。
火魔術を放った直後らしく、試射場内にはきな臭い匂いが漂っていた。
「ドリーさん、突然ごめんなさいね。あらあら、ここに来るのも久しぶりだわ」
場内に足を進めながら、リリー学長は上品に辺りを見回した。
魔力を持たない彼女は、日頃試射場には縁がない。
「学園の責任者としてこういう場所も見て置きませんとね。もう少し足しげく通うようにしましょう」
「それは……ありがとうございます。お客様ですか? ああ、ステファノか」
マルチェルの後ろに続いていたステファノがようやく姿を現した。小柄な彼はマルチェルの後ろに立つとすっぽり隠れてしまう。
「ギルモア家の
初対面ではあったがマルチェルは余計な挨拶を省き、用件のみドリーに伝えた。
ドリーはステファノから聞かされていたマルチェルの名前に、ピクリと眉を動かして反応した。
「どうかしたか、ドリー?」
マリアンヌが、ドリーの表情を目敏く見とがめた。
「知り合いか?」
「いえ。お名前に聞き覚えが。失礼ながら『鉄壁』と呼ばれる方では?」
「ご存じでしたか。お恥ずかしい二つ名です」
マルチェルとドリーは改めて目礼を交わした。
「何? あなたが『鉄壁』? 鉄壁のマルチェル……そうか!」
「あら、マリアンヌ。知らなかったの? ギルモア家のマルチェルと聞いて『鉄壁』を思い出さないとは……。ああ、若いから仕方がないわね」
「鉄壁」の名が鳴り響いたのは20年以上も昔のこと。マリアンヌの世代が疎くても無理はない。
ましてや彼女は魔術師であって、武人ではなかった。
「遠い昔のことでございます」
マルチェルはリリーに頭を下げた。
「それにしてはドリーがよく知っていたこと」
「わたしは武人を志す身ですので。そこにいるステファノから自分の師であると聞いておりました」
「ああ、そうだったのね。それでステファノはいつも道着を着ていますのね」
無邪気なリリーの言葉に、今度はマルチェルが眉を動かす番だった。
とはいえ、「それは違う」と声を上げるのも大人げない。マルチェルは一瞬開きかけた口を閉じた。
「それで? 試したいアーティファクトとはどのような?」
「そのことだ。マルチェル殿、例のものを」
「はい。こちらです」
気を取り直して場の主導権を取り戻そうと、マリアンヌはドリーとマルチェルの間に割って入った。
マルチェルはステファノに持たせていた木箱から、短剣を鞘ごと取り出した。
「こちらが『
「玄武、ですか? それにはどのような効果が籠められているのでしょう」
示された短剣に目を向けたまま、ドリーはマルチェルに尋ねた。
「刀剣、槍、弓矢などの物理攻撃、火気、水気などの災害、そしてあらゆる属性の魔術から持ち主を護るというものです。当家秘蔵のアーティファクトです」
「それは……大層な代物ですね」
ドリーはステファノに目を向けそうになる衝動を抑えながら、感心して見せた。
(それは、ステファノが編み出した護身魔法「蛇の巣」ではないか? 『玄武の守り』とはステファノが作った
「ここだけの話だ。ギルモア家ではこの秘宝をご結婚祝いとしてジュリアーノ殿下に献上するとおっしゃる。詳しい調査は私の監修の下で後日時間をかけて行うが、今日この機会に簡単なチェックだけでもしようというわけだ」
「そういうことですか。了解しました。それでは早速標的に装備させましょう」
「頼む」
ドリーは頷いて、標的の1つを手元に引き寄せた。その胴回りに紐を巻きつけ、短剣を挟み込む。
「これでよろしいか? 何か儀式のようなものは? 持たせるだけで良いと?」
ドリーは再び標的を動かし、10メートルの距離に移動させた。
「準備ができました。お試しください」
リリーに向き直り、頭を下げた。
「わあ、何だかドキドキしますね。最初は誰にお願いしましょう?」
「よろしければわたしが
手を叩きそうな様子でリリーが振りむくと、懐に手を入れながらマルチェルが進み出た。
取り出したのは黒い布でできた
「それが得物ですか?」
「はい。遠間の敵に使うものです」
じゃらりと巾着から取り出したのは径1センチほどの鉄丸であった。
「それではよろしいか? 5番、礫術。発射を許可する。任意のタイミングにて撃て!」
両手に鉄丸を握り込み、マルチェルは静かに腰を落とした。
潮合を測ることもなく、無言の気合と共に相次いで左右の手を振った。
(見えない!)
瞬きもせずその瞬間を睨んでいたマリアンヌであったが、鉄丸の軌道は1つとして見極められなかった。
ただ空気を切り裂く擦過音が「しるしる」と響いた。
次の瞬間にも見えない鉄丸は標的を打ちのめす。誰もがそう感じた時、標的が空間ごと歪んだ。
ぬらり。
巨大な山椒魚が身を揺らせたように標的が歪んで見えたその時、鉄丸がスピードを落としながら標的を逸れて飛んで行くのが見えた。
「ぬ! これは?」
「土魔術です。鉄丸の勢いを削ぎ、方向を変えていなされました」
ドリーはギフト
「鉄丸10球。まともに当たれば肉をうがち、骨を砕く勢いで放ちました」
残心を解いたマルチェルが一同に告げた。
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